新ブログの更新状況

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

縦と横のバランス

いつの間にか、ずいぶん写真が上手になったなぁ、と思います。

昨日は、バッテリーがどれだけヘタっているかを調べるために、A1をオートにして、背面液晶を見ながら、適当に手当り次第に撮りまくりました。 ただ枚数を増やすだけで良いので、何も考えずに、視点の先を突っつくように、写真を撮っていきます。 当然、構図は無茶苦茶、露出もピントもずいぶんバラツキがあります。 でも、それがなぜか、とても懐かしいんですよ。

カメラを手にしたばかりの頃は、本当に何にも考えずに、ただひたすらシャッターを押してたよなぁ。 今でも、写真を撮る時は何も考えていませんが、これまでに積み重ねてきたたくさんのことを感じながら撮っています。 その積み重ねが、知らず知らずのうちにどんどん大きくなって、高くて大きな山になっていたようです。 これは、素直に嬉しいことですね。

でも、山が高く大きくなればなるほど、逆にそれが重荷になることがあります。 山登りばっかりじゃ疲れるし、たまには海でゆったりしたいなぁ。 どこまでも広がる平原で、のんびりしたいなぁ。 適当に撮った写真には、どこかそういうゆったり、のんびりしたものを感じました。 そうした、どこかゆるい雰囲気の中で、ハッとするような写真が紛れ込んでいたりして。

山登りだって、頂上ばかり目指していては、すぐに疲れてしまいます。 木々の緑を味わったり、下界の景色を見下ろしたり、鳥のさえずりを聴いたりして、アンテナを広げて、感度を高めることも必要です。 これをきっかけにして、しばらくは裾野を広げることに熱中しそうな、そんな感じがします。 もっと気を楽にして、自由な気持ちで、あれこれ試してみようかな。

だって、もうすぐ大好きな夏がやってくるんですからね。

スポンサーサイト

35-70mm F4のマクロ

今日は、久々に35-70mm F4を使ってみました。

手に入れた時にちょっと試しただけで、ずっと使っていなかったんですよね。 あのα-7000のキットレンズとして、初めて複合型非球面レンズを搭載した標準ズームレンズ。 記憶の中のミノルタの憧れのレンズでしたが、最短撮影距離が1mと長く、α-7 DIGITALに装着すると52-105mmになってしまうので、ちょっと使い勝手が悪かったんですよね。

マクロスイッチを入れることで、望遠端のMF限定ながら、32cmまで寄れるようになります。 最近は、積極的にMFを使うようになってきているので、マクロの切り替えも苦になりません。 普段使っている24-85mm F3.5-4.5 Newでは、50cmまでしか寄れません。 倍率で比較すると、35-70mm F4が0.25倍、24-85mm F3.5-4.5 Newが0.17倍。 これはもう、使わないともったいないですね。

使い勝手でいうなら、間違いなく切り替えなしでAFが使えた方が良いわけですが、ズームリングについたスイッチをスライドさせて、通常のズームとは反対側にリングを回し込んで、マクロモードへと切り替える様子は、まるで変形ロボの秘密兵器みたいで、ドキドキと胸が高鳴ります。 そして、いつもとは違うマクロの世界に入り込むことに、ワクワクしてきます。

まあ、マクロといっても、そんなに倍率が高いわけではないんですが、絞りを開放にすると、とても綺麗にボケてくれるので嬉しくなります。 あんまり倍率が高くなると、虫眼鏡で覗き込んでるようで、ちょっと窮屈な感じがしてくるんですが、このくらいの倍率だと、ちょうど自然な画角になるので、なかなか良い感じです。 そう、まさに自然なマクロという感覚ですね。

というわけで、これからは35-70mm F4を積極的に使ってやろうと思います。

写真の世界

最近、だんだん写真が好きになってきました。

これまで散々写真を撮っておきながら、今さら何を言うんだ。 なんて思うかもしれませんが、実は、写真を撮るのは好きだけど、写真そのものはそんなに好きじゃなかったんですよね。 好きなのは、レンズの向こうにある被写体であって、被写体と向かい合ってカメラを操作することであって、そうして撮れた写真は、どれだけ良く撮れていても、被写体のコピーに過ぎませんでした。

