権威主義の終焉
2007/04/30 17:22 随想録
時代は、世代間の対立によって変化していきます。
しかし、古い世代との競争を勝ち抜いたとしても、今度は新しい世代との戦いが待っています。 与えられる選択肢は二つ。 一つは、自分の築き上げてきた方法論に固執して、こだわり続ける道。 そしてもう一つは、新しい世代に迎合して、新しい可能性を探る道。 前者は過去の英雄にして頑固親父、後者は自由主義者で軟弱者。 でも、これって二者択一の問題じゃないんですよね。 両方選ばないともったいないと思いますよ。
どんなに新しいことも、突き詰めて考えれば考えるほど、どんどん形式的になっていきます。 そして、あらかじめ決められた手順通りにすれば、誰でも同じようなことができるようになります。 そうやって、新しい表現が一般化することで、その新しい芸術は、新しかった芸術として役目を終えます。 その代わり、新たに権威ある形式主義が現れて、ああすべきだ、こうすべきだ、と猛威を振るい始めます。
ただ、そういう権威主義が通用したのは、マスメディアの影響力が大きかった頃の話です。 今では、情報化社会やITといった言葉が陳腐に思えるほど浸透して、特に若い世代では情報の取り扱いが実にうまくなっています。 つまり、生の情報をそのまま鵜呑みにしないという、情報に対する免疫力が身に付いているわけです。 だから、テレビや雑誌などのマスメディアの情報を、作られた偽物の情報として逆に楽しんだりしているんですね。
そういうわけで、権威が権威を誇示すればするほど、若者達はそれを笑い者にして、馬鹿にします。 ただ、いわゆる反体制、反権力みたいに、何でもかんでも否定して反発しているかというと、そういうわけでもありません。 自分が良いと思ったものには、それが何であれ、素直に敬意を表する謙虚さも持ち合わせています。 ところが、残念なことに、せっかく感じたことを、うまく表現することのできない人が多いんですよね。
いわゆるポストモダニズムがそうであったように、感じたことを表現することと、表現することを表現することの違いが曖昧なんですよね。 あらゆる情報に囲まれた世界、つまり、常に多種多様な表現に囲まれて生きているわけですから、表現そのものに感動してしまうという状況になってしまうのも、仕方がないのかもしれません。 でも、そういう仮想化された世界に生きることは、現実を見失う危険性も抱えています。
これからは、形式的な表現や、再帰的な表現よりも、現実的な表現の時代なのかもしれませんね。




























































































