イメージの向こう
2008/08/20 14:35 写真詩
私からあなたへ。文章と、写真と、ソフトウェア。
2008/08/18 02:10 随想録
ホテルで一息ついたら、いよいよ燈花会に出発です。
外はすっかり暗くなっていて、商店街の人通りも実に賑やかになっています。 途中、高速餅つきの実演販売をしていた中谷堂のよもぎ餅を食べたりしながら、ゆるゆると歩いていきます。 すると、猿沢池のところで、小さな筒に入ったロウソクの灯りが、池を囲むように一面に広がっているのが見えました。 うわぁ、これは綺麗だなぁ。
浅芽ヶ原の会場に入ると、真っ暗な闇の中に、仄かなロウソクの灯りの道が続いていました。 夢心地の気分で歩いていると、遠くからマイクの音が聞こえてきました。 そう、お目当てのオカリナ演奏です。 ホテルを出るのが少し遅れてしまったので、間に合うか心配だったんですが、どうやら大丈夫だったようです。 なんだか、ずいぶん盛り上がってるなぁ。
ちょうど演奏の合間にステージ横にたどり着き、次の演奏を待ちます。 ステージに立っているのは、長い髪を後ろに結った、ダンディなおじさんでした。 軽快でいて若干微妙なトークにニヤニヤしているうちに、次の曲が始まりました。 そして、その音が耳に入った瞬間、その表現の豊かさに圧倒されました。 こ、これは凄い!
私は音楽は素人ですが、彼女は音楽関係者なので、すぐにその技術力の高さに気づいたようです。 「あ、この人プロやわ」。 実は、地元の青年団の素人演奏会みたいなノリだと思い込んでいたんですが、それが良い意味で裏切られたわけです。 私には良くわかりませんでしたが、「ちゃんと倍音が出てる!」「音が後を追いかけてる!」などと、真剣な顔つきで聴き入っていました。
そうして、お互いのレベルでオカリナ演奏を楽しみ、いよいよ最後の曲となりました。 オカリナ奏者の大沢さんが、曲の説明を始めます。 「これは、遠距離恋愛の曲です」。わぁ!私達のことやん! そう、私達はいきなり遠距離恋愛なんです。 「遠く離れていても、二人は同じ月を見ているんだよ」。 大沢さんの言葉と演奏が、心に深く染み入ります。
アンコールの曲では、オカリナを吹くと思いきや、いきなり若く張りのある声で尾崎豊を歌い出したりして、会場は大いに盛り上がりました。 私達はもう、すっかり大沢さんファンになってしまいましたよ。 帰りは、二人で月を眺めながら、ロウソクの灯りの中を歩きました。 大丈夫、二人なら、これからもきっとうまくやっていける。 だって、大沢さんがついてるんだもんね。
大沢さん、素晴らしい時間を、本当にどうもありがとうございました!
