新ブログの更新状況

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画鑑賞の教訓

私は、映画を観るのは好きな方ですが、映画のレビューを読むのはあまり好きではありません。

それでも、自分が見終わった映画を他の人がどう感じたのかは、やっぱり気になるものです。 そこで、映画を見終わった後は、とりあえずCinemaScapeでコメントやレビューをチェックするわけなんですが、いつも読んでしまったことを後悔してしまうんです。 特に、赤いネタバレのレビューを読むと、映画を観たことすら後悔してしまいます。

観る人によって、受けた印象や映画の解釈が変わってくるのは、当たり前の話です。 そうした個人的な感想というのは、自分と同じだと嬉しいものですが、違ったら違ったで面白く、むしろ大きく違っていた方が「なるほど」と思えるぶんだけ楽しめたりします。 でも、中には、そういう個人的な感情を一切抜きにして、ひたすら映画を客観的に捉え、記号化し、意味の解釈に明け暮れる人達がいます。

もちろん、それはそれでひとつの映画の楽しみ方であり、それを否定するつもりはありません。 ただ、そういう書き込みを読むと、自分の観た映画がものすごく陳腐なものに思えて、がっかりしてしまうのです。 自分がその映画を手放しで楽しんでいたわけではなかったとしても、たとえその人と同じように考えていたとしても、どういうわけか、げんなりとしてしまうのです。

ここまでの文章を読み返して、ふと気がつきました。 私は、他の人がその映画をどう「感じた」のかが知りたかったのであって、その映画の「解釈」を知りたかったわけではないということです。 私は、他の人が感じたことを知ることで、自分と同じ感じ方をした人を見つけて安心したかったんですね。

映画を見て感じたこと、つまり映画を「体験」することによって得られた「感想」と、映画を「記号化」することによって得られた「解釈」。 映画を観終わった直後は、体験による感想が多数を占めますが、その興奮が収まるにつれて、体験した内容は記号化され、さらに体系化されて、やがてひとつの解釈へと変わっていきます。

そう考えると、私の感じた不満に対する新たな理由が見えてきます。 私は、映画を観終わった直後の、まだ自分の解釈が出来上がっていない状態で他人の解釈を読んでしまったために、自分の体験から自分の解釈を作り上げていく過程を妨害されてしまったのです。 そのため、納得のいく解釈を得ることができないという欲求不満になってしまったわけですね。

でも、十分に時間を置いた後でも、やっぱり嫌な気分になるレビューというのがあります。 そういうレビューというのは、映画上のありとあらゆるものに意味を求め過ぎて、もはや実感を伴わない解釈のための解釈が行われている場合がほとんどです。 それは、ただ単に私の認識の浅さからくるものかもしれませんし、相手の深読みのし過ぎによるものかもしれません。 いずれにしろ、十分な根拠を持たない解釈は、人に不快感を与えることは確かなようです。

新しい体験の後には同意を求めること、体験の解釈には時間がかかること、解釈の説明には十分な根拠が必要なこと。 映画鑑賞から、3つの教訓を得ることができました。

スポンサーサイト

良い夢を!

皆さん、良い夢を見てくださいニャ。

心の中の闇と光

人には誰でも、誰にも見せられない闇の部分があります。

心の闇は、もちろん私にもあります。 ちょっとした些細なことで、脆くも傷ついてしまうことがあります。 傷ついた心には、次第に闇が覆い始め、手に負えないぐらいに硬直し、それはやがて鋭い刃物となって外へと突き出します。 私はそれを見て見ぬふりをして、ぷいと後ろを向いてしまいます。

尖った心は、自分自身を傷つけ、触れた相手をも傷つけます。 ぼろぼろになった心は行き場を失い、ゴミのように崩れ落ちます。 もうどうでもいいや。 そう思い込もうとしても、私にはもうどうすることもできません。 唯一できることは、これまでに溜まった黒い闇を、思い切り吐き出すことだけです。

すべてを吐き出してしまうと、少し心が楽になってきます。 ぼんやりとたたずんでいると、やがて少しずつ、暗い闇が晴れていきます。 闇の中から、おぼろげながら、はっきりした形が見えてきます。 辺りに強い風が吹き荒れ、あらゆるわだかまりを吹き飛ばしていきます。 吹き付ける風が、私に力を与えてくれます。

すっかり荒れ果てた大地の中で、私は小さな花を見つけます。 その花は、細く儚げで、とてもか弱い存在に思えました。 でも、その花はそんなことを気にする様子もなく、ただ真っ直ぐに、光に向かって伸びていきます。 光をいっぱいに受けた姿は美しく、辺りを明るく照らしていました。

私は、この花を大切にしようと思います。

子供と大人の違い

人はいつ、子供から大人へと変わるのでしょうか。

20歳になって成人式を迎えたら、その瞬間に子供から大人へと変わるのでしょうか。 肉体的には、精通あるいは初潮を迎えて、生殖能力を備えた時点で大人になったといえるでしょう。 精神的には、社会人になって、社会的な責任を負った時点で大人になったということができます。 他にも、親元を離れて精神的な自立ができた時や、安定した収入を得て経済的に自立した時ということもできるかもしれません。