なので、私にとって、良い写真を撮るということは、被写体をより深く認識し、カメラを的確に操作して、可能な限り被写体と写真を一致させる、ということに他なりません。 料理でいうところの活け造りみたいなもので、生前の姿そのままに、写真として美味しく頂こうというわけですね。 でも、同じ魚でも、料理法には他にもいろいろあるわけで、そういうのも味わってみたくなってきたんです。

この衝動は、定期的にやってきて、その度に挫折してたりします。 唯一例外なのは、レンブラント調の暗闇から浮かび上がる写真ですね。 肉眼とはまるで違う世界ですが、写真ならではの世界として、とても惹かれるものがあります。 あまりコントラストや彩度の高い、刺激の強い写真は苦手ですが、写真ならではの、より柔らかな世界を探求してみたいなぁ、と思っています。

というのも、私の写真の質が、去年辺りから変わってきているからです。 それ以前は、とても繊細な写真を撮っていたんですが、それが次第に芯が強くなってきているんですよ。 これはこれで結構なことなんですが、ちょっと押しが強過ぎて、近寄り難い印象なのも確かです。 新しい力強さを活かしつつ、かつての繊細さも取り戻せるようにするのが、これからの課題ですね。

落ち着いて、自分の世界を広げられるように、頑張ります。

個性と共感

「クオリア」という言葉があります。

同じ赤を見ていても、人によって、その赤の感じ方が違うという、あれですね。 人はそれぞれ、赤のクオリアを持っていて、同じ物理的な刺激に対して、全く異なる体験をしているかもしれない、というわけです。 でも、実際には、赤は赤であって、赤に対する印象というのは、人によってそれほど大きく違うわけではありません。

そもそも、クオリアというのは、私達が普段体験している刺激というのは、感覚神経から伝わる物理的な刺激とは、性質が異なるという事実を、明確にするために生まれた言葉です。 つまり、神経細胞によって電気的に伝達された刺激が、脳内で具体的にどう処理されて、個人的な体験として認識されるのか、それを解明していくことを、クオリアという言葉によって主張しているわけです。

ところが、赤の感じ方が異なるという説が一人歩きを始めて、まるで赤を緑に感じなければならないような、そんな無茶なことを平気で主張するのを、あちこちで見かけるようになりました。 赤を緑に感じているかもしれない、というのは、クオリアをわかりやすく説明するための極端な例であって、実際に赤が緑として認識されるわけではないのです。

人がそれぞれ違った感じ方をするのは、人がそれぞれ違った存在だというのと同じように、どうしようもないほどの歴然とした事実です。 でも、人が皆同じ感じ方をするというのも、人がそれぞれ同じ人間だというのと同じように、これまたどうにも動かしようのない事実なんですよね。 つまり、一人の人間の中に、人間として他の人達と共通する部分と、個人として独立した部分とが、共存しているわけですね。

芸術や表現というと、どうしても個の部分が強調されがちですが、それ以上に、個の中に横たわる、人間としてのより本質的な部分の方が、割合的にはずっと大きくて、より重要な気がします。 もちろん、一人の独立した人間として、自分自身の個性というものは大切なものですが、それだけでは独りよがりで薄っぺらいものになってしまうでしょう。 人として共感を得るためには、自分の中にある、個ではない人間の部分を、見極める必要があるのです。

人間として、その両面性を、常に認識していたいですね。

想像の責任

「現実よりも現実的」という言い回しがあります。

先のクオリアという言葉を使えば、より豊かなクオリアを伴った刺激、ということになるでしょうか。 小説を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり。 そうした良質の刺激は、私達の想像力をかき立て、おおいに楽しませてくれます。 それに対して、本物の現実は、様々な問題を突きつけ、次々と決断を迫ってきます。 そこには、想像力を働かせる余地は、どこにもなさそうです。

でも、実際に現実を注意深く観察してみると、ひとつひとつの決断には、想像力がおおいに活用されていることがわかります。 1たす1は2であり、決して3や4にはなりはしませんが、男と女が出会えば、2人になるだけでなく、様々なドラマが生まれます。 場合によっては、新たな生命が誕生することだってあるかもしれません。 恋愛が恋愛として成立するためには、相手のことを想像する力が必要なのです。