2008/08/17 03:30 写真集
高畑の駐車場で彼女と合流してから、ささやきの小径へと向かいます。
ささやきの小径は、志賀直哉の旧居のある辺りから春日大社へと向かう道で、春日大社の原始林の中をゆっくりと歩くことができます。 この一帯は、春日大社の神聖な場所として、千年以上もの長い間、伐採を禁じられてきたそうで、森林が極相に達しているんだとか。 途中、鹿が休んでいたり、絵を描いている人がいたり、本を読んでいる人がいたりして、それぞれが思い思いの時間を過ごしていました。
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私達はというと、ゆるゆると歩きつつ、私が写真を撮っている姿を彼女がじっと眺めていたり、彼女が指差しているところを私が写真に撮ったりしていました。 ただ、それなりに付き合いは長かったものの、こういう関係として会うのは初めてだったために、顔を合わせる度に照れ笑いを浮かべ合っていました。 いつの日か、この原始林のように、落ち着いた表情で見つめ合える日が来るのでしょうか。
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それでも、初めてのデートだというのに、まるで長年連れ添ってきたかのようなゆったりとした安心感があって、それがとても心地良かったです。 私が撮影に没頭し過ぎることもなく、彼女が何を撮れと指図することもなく、自然と同じものを見て、同じことを感じていきます。 それぞれに、感じたことを違った言葉で話しながら、お互いにその言葉に納得し合います。
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そうこうしているうちに、ささやきの小径は終わり、金龍寺の鳥居が見えてきました。 この辺りには、春日大社に付随する摂社・末社が集まっていて、他にもたくさんの神社が並んでいます。 その中でも、お目当ては縁結びのご利益があるという夫婦大国社です。 早速お参りしようとすると、履物の向きやお尻の向きなど、あれこれと注意を受けてしまいました。 う〜ん、何だか姑さんみたいだなぁ。
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その後、彼女の希望で、音楽や芸術などにご利益があるという宗像神社をお参りしてから、いよいよ春日大社の本殿へと向かいます。 この日は、特別に奥の方まで入れたんですが、暑くて歩き疲れたというのもあって、お参りするだけで済ませました。 帰りは、鹿苑の横を通り、飛火野へと出てきました。 時刻はちょうどお昼時。ビニールシートを敷いて、お昼ご飯にしようっと。
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さてさて、お弁当の中身は何かな?
2008/08/16 15:23 写真集
鹿と戯れた後、さらに先へと歩いていきます。
奈良の町は、燈花会というイベントの真っ最中で、あちこちで特設会場が設営されていました。 燈花会は、奈良の町をロウソクの灯りで満たしてしまおうというもので、今年でちょうど10回目を迎えるということでした。 今回の奈良の旅で、楽しみにしているもののひとつだったので、ぐぐっと期待が高まります。 そうして歩いているうちに、春日大社の一之鳥居が見えてきましたよ。
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春日大社の境内に入ると、立派な木枠の灯籠や、竹で編んだ灯籠が設置してありました。 さすがにこれらの大型の灯籠は、電球で灯すようになっていましたが、夜になるとどんな光景になるのか、とても楽しみです。 夜になると、小さなロウソクの灯りが、辺り一面にずらりと並ぶんですよ。 燈花会の写真はネットで検索して見ていましたが、やっぱり本物を生で見ると、印象もずいぶん違うんだろうなぁ。
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途中から境内を離れて、道路を歩いていきます。 春日大社では鹿が神の使いとされていて、それで鹿がたくさんいるわけですね。 でも、伏見稲荷では狐が神の使いとされているのに、狐が放し飼いになったりはしてないよなぁ。 道路の脇には、鹿の飛び出し注意の標識が並んでいて、電信柱には鹿のイラストが描かれています。 もちろん、バスも鹿バスになっていて、まさに鹿づくしといった感じです。
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この辺り一帯は、飛火野と呼ばれていて、大きな広場になっています。 条件の良い時には、鹿の群れが走り回る姿も見れるそうなんですが、暑いからか鹿の群れは見当たりませんでした。 でも、清々しくてとても気持ちの良い場所でしたよ。 飛火野を抜けたところの高畑駐車場で、今回の奈良デートのお相手と待ち合わせです。 木陰に腰を下ろしながら、ワクワクしながら彼女の到着を待ちます。
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いよいよ、これからが本当の旅の始まりですよ!
