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相手との間合い

その昔、大学の心理学の講義で、対人距離というのを学んだことがあります。

先生は、女学生を一人前に立たせておいて、正面から歩きながら、徐々に彼女との距離を狭めていきます。 すると、1m辺りまで先生が近づいてきたところで、その女学生は体を仰け反らして先生を避けてしまいました。 当時、その女学生のことが気になっていた私は、「自分ならもっと近づけるのに!」などと、根拠のない自信をみなぎらせていたっけ。

具体的には、対人距離には次の4つがあります。

  1. 親密距離:0~45cm、手を伸ばせば届く距離
  2. 個体距離:45~120cm、お互いに手を伸ばせば届く距離
  3. 社会距離:120~360cm、手は届かなくても、すぐに対応が取れる距離
  4. 公衆距離:360cm~、対応は取れなくても、相手のことを認識できる距離

また、次のように分類する人もいます。

  1. 排他域:0~50cm、絶対に他人を入れたくない距離
  2. 会話域:50cm~1.5m、日常会話が行われる距離で、会話せざるを得なくなる
  3. 近接域:1.5~3m、会話してもしなくても良いが、しないと気まずい距離
  4. 相互認識域:3~20m、相手を認識することができて、挨拶が発生する距離

いずれにせよ、自分の腕の長さを基準にして、だいたい1倍、2倍、4倍、8倍という間隔で、目に見えない縄張りがあるようです。 よし、わかった!といって、かつての私のように、自信満々で30cmの距離まで近づいて写真を撮ったとしても、親密感のある写真が撮れるはずはありません。 ただ、迷惑そうに顔をそむける写真が撮れるだけです。

大切なことは、自分と相手との関係が、どの距離まで許されるものなのかを見極めることです。 もし、相手に興味があれば、少しずつ近づいていけば良いし、相手が迷惑そうなそぶりを見せれば、少しだけ離れてみれば良いのです。 安全な距離を保ったまま、相手の興味を探っていって、何かに反応すればまた近づけば良いし、大した反応がなければさらに遠ざかれば良いのです。

何だ、当たり前の話じゃないか。そうです。当たり前の話です。 ただ、注意すべき点は、相手との関係というのは、常にリアルタイムで変化しているということです。 もし、めでたく相手の親密距離まで到達したとしても、それ以後、自由に親密距離を行き来できるわけではありません。 相手の機嫌を損ねれば、親密距離は一転して排他域へと変化し、たちまち追い出されてしまうでしょう。

相手との心地良い関係を結ぶためには、無理に欲張らずに、常に相手との適切な距離を保つことです。 飼い猫のミーちゃんだって、飼い主の腕に抱かれてゴロゴロと喉を鳴らすこともあれば、台所からじっと飼い主の様子を伺うことだってあるんですから。 もし、相手が花だったとしても、無遠慮に近づいてマクロ写真を撮りだしたとしたら、きっと思わず顔を背けたくなるような強引な写真になるでしょう。

ちゃんと適切な間合いをとることができれば、たとえ離れていても、きっと良い写真になるはずです。

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反対側の世界

私にとって、写真はただの趣味に過ぎません。

だから、私は私の好きなように、写真を撮ります。 私以外の全ての人が、私とは違う写真を撮っていたとしても、私は自分の写真を撮り続けるでしょう。 いや、他人が同じような写真を撮れば撮るほど、私はそれとは違った写真を撮ろうとするでしょう。 その他大勢の人達にはない、自分だけのものを探そうとするでしょう。 天の邪鬼で偏屈者かもしれませんが、そうなんだから仕方ありません。

ただ、放っておけば良いのに、どうしようもなく他人の写真が気になってしまうことがあります。 何でこんな写真を撮るのか。こんな写真を撮って満足なのか。 どうしてこんな写真が撮れるんだ。こんな写真、自分には撮れないじゃないか。 う~ん、わからん。どういうつもりだ。くそ、くやしい、くやしいぞ!どうしてくれる! 俺だって、そういう写真を撮ってみたいよ!

要するに、自分には撮れない写真を撮っている人達がいて、そういう写真に大きな魅力を感じているんですよね。 でも、それを素直に認められないから、あれこれ屁理屈を作って誤摩化してるんです。 自分が作ったルールを自分で破ることになるから、それが気に食わないんです。 でも、そうやって自分を偽るのも、そろそろ限界です。 そうだ、俺はそういう写真が大好きだ!文句あるか!