仕事にも、想像力は不可欠です。 現実をただ現実として認識するだけでは、真の意味で問題を解決することはできません。 現実に隠された、本当の現実を探り出し、新たな答を導き出すためには、与えられた状況を、より豊かに想像する必要があります。 そうすることによって、新たな仕事を生み出し、より多くの利益を生み出していくわけですね。

それでは、現実よりも現実的な想像と、本物の現実における想像の違いは、どこにあるのでしょうか。 それは、現実に対する責任の有無にあります。 小説を読んで、どんな想像をしようが、それは読者の自由であり、その小説の作者ですら、その自由を奪うことはできません。 しかし、本物の現実世界では、想像が行動へと繋がり、その結果に責任を負うことになります。

つまり、小説を読む分には、現実に対して責任を持たなくて済むので、安心して想像を楽しむことができ、より自分好みのクオリアが形成されやすいというわけですね。 一方、本物の現実の場合は、常に結果に対する責任が問われるので、勝手なクオリアの生成が抑制され、より無難なクオリアが選択されやすくなります。 現実的な良質のクオリアを獲得するためには、責任を受け入れる勇気が必要なのです。

ただ、責任と言っても、そんなに重たいものではありません。 自分が良いと感じたものは、素直に良いと感じれば良いのです。 逆に、悪いと感じれば、悪いと感じれば良いのです。 問題は、何かを感じた後に、自分がどういう行動をとるかです。 たとえ仕事中でも、素晴らしい景色に目を奪われて、ほんのわずかな間だけ立ち止まったとしても、責任を放棄したことにはなりません。

そこから、新しい意欲が湧いてくるのなら、こんなに素晴らしいことはありませんよね。

大きくなあれ

たくさんの枝葉をつけて、どんどん大きくなあれ!

足もとミーちゃん

あれあれ、何を見つめているのかな?

点から面へ

ふと、目の前に透明な平面が見えました。

その平面の向きや位置を変えながら、被写体をスライスしていきます。 向きと位置が決まったら、その正面に向かい合って、今度は平面の枠の大きさを決めていきます。 枠の大きさが決まったら、カメラのレンズを向けて、その枠に合わせて、写真を撮ります。 その透明な平面は、少し前から、見えたり見えなかったりしていましたが、それがハッキリと見えるようになってきたんです。

これまでは、被写体とは点と点の繋がりでしかありませんでした。 自分の視点と、被写体の最も注目する点を重ね合わせて、直線で貫いていました。 まず、被写体を視点の中心にピンで留め、次に四隅をピンで留めて、構図を決めていました。 その点が、いつの間にか、面になっていることに、気がついたのです。 どうやら、私の中で、何か大きな変化が起きたようです。

写真は平面ですが、カメラのレンズは点です。 これまで、私はレンズの点、つまり視点をどこに置くかに、注力してきました。 なぜなら、この視点に無理があると、写真も違和感のあるものになってしまうからです。 なので、できる限り自然な視点になるように、心掛けてきました。 ところが、最近はその視線が強くなり過ぎて、点で支えきれなくなってきていたんですよね。

点で接していると、その一点に全ての力が集中してしまいます。 中心の一点だけでは、風車のようにクルクルと回転してしまうので、四隅の四点も加えて、しっかりと固定します。 まるで、昆虫採集の標本みたいですね。 でも、この方法だと、構図は安定しますが、動きや情緒といったものは、隅に追いやられてしまいます。 それでは、写真としては、ちょっと味気ないですよね。

そこで、視点だけでなく、視界全体の面で支えることによって、力を分散させるわけです。 対象を一点だけに絞らず、なるべく平面に接する面積を増やしていきます。 こちらは、押し花みたいなものですね。 ただし、あまり面積が増えてしまうと圧迫感があるので、どこか圧力を逃がす場所を作ってやります。 被写体の立体構造を観察しながら、平面にかかる圧力の計算をしていきます。

