人間の論理学

プログラミングでは、論理演算が良く使われます。

「コンピュータは、物事を "0" か "1" かで判断している」なんて良く言われますが、この「 "0" か "1" か」を判断するのが、論理演算というわけです。 論理演算には、否定(not)、論理積(and)、論理和(or)、排他的論理和(xor)などがあります。 それでは、それぞれの演算結果を見てみましょう。

否定
not
not 0 = 1
not 1 = 0
論理積
and
0 and 0 = 0
0 and 1 = 0
1 and 0 = 0
1 and 1 = 1
論理和
or
0 or 0 = 0
0 or 1 = 1
1 or 0 = 1
1 or 1 = 1
排他的論理和
xor
0 xor 0 = 0
0 xor 1 = 1
1 xor 0 = 1
1 xor 1 = 0

否定は、"0" と "1" を入れ替えます。 論理積は、両方とも "1" の時だけ "1" になります。 論理和は、どちらかが "1" の時に "1" になります。 排他的論理和は、互いに数値が違うときだけ "1" になります。 否定は反対にするわけだし、論理積や論理和は名前の通り掛け算や足し算をするだけだし、排他的論理和も名前通り排他的にどちらかを選ぶだけなので、理解しやすいかと思います。

しかし、これと同じことを人間もしているとしたら、あなたはどう思いますか。 「馬鹿野郎!人間とコンピュータを一緒にするな!」「いやいや、突き詰めれば人間もコンピュータも同じじゃないかな」「全く同じということはないだろうけど、共通するところはあると思うよ」「そんなことはない、人間とコンピュータは全く別の存在だ」 人間ですから、人それぞれ、いろんな考えがあると思います。

でも、注意深く見てみると、これらの考え方も、それぞれ、否定、論理積、論理和、排他的論理和になっていることがわかります。 つまり、人間もコンピュータも、どちらも論理演算をしているんですね。 もちろん、だからといって、人間とコンピュータが全く同じだというわけではありません。 なぜなら、コンピュータは人間から指示された通りにしか、これらの演算を行うことができないからです。

これらを、人間の性格に当てはめてみるのも面白いものです。 否定型人間は、ひねくれ者で、何にでも異議を唱えます。 論理積型人間は、勝手な行動を許さず、他人に同じ行動を強要します。 論理和型人間は、お互いの個性を認め、皆で力を合わせて行動します。 排他的論理和型人間は、人と同じことを嫌い、常に違うことをしようとします。 実際には、一人の人間が全ての回路を持ち合わせているわけですが、特定の回路を好む傾向はあるかもしれませんね。

あなたは、どのタイプだと思いますか?

空気は読むより吸う方がいい

あなたは、空気を読む自信がありますか?

正直なところ、私は人並みにその場の空気を読むことはできますが、残念ながら、その空気に合わせることができません。 その場の空気に合わせるよりも、むしろ、その空気を引っ掻き回してやろうと思ってしまいます。 小学生の頃、授業参観になると、いつもと違う白々しい真面目な空気が可笑しくて、わざと周りの友達にちょっかいを出したりしたものです。 この性格は、今になっても変わっていません。

ただ、見境なく場の空気を乱しているわけではありません。 まず、普段の雰囲気を知っていること、次に、周りが本心を隠そうとしていること、最後に、深刻な問題を抱えていないこと、というのが条件になります。 つまり、柄にもないことを言ったりして見栄を張ろうとしている人達を見ると、からかいたくなるわけですね。 また、大真面目に建前を振り回したりする場合は、相手に突っかかっていくことになります。

一般的に、仲良しグループが和気あいあいと慣れ合っている時に、部外者が余計なことを言ってしまった時に、「空気を読め!」と言われます。 皆で楽しい時を過ごしている時に水を差すな、というわけですね。 この時、余計な一言を発してしまう理由として、自分のわからない話で盛り上がっているのが許せなかった、馬鹿正直に相手の会話の問題点を指摘してしまった、などが挙げられます。

その是非は別にして、楽しい会話を楽しむためには、その集団内で、会話の元となる情報と価値観を共有する必要があります。 つまり、円滑な会話のためには、共通のデータとプロセスが必要なわけです。 通常は、似た者同士で集団を形成するので問題はありませんが、クラス分けなどで無作為かつ強制的に集団が作られた場合、集団内で個人同士が衝突することになります。

しかし、混乱は長くは続きません。 お互いにぶつかり合い、混ざり合うことで、その集団内で共通の認識が形成されていくからです。 この時、短期的には力の強いもの、数の多いものが勢力を広げていきます。 ところが、ある程度の統制が取れたところで、内部崩壊が始まります。 積み木を乱雑に積み重ねても、ある程度の高さになるとすぐに崩れてしまうのと同じですね。

次に勢力を広げるのは、観察力に優れた人達です。 彼らは、力任せに積み上げられてきた中から、使えるものだけを選び出していきます。 そして、より効率良く、そしてより高く、積み木を積み上げていきます。 でも、これもある程度進んだところで、積み木を持つ手が止まってしまいます。 観察によって得られたものを、全て出し切ってしまったからです。

そして、次に現れるのが、構成力に優れた人達です。 彼らは、観察力に優れた人達が材料を吟味しているのを注意深く観察しながら、その法則性を見抜いていきます。 そして、それまで存在しなかった全く新しい方法で、さらに積み木を積み上げていきます。 しかし、これまた、ある程度進んだところで、体力の限界が来てしまいます。 すると、彼らのやり方を覚えた力自慢の連中が、後を引き継ぎます。

こうして見てみると、人にはそれぞれ役割があって、リレーのようにバトンを渡しながら、より高い場所を目指して積み木を積み上げていっていることがわかります。 しかし、もし「空気を読め!」といって、バトンを持たない人達を押さえつけてしまったら、成長はそこで止まってしまうでしょう。 本当に空気を読める人は、バトンタッチをするタイミングを見極めることができる人のことです。

たとえば、いじめ問題なんかが良い例です。 小中学生にいじめが多いのは、集団内で自我が芽生て、最初の力任せ・数任せの集団が形成されるからです。 高校生になると、観察力に優れた集団によって、集団の機能が洗練されるため、いじめは減少する代わりに、より陰湿なものになります。 大学生になると、いじめは古くてつまらないものになり、その構成力を活かして、理想の実現に燃えるようになります。

社会人になると、組織内で分業化が行われるため、理論上はいじめは消滅します。 しかし、実際には、組織の構造に欠陥があったり、組織が円滑に運営されるとは限らないため、あちこちで歪みが生じます。 この時、うまくバトンが回っていれば、構造が見直されたり、管理が徹底されたりするわけですが、ここで形骸化した方針などに固執してしまうと、組織が内部崩壊を起こしたり、他所に追い越されたりしてしまいます。

つまり、空気は読むよりも、適度に換気をしながら深呼吸した方が、ずっと役に立つわけですね。

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K-Hyodo

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鹿児島の30代男性
ただし、万年16歳
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