じゃあ、どんな写真に魅力を感じているのかというと、現実から切り離された、写真だけの世界。 写真によって作られた、偽りの世界。現実には存在しない、迫真の世界。 以前の自分であれば、否定することしかできなかった世界。 人の判断を誤らせる、危険な世界。 限りない可能性を秘めた、甘美な世界。 意味が無意味になる、感覚の世界。 現実以上に、現実的な世界。 そんな世界に、どっぷり浸かってみたい!

実際のところ、今までだって、そういう世界を撮ってきてたんですよね。 ただ、現実の世界に、ずっと遠慮してたんですよ。 現実の世界から頂いた感覚だから、それを現実世界に還元しないと、現実世界に申し訳が立ちません。 確かにその通りなんだけど、半分は自分の感覚によって成り立ってるんだから、自分の中にある現実にだって、その半分をもらう権利があるはずです。

現実を、自分の都合の良いようにねじ曲げるのは絶対に嫌だけど、自分の中にある現実にも、もっと目を向けてあげてもいいんじゃないかなぁ。 いや、もしかしたら、自分の外にあると思っていた現実は、実は自分の中にある現実なのかもしれないぞ。 その辺りをハッキリさせるためにも、自分の中にある現実というものを、しっかりと見極める必要がありそうです。

ややこしい理屈はともかく、とにかく自分の反対側の世界のことを、もっと知りたくなってきたんです。 わかったつもりになってたけど、実は勝手に決めつけてるだけで、本当は全然わかってないのかもしれないなぁ。 いや、多分そういうことなんだろうな。 よし、それなら、思い切って反対側の世界を探検してやろうじゃないか。 そうすることで、相対的に自分の立ち位置も見えてくるかもしれないしね。

というわけで、あれこれ試してみることにしますね。

正しい写真の選び方

PhotoMaster 3のサムネイル表示で、写真を選べるようになりました。

iPhotoでは、連続した写真を選ぶ時には、まず余白をクリックして、そのままドラッグすることで、選択用の矩形領域を表示させ、その範囲の写真を選択します。 この方式は、ファイル操作でアイコンを選択したり、ドローソフトでオブジェクトを選択する時に良く用いられますが、基本的に平面上を自由に配置できるものに対して有効な方式です。

しかし、写真の場合は、その位置よりも順番が重要になってきます。 縦位置で連写した5枚の写真を選択して、向きを変更するとします。 iPhotoのような矩形選択だと、同じ行に5枚が並んでいれば良いのですが、途中で次の行に回り込んでしまった場合は、前の行を選択した後に、Commandキーを押しながら下の行を選択しなければなりません。 これでは、非常に不便です。

PhotoMasterでは、テキストを選択するように、行をまたいでドラッグするだけで、始点から終点までの写真を連続して選択できます。 PhotoMaster 2では、ドラッグで選択するためには、サムネイルのタイトルをクリックする必要があったので、少しわかりにくくなっていました。 そこで、PhotoMaster 3では、サムネイルのどの場所をクリックしても、そのままドラッグして連続して選択できるようにしました。

PhotoMaster 2では、不用意に選択が解除されてしまうことを嫌って、右端か下端の余白をクリックしないと選択が解除されないようになっていましたが、逆に選択を解除したい時にしづらくなっていました。 そこで、選択の動作をテキストとほぼ同様にすることで、違和感なく操作できるようにしています。 新たに選択し直すことで、それまでの選択は解除されますが、Commandキーを併用することで、それまでの選択を維持したまま、続けて選択することができます。

とりあえず、これでサムネイル表示の基本ができあがったので、次はいよいよ写真表示に移ります。 Threadによる時間差表示や、バックグラウンドでの前後の写真のキャッシュ、VectorGraphicsを利用した拡大・縮小やトリミングなど、PhotoMaster 2に欠けていた部分を強化して、より快適なものにしていきたいと思っています。 これが終われば、読込→選択→表示という一連の流れができあがるので、気分的にずっと楽になるはずです。

というわけで、引き続き頑張ります!

望遠レンズと梅の花

今日は、久々にα-7 DIGITALに70-210mm F3.5-4.5を付けて撮ってみました。

望遠レンズを付けて歩いていると、まるで物干竿を持っているかのような気分になります。 道の反対側でも、その場でパッと撮ることができるので、とっても便利です。 画角が狭く、背景も良くボケるので、画面を整理しやすく、いかにも一眼レフな写真を撮ることができます。 よ~し、今日は絞りを開放にして、ボケボケの写真をたくさん撮っちゃうぞ~!