でも、それらは、子供と大人を明確に定義するための客観的な解釈でしかありません。 普段、私達が主観的に「まだ子供だね」「もう大人なんだから」という言い回しをする時というのは、もっと単純で明確な基準で判断しています。 その基準とは、「内的な要求に従っている状態」が子供であり「外的な要求に従っている状態」が大人だというものです。

「子供の純粋な心」「聞き分けの良い大人びた子供」「分別のある大人」「我侭な子供っぽい大人」こうして並べてみると、このことが良くわかります。 これで、子供と大人の違いははっきりしました。 それでは、子供から大人には、いつ、どうやって変化していくのでしょうか。

生まれたばかりの赤ん坊は、純粋に内的な要求に従います。 好きな時に寝て、腹が減れば泣き、糞尿は垂れ流し、満足すれば笑います。 その一方で、赤ん坊は外部の世界を、貪欲に吸収していきます。 動くものを追いかけたり、何でも口に運んだり、手当り次第に真似してみたり。 何をしでかすか予測がつかないので、片時も目を離すことができません。

しかし、言葉を話すようになってくると、次第に知恵をつけてきます。 赤ん坊の頃にたっぷりと手に入れた経験を元に、情報の取捨選択が行われ、役に立つものだけを利用するようになります。 もし、叱られてある方法が禁じられたとすると、同じ要求を満たすために、別の方法を探します。 こうしたことを何度も繰り返していく中で、内的な要求を満たすために必要な条件を学んでいきます。

幼稚園に入る頃になると、外的な要求の存在を認識するようになります。 自分のしたくないことでも、言いつけを守ることができるようになります。 友達付き合いを通して、自分の要求が通らないことや、他人の要求を受け入れることを学びます。 こうして、内的な要求と外的な要求の折り合いを付けることを学んでいきます。

学校で学ぶようになると、これまで自分の体験を通して学んでいただけだったのが、言葉によって未体験の知識を学ぶようになります。 すると、新しい知識を実証するために、新しい体験を求めるようになります。 つまり、外的な要求から、新たに内的な要求を生み出すようになるわけです。 そして、新しい経験から、さらに多くの知識を求めるようになっていきます。 これは、内的な要求によって、外部に働きかけることを意味します。

社会人になると、外的な要求に従うことが義務化されます。 もちろん、内的な要求は権利として保証されるわけですが、それまでの保護された世界とは異なり、生きていくためには外的な要求に従わなければならないことを認識します。 しかし、外的な要求を理解することで、内的な要求と折り合いを付ける方法を学んでいきます。

こうして順に見ていくと、内的な要求を満たすことから始まって、内的な要求と外的な要求の間を行ったり来たりしながら、螺旋階段を登っていくように成長していくことが良くわかります。 つまり、子供と大人の明確な境界線なんて、実際には存在しないんです。 人は、その時々で子供になったり大人になったりしながら、ぐるりぐるりと成長していくのです。

自分の中の子供も大人も、どちらも大切にしたいですね。

映画「DOGVILLE」を観て

昨晩、DVDで「DOGVILLE」を観ました。

実は、この映画を観るのは2回目で、最初は2週間ほど前にパソコンテレビ GyaOで観ていました。 でも、内容があまりにも衝撃的な上に、深く考えさせられることが多かったので、ぜひもう一度観てみたいと思っていたのです。 そんな中、レンタル屋で100円セールをやっていたので、再度「DOGVILLE」を鑑賞することにしたのです。

内容が衝撃的な上に、時間が3時間近くもあるので、誰にでも勧められるような映画ではありません。 でも、できれば多くの人に見てもらいたい、そしていろんなことを考えてもらいたいと思いました。 もし、この映画を観てみたいと思った方は、ビデオを借りて観終わった後に、次の私の感想と解釈を読んでくださいね。

大まかなストーリーは、美しい女性グレースが、命を狙われて片田舎の小さな村ドッグヴィルに逃げ込んできたことで、村が次第に変化していくというものです。 最初は無関心だった村人は、徐々にグレースを受け入れていきますが、捜索の手が強まるにつれて、無抵抗なグレースを利用するようになります。 最後にはグレースの正体が明かされ、彼女の手によって村は消滅させられてしまいます。

CinemaScapeのコメントやレビューでは、村人の愚かさや、グレースの傲慢さに触れて、人間の残虐さを描いた現代社会の縮図だというものがほとんどでした。 私も、最初にこの映画を見た時は、そのあまりに残酷な展開に苦しみ、秘められたメッセージを読み取ろうと必死でした。 でも、今回は話の結末を知っているので、あるひとつの視点からこの映画を捉え直してみることにしました。

その視点とは、「なぜ残酷な結末になったのか。より良い結末を迎えるためにはどこで何をすべきだったのか」というものです。 すると、驚いたことに、物語の冒頭からして、すでに歯車が噛み合っていないんですね。 グレースは自分のことを話そうとせず、トムはグレースを利用しようとし、村人は物事を理解しようとせずに、成り行きに任せてしまいます。