2008/08/15 13:01 写真集
というわけで、奈良に行ってきましたよ。
夜間高速バスに乗り込み、翌朝には大阪の難波に到着。 そこから懐かしい近鉄電車に乗り換えて、地下の近鉄奈良駅から上がってみると、いきなり「ひがしむき」の看板が! そうか、こっちは東向きかぁ。 どうやら、ここは「ひがしむき商店街」の入口のようです。 こういうベタな名前って、いかにも駅前の商店街っていう感じで大好きです。 道路側にはたくさんの標識が並んでいて、観光名所の貫禄十分です。
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この駅前の道を東向きに歩いていくと、大きな注意書きが目に入りました。 奈良公園のシカに関する注意書きです。 5〜7月が繁殖期、9〜11月が繁殖期ということで、8月は安全な時期みたいなので安心しました。 さらに先へ進むと、大きな案内地図を発見。 ここは、ちょうど興福寺の横みたいです。 案内地図の横には、鹿せんべいの売店があって、その後ろにはシカ達が客はまだかとたむろしています。
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ここはやっぱり買ってみなくちゃ、ということで150円の鹿せんべいを買うと、待ってましたとばかりに立派な角のオスジカがやってきました。 さっき注意書きを読んだばかりだったので、内心ビビりながらも様子を見ていると、早くくれよと大きな角で小突いてきます。 わかったわかった、わかったから落ち着け。と言ったところで話が通じる相手でもなく、小突き回されながら、なんとか鹿せんべいの封印を解いて、一枚ずつ与えていきます。
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ところが、一枚ずつでは物足りなかったのか、一瞬の隙をついて、残りの鹿せんべいを全部奪われてしまいました。 ひゃあ〜、積極的! すると、どこからともなくメスジカがやってきて、地面に落ちた鹿せんべいを一緒に食べ出しました。 むむ、これはもしかしたら、夫婦一組の連係プレーだったのか! 鹿せんべいに夢中になっているのを良いことに、じっくりとシカを観察します。 う〜ん、実に立派な角だなぁ。
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密かに、一枚だけ鹿せんべいを回収していたんですが、すぐにそれもバレてしまって、またもや猛烈な催促が始まります。 これはたまらん!というわけで、メスジカに鹿せんべいを渡すと、あっという間にそれを食べてしまいました。 今度は本当になくなったと悟った彼らは、何事もなかったかのようにお尻を向けて、鹿せんべいの売店裏へと帰っていきました。 次の客が来るのを、じっと待つつもりなのでしょう。
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そんなシカのパワーに圧倒されながら、奈良の旅が幕を開けたのでした。
2008/08/12 04:53 随想録
驚くほど、話の合う人がいる。
とりとめのない話をしていたはずなのに、いつの間にかイメージが膨らんで、そのイメージを共有しながら、違和感のあるところを修正したりしてるうちに、自然とイメージが明確に姿を現していく。 全く予想外の、思わず笑ってしまうようなイメージなのに、それが実にしっくりときて、当たり前のように納得してしまう。 それは、ただの冗談というにはあまりに力強く、知らず知らずのうちに理解が深まっていることに気づく。
相手の話を聞いているはずが、いつの間にか相手の言葉を自分が引き継いでいたりして、思考がお互いに溶け合っていく。 それぞれ考え方は違っていても、どこかで同じものを感じていて、それぞれのやり方で、同じものを拾い上げていく。 お互いにそのつもりはなくても、自然と建設的な意見が飛び交い、見る見るうちに新しいものが生まれていく。 そう、苦労して作り上げていくのではなく、自然と生まれていくのだ。
長年生きてきた中で、これは初めての体験。 未来への不安は消え失せ、代わりに期待と希望に満たされていく。 そこから何が生まれるのかは、まだわからない。 でも、新しいものが次から次へと生まれていく気配がある。 きっとうまくやっていけるという、確かな手応えがある。 その存在を感じるだけで、全てがうまくいくという安心感がある。 後はただ、行動するのみ。 考えることよりも、行動することがこんなに楽しかったなんて。 これなら、いくらでも行動できそうだ。