雲ひとつない快晴で、空気はやや冷たいものの、日差しはすっかり春の暖かさです。 キラキラとした眩しさを感じながら、あれこれ写真を撮っていきます。 こういう日は、やっぱり一眼レフの出番だなぁ。 ただ、いつものように、なかなか思い通りに露出が決まらないので、ちょっとガックリ。 でも、そういう一眼レフのリズムにも、だいぶ慣れてきたような気がします。

裏山の公園では、梅がたくさん咲いていて、いろんな人達が、思い思いに楽しんでいました。 まだ五分咲きといった感じでしたが、丸いつぼみも可愛くて、なかなか良い感じです。 色とりどりの梅の花を狙ってあれこれ撮ってみましたが、何と、そのほとんどがピンボケでした。 おいおい、しっかりしてくれよ~。 露出は合わない、ピントも合わないじゃ、本当に困ります。

そんなこんなで、今日のベストショットは、下の写真に決定! ほとんどの梅の花が、何だか「その他大勢」的で、いまいち望遠レンズ向きじゃないなぁ、という感じだったんですが、この花だけは、妙な存在感があったんですよね。 これは!と迷うことなく縦位置に切り替えて、ビシッと撮ったら、バシッと手応えがありましたよ。 ややありきたりな気はしますが、これはこれでいいんじゃないかなぁ。

というわけで、少しずつα7Dの撮影リズムを受け入れつつある、今日この頃でした。

梅の正方形白黒写真

こちらは、GX200で撮った梅ですよ。

正方形の白黒で撮ると、実に不思議な世界になりますね。 せっかく梅が紅白の花を咲かせているのに、どれも同じように白く写っています。 でも、だからといって、梅の花の存在が薄れているかというと、そんなことはなくて、むしろカラーよりも存在感が高まっています。 正方形ならではの構図の安定感と、クッキリとした解像感が合わさって、とても勢いのある写真になっています。

斜めに伸びた枝に、一輪の梅の花。 でも、本当に撮りたかったのは、梅の花じゃなくて、左下の木の影だったりします。 ゆらりと伸びた木の影が、何だかとっても妖しげだったんですよね。 そのせいか、背景の二本の木も、どこか幽霊のような怖さを感じます。 梅の花もうつむき加減で、まるで魔の手から逃れようとしているかのようです。

こちらは、堂々とした二輪の兄弟花です。 正方形の場合は、主となる被写体を無理に中心からずらすよりも、堂々と中心に据えた方が、印象が良くなるようです。 背景には、まるで細かく砕けたガラスのような、ぎっしりと張り巡らされた神経細胞のような、複雑に入り乱れた枝々が覆っています。 この背景のおかげで、梅の花の真っ直ぐに上を向いた様子が、より印象的になっています。

この正方形白黒写真を、もっと極めてみたいなぁ。

髪の流れ

どこまでも、美しく。どこまでも、愛しく。

しばしの別れ

今日もまた、彼女が帰っていきました。飛行機だけどね。

自己実現、自己表現、自己演出

写真には、自己実現、自己表現、自己演出という、3つの面があるように思います。

自己実現を目指す人は、写真撮影の技術を習得することによって、社会に貢献することを目的としています。 撮影技術を磨き、発揮することによって、社会的な評価を得ることに、大きな喜びを感じます。 プロのカメラマンになったり、フォトコンテストの常連になったりする人は、このタイプです。 社会的な使命の下に活動しているので、プライベートな写真はほとんど撮りません。

自己表現を目指す人は、写真撮影という行為を通して、自分の個性を確立することを目的としています。 他人から良い評価をもらうよりも、自分自身が納得できる写真が撮れることに、大きな喜びを感じます。 芸術性の高い写真家として評価されたり、人知れず黙々と撮り続ける人は、このタイプです。 自分の内なる要求に従って活動するので、自分の嫌いな写真は断固として撮りません。

自己演出を目指す人は、誰かの写真を真似ることによって、自分の存在を広くアピールすることを目的としています。 自分好みの写真家に傾倒したり、同じ好みの人と出会うことに、大きな喜びを感じます。 有名な写真家の言葉を引用したり、同じ趣味の人達と仲良しグループを作る人は、このタイプです。 あれこれ写真について語ることが多い割には、あまり写真を撮ることは少なかったりします。

この3つは、1人に1つというわけではなく、1人に3つとも含まれるものです。 私の場合は、自己実現:4、自己表現:5、自己演出:1といったところでしょうか。 ブログを始める前は、自己実現:0、自己表現:10、自己演出:0でしたが、ブログに夢中になっていた頃は、自己実現:3、自己表現:4、自己演出:3で、ブログが低迷していた頃は、自己実現:0、自己表現:0、自己演出:10でしたね。

