写真は何を撮っても良いのか
2006/02/28 18:18 写真話
写真は、法の下に、表現の自由を保障されています。
ようし、それじゃあ、自分の好きなもの、何でも撮っちゃうぞ〜! あ、お爺さん、良い顔してる。パシャリ。お、スッゴイ美人。パシャリ。 俺の彼女、寝顔が可愛いな〜。パシャリ。色っぽいカラダしてるな〜。パシャリ。 あ、交通事故だ。車ぐちゃぐちゃ。内臓ぐちゃぐちゃ。スッゲ〜。パシャリ。
肖像権?もちろん知ってますよ。 ちゃんと許可取ってますし、人混みの中だったら別に許可取らなくても良いでしょ。 それに、顔写ってなかったら誰だかわからないし。 ほら、死人に口無しって言うしね。 そう、その通りです。でも、それだけじゃ済まないこともあるんですよ。
撮らせてくださいと言われれば、嫌でも断りにくいものです。 人混みの中であろうと、知らないうちに写真を撮られるというのは、やはり気分の良いものではありません。 自分の大切なものを撮りたいという気持ちはわかりますが、ウイルスに感染してそれらの写真をバラまかれたら責任取れますか。 興味本位の撮影が、遺族の方々に与える影響を考えたことありますか。
写真は、その一瞬を半永久的に記録するものです。 そして、そこには、人の一生を左右するほどの力が秘められているのです。 「そんなことを言って良い写真が撮れるか」「良い写真を撮るためなら何をしても良いのか」 「おいおい、良い写真って一体何だよ」
写真は、被写体を忠実に記録するものです。 そして、同時に撮影者の視点、価値観をも記録します。 それは、撮影者の意図に関わらず、必ず写真について回ります。 鑑賞者は、その事実とは無関係に、その意味を推測して、解釈していきます。 写真は、真実を伝えると同時に、誤解を生み出すものなのです。
この写真、小さい頃に落ちているエロ本を拾って、ドキドキしながら読んだものだよなぁ、と懐かしく思いながら撮ったんですが、上の文章を読んだ後では、何だかものすごくいけない写真のような気がしませんか。 このように、写真の意味なんて、後からいくらでもすり替えることができるんですよ。
はっきりしているのは、そこにそういう被写体があったという事実と、それに目を留めて写真を撮ったという事実。 撮れた写真をどう解釈するかは、鑑賞者次第。 そして、その写真を撮ったことに対する責任を、撮影者が負うことになるのです。 写真をどう撮るかということよりも、何の写真を撮るか、撮った写真をどう見せるかのほうが、ずっと大切なことなのです。
シャッターを押すその前に、その写真の重みを良く考えてくださいね。






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