ありがとう 第2うめかハイツ 後編

アパートの大家さんは、とても変わった人でした。

大家さんはこの辺りの地主さんで、内科のお医者さんでした。 ただ、家賃収入で月に200万円以上の収入になるらしく、本業の方はかなり怪しいものでした。 まず、建物が派手な紫色で、さらに赤や橙でコーディネイトされています。 家賃を払いに行くと、待合室では全国の都道府県の電話帳が出迎え、診察室はテレビとビデオデッキで埋め尽くされていました。 奥の部屋には無数のテープコレクションがあり、各物件の鏡張りの車庫には自慢のコンパクトカー達が鎮座していました。

うちのアパートは、大家さんの診療所から二軒隣になるんですが、裏に秘密の通路が通っていて、家賃の取り立てや自慢のコンパクトカーを眺めるのに使っていたようです。 しかも、廊下の隅には呼び出し用のスピーカーまであって、面倒な時にはこれで呼び出したりもしていたそうです。 靴箱はお古の棚で、分厚い漫画雑誌を積み上げて支えています。 左の引き出しは年賀状、右の引き出しには「サイモチンS」のラベルがあり、こんなところでお医者さんらしさを垣間みることができます。

その大家さんが亡くなってからは、息子さんが不動産業を引き継ぐことになりました。 私が今の部屋に移りたいと話すと、大家さんは畳の部屋をフローリングに変えて、エアコンまで設置してくれました。 この部屋は、これまでの二階とは異なり、専用の階段を使うようになっています。 下は台所、三方は窓に囲まれていて、他の部屋とは隔離された状態なので、物音が気になることもありません。 部屋は広いし明るいし、床はピカピカだし、とても同じアパートとは思えないほどの贅沢さです。

この部屋に移ったのは、2000年の6月なので、ちょうど8年前ですね。 いくつかの挫折の後に、これからはパソコンで独力で生きていくぞと決心した年でもあります。 四畳半の時の不安は微塵もなく、大きな希望に満ち溢れていました。 これからは、自分の力だけで、自分の人生を切り開いていくんだ。 誰にも負けないような、立派なものを作り上げてやるぞ。 この8年間、回り道をしたり、絶望に打ちのめされたりもしましたが、なんとかここまでやってきました。 これからも、きっとなんとかなるでしょう。

横の窓を開けると、目の前に隣のマンションの壁があり、そのすぐ上に窓が見えます。 布団を敷いて寝転がると、ちょうどこの窓が目に入ります。 この窓が開くことは滅多にありませんが、たまに女の子同士の話し声が聞こえてくるので、きっと女の子が住んでるんでしょう。 でも、窓伝いで仲良くなるような漫画みたいなことはありません。 道路側の窓を開けると、外が丸見えになります。 外の道はちょうど短大生の通学路になってるんですが、やはり窓伝いに仲良くなるなんてことはありません。

それでも、ドラマ「傷だらけの天使」のペントハウスを思わせるこの部屋は、とっても大好きです。 綺麗なのは床だけで、壁は隙間だらけだし、天井はボコボコにふやけてるし、雨が降るとドアが閉まりにくくなるしで、やっぱりオンボロ部屋だったんですが、それだけに気兼ねなく好き放題できたし、とても快適な暮らしを満喫できたんですよね。 四畳半の部屋と違って、この部屋は幸せな思い出がたくさんつまっています。 今まで、本当にどうもありがとう!

まだ見ぬ新しい部屋では、一体どんな生活が待っているのかな?

ありがとう 第2うめかハイツ 前編

長年住み慣れたこのアパートが、ついに取り壊されることになりました。

昨日、うちのエアコンの調子が悪かったので大家さんに電話してみると、お話があるから明日伺いますということに。 えっ、お話って何だろう?良からぬ想像が、あれこれと浮かんでは消えていきます。 とりあえず、大家さんの心証をできるだけ良くするために、部屋を徹底的に掃除して、ミーちゃんも一時退避させます。 さあ、後は大家さんを待つばかり。ハラハラ、ヒヤヒヤ、ドキドキ。あ、来た〜!

エアコンの調子を見てもらってから、切り出された話というのが、取り壊しの話だったんです。 このアパートの入居者は5名で、月の家賃収入は10万程度。 そのうち、6万円が電気代に消えていき、その他の固定資産税などを含めると、ほとんど採算が合わないんだとか。 家賃据え置き、引越し費用持ちで、別のより良いお部屋をお世話させていただきますという、とても有り難いお話でした。

願ってもない話に大喜びでしたが、その興奮が収まると、何だかとても寂しくなってきました。 このアパートはどうしようもないボロですが、波瀾万丈の思い出がぎっしり詰まっています。 それに、こんなに個性的で味のあるアパートなんて、そうあるものではありません。 というわけで、これまでの感謝の気持ちを込めて、このアパートの写真を撮ることにしました。

このアパートに入居したのは、ちょうど10年前の1998年の7月です。 大学院を休学することにして、学生寮を出なければならなくなり、近場でとにかく安い物件ということで見つけたのが、この四畳半でした。 家賃は1万2千円で、9畳の部屋を薄い板で仕切ったような造りで、隣の音が丸聞こえで、蛍光灯のひもを引く音まではっきり聞こえました。 初めての夜はとても心細くて、天井がとても高く感じたものです。 運良く、奥の部屋に友人が住んでいたのが、唯一の救いでした。

このアパートは、中国人の留学生が多かったので、まるで中国に引っ越したような気分でしたね。 隣の中国人が、夜中に鍵をなくしたといって騒いだ時は、いきなりうちの部屋に入ってきて、窓伝いで隣に移ろうとして揉み合いになったことがありました。 長い帰省から戻ってみると、電気メーターが異常に回ってたりということもあったっけ。 ハムスターのカゴにネズミが紛れ込んだこともあったなぁ。 明日の朝が早いのに、中国人達が夜中の3時まで大宴会してた時は、本当に腹が立ったなぁ。

そんなわけで、同じアパートの9畳の部屋が空いた時には、喜んで移ったのでした。

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