ブログを始める前は、ただひたすら自己満足の世界でした。 ブログに夢中だった頃は、撮る楽しみと、見る楽しみ、そして見せる楽しみのバランスが絶妙でしたね。 ブログが低迷してくると、何とかコメントをもらおうと、ずいぶん無理して写真を撮っていたものです。 今は、活動の場をフォトコンへと移すことで、これまでとは違った局面を迎えているところです。

これまでの経験では、最も大切なのは自己表現で、これがなければ、写真を撮る意味なんてないくらいです。 ただ、自己表現ばかりだと、自己満足に陥って、やがて閉鎖感に苛まれることになります。 そこから抜け出すためには、自己実現によって、社会的な結びつきを強化して、自信を回復する必要があります。 そのためには、自己演出が必要不可欠ですが、これが増え過ぎると、自分を見失うことになるので要注意です。

この3つのバランスを、うまく取っていきたいものです。

表現という表現

表現とは、内部の状態が、何らかの形で表に現れることを言います。

嬉しい時に笑ったり、悲しい時に泣いたり。 ちょっとした仕草に品の良さがあったり、何気ない会話に知性が光ったり。 そういった自然と表に現れてくる表現もあれば、意図的に表に現そうとする表現もあります。 効果的な愛の告白の仕方を考えたり、演劇で役を演じることで観客を感動させたり。 前者は内面が表面に出てくるに対して、後者は表面が内面に入っていきます。 同じ表現という言葉でも、その意味はまるで正反対です。

普通なら、内面は自然と表面に出てきます。 でも、時には、内面を表面に出すことで、自分が損をすることもあります。 そんな時は、内面を表面に出さないようにします。 すると、今度は逆に、内面を表面に出さなかったことで、自分が損をしてしまったりします。 そんなこんなの繰り返しで、人は少しずつ、適切な表現の仕方を学んでいきます。

その一方で、内面の状態に関わらず、表面の状態によって、周りに影響を与えてしまうことに気がつきます。 ある人は、巧みに表面を変化させることによって、自分が得しようとします。 またある人は、表面の持つ影響力に合わせて、内面を変えようとします。 演技したり、嘘をついたり。いじめられないように、目立たないように息をひそめたり。

中途半端な演技は相手を不快にさせますが、完璧な演技は、相手を感動させます。 その表現が持つ力だけでなく、それが演技であるという事実が、より相手を感動させます。 たとえ内面が伴っていなくても、機械によって内面が失われたとしても、その表面が必要充分なだけ再現されてさえいれば、人はその表現に感動するのです。

役者は、与えられた役を忠実に表現することが仕事です。 歌手は、与えられた歌を忠実に表現することが仕事です。 でも、役者も歌手も、内面が表面に現れた結果として、その仕事を選んでいます。 つまり、与えられた役を表現しているだけでなく、同時に自分の内面も表現しているわけですね。 もし、内面を押し殺して演技を続けたとしたら、きっとその仕事は長続きしないでしょう。

結果的に、表現は他人に影響を与えるだけでなく、自分自身にも影響を与えることになります。 つまり、自分の内面と表面、そして表現の影響力が、互いに密接に結びついて、絶妙なバランスを取っているわけですね。 内面だけでは自己満足で終わってしまうし、表面だけでは薄っぺらい表現になってしまうし、相手に媚びてしまっては自己嫌悪に陥ってしまいます。

自分に自信を持つということは、表現のバランスに自信を持つことなのかもしれません。

氷山のバランス

表現というのは、氷山の一角に過ぎません。

いくら作者が作品を作り込んだとしても、鑑賞者によって認知された表現が少なければ、それだけの作品として評価されてしまいます。 作品を正しく評価してもらうためには、鑑賞者が適切に表現を認識できるようにしなければなりません。 つまり、ただ表現をバラまくだけではダメで、適切な優先順位をつける必要があるわけですね。

最初に、作品を一目見ただけで、パッと目に入ってくる、印象的な表現が必要です。 もし、作品にこのインパクトがなければ、鑑賞者はすぐに次の作品へと目を向けてしまうでしょう。 しかし、せっかく目を向けてもらっても、その後に続くものがなければ、薄っぺらいものになってしまいます。 第一印象だけでは終わらない、次の表現が必要となってくるのです。

最初の印象が大きいので、次の表現は小さいもので十分です。 最初の表現とは異なる、異質な表現。 「おお!」の後の「あれ?」が欲しいわけですね。 そして、最初の表現と、次の表現の繋がりが見えた時、それは「ああ!」へと変わります。 こうした表現の三段論法は、表現を深める上で基本となる技術です。 いや、これはむしろ、人が物事を認識するために必要な過程と言うべきですね。

この写真の場合は、まず木の幹にある大きな膨らみに目がいきます。 その形状と陰影は、人を注目させるのに十分な働きをしています。 しかし、根の張りに合わせて視線を移していくと、そこに木漏れ日を浴びて輝く、一枚の落ち葉があることに気がつきます。 醜い木の瘤と、取り残された落ち葉。 その関係に思いを巡らせた時、木漏れ日の裏にある木陰の存在に気がつきます。 ああ、この瘤のある木は、今は新緑が豊かに繁ってるんだ!

