こだわりの先にあるもの
2008/11/20 05:38 随想録
いつの間にか、あまり物事にこだわらなくなってきました。
こだわりそのものは、今も変わらずあるんですが、そのこだわり方が、以前よりも柔らかくなっているんです。 以前なら、最高の答を出そうと必死になって、それを唯一の答にしようとしていました。 それが、こだわりを細分化し、優先順位をつけて、どうしても譲れないラインを設けたら、後はその条件に合ったものであれば、それが何であれ、それなりに満足できるようになりました。 欲しい部分さえ手に入ってしまえば、それ以外の細かい部分には、さほど興味はありません。
こだわりを持って物事を追求していくことは、刺激的で楽しい反面、とても苦しい作業でもあります。 こだわった部分がちゃんと役に立てば報われますが、役に立ったと実感できるのは、ほんの一部分でしかありません。 つまり、労力に対する報酬が十分に得られていないわけですから、労力を削減する方針に転換するのは、当然の結果だと言えます。 確実に報酬を得るためには、労力の配分を効率良く行う必要があるというわけです。
あまり労力をかけ過ぎてしまうと、報酬を得るどころか、逆に損失になってしまいます。 しかし、それを認めてしまうと、これまでの労力を全て否定することになってしまいます。 そのため、いつかその労力が報われることを信じて、その労力を絶対化して、自己正当化しようとします。 すると、こだわりはますます強くなり、こだわりの悪循環に陥っていきます。 損失はみるみる膨れ上がり、やがて手に負えなくなってしまうでしょう。
逆に、労力を惜しむあまり、極端に効率化を追求してしまうと、得られる報酬まで減ってしまいます。 他人の評価を信じてそれに従っていれば、自分で判断しなくても、それなりに結果を得ることができます。 それでまずまずの報酬を得られれば良いのですが、十分な報酬が得られなかったり損失になったりすると、責任を全て相手に押しつけて、やはり自己正当化しようとします。 すると、善意の評価を与えてくれる人は離れていき、代わりに悪意を持った人が集まってきて、やがて全てをむしり取られてしまうでしょう。
いずれにせよ自業自得なわけですが、こうした人達に巻き込まれてしまうと、とても嫌な気分になります。 詳しい人に相談したつもりが、訳の分からないこだわりを押しつけられてしまったり。 あれこれ調べて手助けしてあげたのに、訳の分からない文句をぐだぐだ言われたり。 もし、自分のこだわりを受け入れてもらえなかったり、相手のことを責めたりしている時は、自分が必要以上にこだわり過ぎている証拠です。
どうせなら、自分のこだわりを、気持ち良く役に立てたいですね。






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