従来の点で接する方法では、なかなかこうした写真の力学を制御できなかったんですが、面で接するようになったことで、より柔軟に、より明確に制御できるようになりました。 最初からファインダーを覗いてしまうと、視点がそこに限定されてしまいますが、事前に被写体の立体構造を把握しておくことで、より客観的に、より効果的に判断できるようになりました。

これから、この面の扱い方を、あれこれ研究していきますね。

SIGMA 28-80mm MACRO

35-70mm F4に使うねじ込み式のフードを買いに、カメラのキタムラに行ってみると、これがジャンクコーナーに置いてあったんです。 レンズは埃まみれで、指紋でベタベタです。 でも、カビは生えてないみたいだし、外観もそんなに痛んでません。 α7Dだと、35mm換算で42-120mmになり、しかもマクロの倍率は0.5倍。なかなか良いなぁ。 値段を聞くと、税込でたったの525円。これは安い!

というわけで、迷わず購入。 35-70mm F4よりも、ズームの範囲が広く、マクロ倍率も2倍近く高いので、これは重宝しそうです。 密かに、SONYの新レンズDT 18-55mm F3.5-5.6 SAMを検討していたところだったので、ちょうど良いタイミングでした。 保証なしのジャンク品ではありますが、どうせ525円なんだから、もし使えなかったとしても諦めがつきます。

部屋に帰ってから、早速、無水アルコールでレンズを磨くと、傷も曇りもない、綺麗なレンズになりました。 AFも絞りもちゃんと動作するようです。 やったあ!これは掘り出し物だぞ! フードがないのが残念ですが、これはねじ込み式のラバーフードを買えば大丈夫でしょう。 これなら、ついでにラバーフードも買っておけば良かったなぁ。

試し撮りをしてみると、AFも速いし、マクロにしなくてもそれなりに寄れるし、使い勝手は良さそうです。 マクロは望遠端の80mm限定となり、この辺りは35-70mm F4と同じですが、マクロでもAFが使えるのが嬉しいところです。 写りの方は、ちょっとシャープさが足りないような、ちょっと色が滲んでいるような気もしますが、これだけ写れば十分ですね。

というわけで、しばらくメインで使ってみようと思います。

曇った空

曇った空も、たまには良いもんだ。

写真撮影のルール

午後から、慈眼寺公園に写真を撮りに行ってきました。

先日気づいたばかりの「写真を面で撮る」という感覚を、もっといろいろ試してみたかったんですよね。 レンズは、手持ちの中ではマクロに強い35-70mm F4を選びました。 公園に着くと、珍しく一眼レフを持ったお爺さんがいました。 お、仲間だ仲間だ、と思って見ていると、一脚で草むらをあちこち叩いて歩いています。 ん、何をしてるんだろう?何かの調査でもしてるのかな?

邪魔にならないように、少し距離を置いてからカメラを取り出します。 しゃがんで撮っていると、さっきのお爺さんが、相変わらず草むらをガサガサと叩きながら、こっちへとやってきます。 目が合ったので会釈をしたんですが、お爺さんは知らんぷりをして、せっせとあちこち叩いています。 なんか、感じ悪いなぁ。 カチンときたので、無遠慮にジロジロとお爺さんの様子を探ってみます。

しばらくすると、ガサガサと叩いていた辺りから、黄色い蝶が飛び出してきました。 お爺さんは、すかさずカメラに持ち替えて、その蝶を撮り始めました。 どうやら、草むらの奥に隠れていた蝶を、一脚であちこち叩くことによって、外におびき出していたようです。 なるほど、うまく考えたものだなぁ、と一瞬思ったものの、すぐにその思いを取り消しました。 ずいぶん蝶にひどいことをするなぁ。

別に、蝶を叩き殺して歩いているわけじゃないし、そんなに目くじら立てることもないような気もしますが、その行為には、やっぱりどこか違和感を感じます。 蝶を撮るという目的にはかなった行為ですが、ただ蝶が撮れれば良いというのは、違うように思います。 もし蝶に人間のような豊かな表情があったとしたら、きっと恐怖におののいた表情をしていることでしょう。