結局、俳句の五・七・五のように、その韻律をヒントにしながら、その世界をより深く表現しているわけですね。 新緑という季語もあれば、木の瘤と落ち葉の間に切れもあり、写真ならではの客観写生や即興性もあります。 木の移ろいを想うことで余韻もあり、木の瘤や落ち葉による侘び寂びも感じられます。 単なる言葉や写真という枠にとらわれずに、より大きな表現をするためには、適切にバランスを崩すという絶妙なバランス感覚が必要なんですね。

単なる写真撮影の技術だけでなく、より大きな表現の技術も学んでいきたいですね。

野菜は生きている

半分使ったままで放っておいた白菜に、異変が起きていました。

何と、内側の小さな葉が、ぐいっと頭をもたげています。 根を断ち切られ、まっぷたつにかち割られているのに、この生命力。すごい、すごいぞ! まあ、食べ損ねた野菜から芽が出るのは別に珍しいことではないんですが、まるで「俺はここにいるぞ!」とザルの中から自分の存在をアピールしているみたいで、妙に気に入ってしまいました。

というわけで、バシバシ写真を撮っていたんですが、だんだん戦艦大和みたいに見えてきました。 ん、戦艦というより航空母艦かな?何だかちょっとカッコイイかも? というわけで、空母のイメージを膨らませながら、白菜に迫ってみました。 たまには、こういうお遊び的な撮影も楽しいものですね。 あまり切り詰めて撮ってばかりいては、息が詰まっちゃいますもんね。

この白菜は、味噌汁にして食べようかなぁ。

人生のための芸術

芸術にも、いくつかの派閥があるようです。

芸術のための芸術
(l'art pour l'artフランス 1845年クーザンが初めて用いた語) 芸術はそれ自身のために存在し、他の何ものにも制約されないということ。ゴーチエ・フローベールらが主唱。
人生のための芸術
(l'art pour la vieフランス) 芸術は人生に益する所があって初めてその存在の意義があるということ。ギュイヨーやトルストイはその主張者。

これは、広辞苑第五版からの引用ですが、なるほど、と思いました。 私は、芸術家を目指しているわけではありませんが、写真撮影を芸術活動のひとつとして捉えるとすると、人生のための芸術を目指していることになります。 そして、芸術のための芸術というものに対して、生理的な不快感を感じてしまうことに、納得するものを感じました。

芸術のための芸術は、芸術至上主義とも言われ、現実という束縛から逃れ、人間の中にある純粋な美のみを追求し、美こそが最高のものであるとたたえる、唯美主義へと発展していきます。 現実にある政治や経済、宗教や学問など、他のあらゆる存在から独立して、美という唯一の価値基準によって、自立した活動を行うこと。 これは、とても崇高な素晴らしい主張のように思えます。

確かに、理想としては魅力的ですが、そこには構造的な矛盾があります。 なぜなら、いくら芸術といえども、現実世界で活動しなければならない以上、現実との関係を放棄することは不可能だということです。 また、美を「唯一」の価値基準にしてしまうことで、独善的で排他的であることを許すことになり、社会的な危険性をもたらす可能性を秘めています。

一方、人生のための芸術では、現実から美を見出し、それを再び現実へと還元することによって、社会的に貢献することを目的としています。 芸術のための芸術では、美の追求という単一の価値観によるフィードフォワード回路となっていましたが、人生のための芸術では、人生に益するという新たな価値観によって、価値が現実と美意識の間を循環していくフィードバック回路になっています。

恐らく、芸術が素直に美を扱えない時期があって、芸術至上主義は、芸術が美を自由に扱えるようにするための独立宣言だったのでしょう。 ただ、勢い余って、美を唯一の価値としてしまったのは失敗でしたね。 反射的な感覚としての美だけでなく、その背後にある説得力のある認識可能な美があってこそ、その芸術に深みが出てくるはずです。

自分にも、相手にも、確かな手応えを感じられるような写真を、撮れるようになりたいなぁ。

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本名:兵頭 薫
鹿児島の30代男性
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