心地良い関係に義務はなく、自由と責任があるだけ。 お互いの関係が自由を生み、自由が責任を育てる。 自由は無限の発想を生み出し、責任は確かな行動を生み出す。 責任は自由な発想の中から法則を見出し、自由は責任の行動範囲を広げる。 自由は責任を必要として、責任は自由を必要とする。 そして、自由と責任が絶頂に達した時、無限を生み出す創造の扉が開く。
ああ、そうか。こういうことだったのか。
2008/08/10 04:46 随想録
一人の人の中には、たくさんのものが詰まってる。
人によっては、それがどんどん増えていったり、場合によっては、足りなくなったりしてる。 増えたものは、やがてこぼれ落ちて、誰かの中に入っていく。 穏やかな水面に波紋を広げたり、大きな飛沫となって別のものを弾き飛ばしたり、乾いた地面を潤したり。 それが足りてない時は、たくさん持っている人に分けてもらったり、なんとか増やそうと必死になったり。 そうやって、自分の中を満たそうとする。
自分がどんなにたくさん持っていても、それを誰かに与え続けていれば、いつかは足りなくなってしまう。 どれだけ欲張って集めても、自分の器以上のものは、どんどんこぼれ落ちてしまう。 その器に穴が開いていれば、いつまでたっても満たされることはない。 人は、たくさん持っている人の周りに集まるけど、穴の開いた人には誰も近づかない。 たくさん持っている人も、穴の開いた人には何も与えない。
それを増やす方法を知っている人は、たとえ減っても焦らない。 外に出て、落ちているのを拾ったり、余っている人からもらったり、すでに持っているもの同士を組み合わせたりする。 増やす方法を知らなかったり、忘れてしまったりした人は、多く持っている人から分けてもらうことをあてにしたり、早く寄越せと命令したり、どうして分けてくれないのかと詰ったりする。 そして、それが当然だと思っている。
たくさん持っている人は、同じようにたくさん持っている人と、お互いにたくさん交換し合ってる。 少しだけ持ってる人は、少しだけ持ってる人と、お互いに少しずつ交換し合ってる。 時には、たくさん持っている人が、少ししか持ってない人に与えたり、少ししか持ってない人が、たくさん持っている人に与えたりすることもある。 そうやって、時にはたくさん、時には少しずつ、ものが循環していく。
たとえ、相手が自分の欲しいものを持っていたとしても、自分が相手の欲しいものを持っていなかったら、ものを交換することはできない。 自分は大したものは持っていないと思っていても、相手がそれを欲しがっていたら、ちゃんとものを交換することができる。 だから、お互いに欲しいものを持っている人と出会ったら、なるべくその人と交換するようになる。 すると、安心して交換できるようになる。
そういう人に出会えたとしたら、それはとても幸せなことだと思う。
2008/08/04 01:24 随想録
「初心忘れるべからず」この諺に惑わされていませんか。
何かを始める時には、必ず何らかの動機が必要だし、初心はその動機を支える原動力になります。 でも、その初心というのは、常に正しいとは限りません。 何しろ、行動を起こす前のものだけに、机上の空論みたいなものだったり、情報が古くて現状に合わなかったりで、ハッキリ言ってしまえば、使い物にならない過去の遺物に成り下がってしまうものなんですよね。
最初は、とても内容の濃い初心だったのに、活動を続けて経験を積んでいくごとに、少しずつ広がっていきます。 成長したと言えば聞こえが良いですが、どんどん密度が下がって薄まってしまうので、次第に物足りなさが募っていきます。 外から見れば、とても大きな存在に見えても、内から見れば、とても希薄な存在だったりします。 いいのか?本当にそれでいいのか?
すでに形作られてしまったものというのは、効率は良くなるものの、その存在価値は下がっていきます。 完成されたパターンに流し込んでいけば、大量生産が可能になる代わりに、単価も下がるというわけですね。 新しい価値を加えるためには、新しい視点が必要不可欠です。 つまり、既存の枠を取り払って、自由な視点を手に入れる必要があるわけです。
でも、ただ破壊するだけでは、そこからは何も生まれません。 確からしいものから順に検証していって、枠組みの再構築をしていかなければなりません。 そうして、作っては壊し、作っては壊しを繰り返して、本当に確かなものを、少しずつ手にしていくのです。 こうした苦労の末に手にした、わずかばかりの真実。 それが、これからの新しい初心になっていくのです。
「初心忘れるべからず」とは、過去の初心を引きずることじゃなくて、新しい初心を求め続けることなんですね。

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