漁師が工夫を凝らして魚を穫るのと同じようにも思いますが、自分が生きるために穫るのと、自分の道楽のために撮るのとでは、意味が違います。 蝶を撮るのであれば、蝶が好きなはずだし、蝶を愛しているのなら、なるべく蝶を怖がらせないように注意するはずです。 そういう配慮ができないようであれば、撮れた写真もたかがしれてるような気がします。

少なくとも、私は見ていて不快な感じがしたし、同じ写真を撮る者として、とても恥ずかしく感じました。 仁王様に手を合わせていたおばさんも、犬を散歩させていたおじさんも、すれ違う時には「こんにちは」と挨拶を交わしました。 それは、公共の場である公園を、お互いに気持ち良く利用するための、基本的なルールです。 写真撮影にも、お互いに気持ち良く行うためのルールがあるはずです。

ただ写真という結果を求めるのではなく、撮影という過程も大切にしていきたいですね。

フードの効果に驚いた

早速、SIGMA 28-80mm MACROの試し撮りをしてみました。

このレンズは、ジャンクの現品限りだったので、フードがついていませんでした。 早速、オークションでねじ込み式のメタルフードを600円で落札したんですが、品物が届くまでは、フードなしで撮るしかありません。 これまでの手持ちのレンズは、すべてフード付きだったので、フードをつけずに撮るのは初めてです。 そういえば、フードって本当に役に立ってるのかなぁ。

というわけで、フードなし(左側)とフード代わりに手をかざした場合(右側)とで、撮り比べてみました。 時間はちょうどお昼時で、頭上には太陽がギラギラと輝いています。 すると、フードなしの方は、暗部が白っぽく浮き上がっていて、コントラストが低くなっていました。 同じ露出で手をかざした方は、暗部が引き締まって、コントラストが高くなっています。

これは、斜めからレンズに入ってきた光が、レンズの内部で乱反射するためで、フードは余計な斜めからの光を遮るためにあるわけですね。 原理としては知っていましたが、こうしてハッキリとした違いとして見せつけられると、その影響の大きさに驚かされます。 これからはもう、フードなしでは写真を撮れないなぁ。 ああ、早くフードが届かないかなぁ。

でも、この撮り比べでは、あくまでも手をかざした場合であって、レンズに取り付けられたフードの効果と一致するとは限りません。 そこで、昨日35-70mm F4用に買ったラバーフードで、その効果を検証してみました。 ラバーフードは、簡単に折り畳めるので、この実験にはうってつけですね。 左側がフードを折り畳んだ状態、右側がフードを引き延ばした状態で撮ったものです。

陽が傾いて光が弱まったせいか、ほとんどの写真で差異を認められませんでした。 それでも、何枚かはフードの効果がハッキリと現れていました。 フードは、深くなればなるほど効果が出ますが、広角になればなるほど、浅くなってしまいます。 ということは、広角ズームを使うよりも、標準ズームを使った方が、よりフードの恩恵を得やすいというわけですね。

APS-Cサイズのデジタル一眼レフでは、焦点距離が1.5倍になるので、それだけフードも大きくできます。 28-80mmだと、35mm換算では42-120mmになるので、50mm用のフードがギリギリ使えそうです。 遮光性という意味では、最強の組み合わせになりますね。 最近は、50mm前後の標準域の魅力に気づきつつあるので、これを機会にあれこれ試してみようと思います。

皆さんも、レンズにはフードをつけて撮影しましょう!

プロフィール

K-Hyodo

K-Hyodo

本名:兵頭 薫
鹿児島の30代男性
ソフトウェア作家を目指す

コメント・拍手は大歓迎!

K-Hyodo's Soft

どのソフトも、
Mac & Windows 両対応!

iKeyboard 3

本気で覚えるための、
キーボード練習ソフト。

ベクターソフトレビュー


PhotoMaster 2

撮影を楽しむための、
デジカメ写真管理ソフト。

ベクターソフトレビュー

Vector Best Online Soft of 2004


iKeyboard 2

ブログを読み返すための、
バックアップ表示ソフト

窓の杜 今日のお気に入り


マルチプラットフォームの統合開発環境REALbasicで開発しています。

Twitter

 

カレンダー

05 | 2009/06 | 07
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

ブログ内検索

アクセスカウンター

読書メーター

K-Hyodoさんの読書メーター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。