もし、自分の家に突然見知らぬ人がやってきて、命を狙われているが訳を聞かずに住まわせてくれと言い出したら、あなたならどうしますか? 私なら、迷うことなく追い返すでしょう。 それでも引き下がらないようなら、追われている訳を問いただします。 それを拒むようなら警察を呼びますし、正当な理由があって危険性がないと判断できれば、一夜の宿と食事を提供するかもしれません。 いずれにしろ、相手を信用するためには、相手のことを知ることが必要不可欠です。

しかし、映画では、グレースは決して自分のことを話そうとしません。 村人も、決してグレースの過去を問いただそうとしません。 グレースは最初から自分自身を放棄していて、すべての判断を村人に任せてしまい、次第に依存性を強めていきます。 村人は、グレースの態度から自信を強めて、要求をよりエスカレートさせていきます。 最終的には、グレースは完全に人間としての尊厳を失い、奴隷として、家畜のように扱われるようになります。

もはやグレースに何の利用価値もなくなったところで、ついに通報されて、父親が身柄を引き取りにきます。 父親のギャングのボスとしての権力を譲り受けたグレースは、村人の断罪を決意して、村人を皆殺しにして、村を焼き払います。 しかしそれは、「目には目を、歯には歯を」の復讐でしかありませんでした。 父親は、最初は娘の「すべてを赦す」という傲慢さを非難していましたが、村人へ復讐していく様子を見て、グレースが「多くを学び過ぎた」ことを悟ります。

そう、グレースの父親は、良いことと悪いことを判断する「秩序」を身につけ、現実を無視した理想論や個人的な感情で人を判断することを避けるように、グレースに伝えたかったんですね。 しかし、父親自らが一時的な感情によって娘に向かって発砲してしまい、それが一連の事件の発端になってしまったことを深く反省していたわけです。 でも、グレースはまだそのことに気づいていません。 そこで、父親は「後でゆっくり話そう」ということを娘に提案します。

あなたは、この映画をどう観ましたか?

お婆ちゃんの隅田の花火

お昼の用事が早めに終わったので、ふらりと散歩に出かけました。

午前中は薄曇りで風が強かったんですが、それが嘘のように晴れ渡り、とても穏やかな空気になっていました。 いい気分だなぁと思いながら歩いていると、第一カタバミ発見。 一輪の花を守るように伸びた長い葉が、まるで生きているかのように動いています。 ふと見上げると、深い緑の向こうに、雲ひとつない青空が広がっていました。

細い路地を入ると、これまで見たことのないアジサイがいっぱいに咲いていました。 淡い青紫の尖った花びらに、斜めの日差しが当たって、とても美しく輝いていました。 ん~、これはオオシマザクラ以来の新発見です。 これはいいものを見つけたと、夢中になって写真を撮りまくりました。

満足してその場を離れようとしたら、後ろから「何を撮ってるのかね?」という声が聞こえました。 振り返ると、80歳くらいのお婆さんが、ニコニコしながらこちらに歩いてきます。 「このアジサイを撮ってました」「綺麗な花じゃろう」「ええ、初めて見ました」「これはな、隅田の花火っていってな、ぱぁ~っと花火みたいに見えるじゃろ」「ああ、なるほど~」

お婆さんとお別れして、さらに辺りを何枚か撮ったんですが、早く隅田の花火の写真を見てみたくて仕方がなかったので、そうそうに切り上げて家に帰りました。 それにしても、家から歩いて数分のところに、こんな綺麗な花があったなんて、どうして今まで気がつかなかったんだろう。

私のお気に入りの「隅田の花火」、いかがでした?

アジサイのThe STANDARD

裸のあなたを、もっともっと、知らないと。

というわけで、今日もアジサイを撮りにいってきました。 でも、昨日撮った隅田の花火を続けて撮ってしまうのは何だかもったいなかったので、スタンダードなアジサイを求めてぶらりと散歩に出かけました。 すると、アジサイの前に白と紫の綺麗な花を発見。 これはアヤメかカキツバタ?普通の畑に咲いていたので、これはどうやらアヤメのようです。

アヤメの先に、ついに普通のアジサイを発見しました。 たくさんの葉っぱを空に向かっていっぱいに伸ばしています。 「おい、何かカメラを持った変なのがきたぞ」と、ちょっと警戒気味のアジサイさん。 協議の結果、無事に写真を撮らせてもらうことができました。

今にも雨が降りそうな曇り空だったんですが、アジサイさんにとってはそれが嬉しくてたまらないようで、花びらいっぱいに期待の笑みを浮かべていました。「さあ、雨よ降れ、ほら、雨よ降れ」と、雨が降るのを心待ちにしているようです。 可愛らしい小さな花達は、じっとしていられなくて、葉っぱの下でもじもじとしていました。

普通のアジサイも、やっぱり綺麗だったなぁ。 昨日は「隅田の花火の方が絶対に綺麗だ」なんて思っていましたが、今では「普通のアジサイの方が綺麗かも」なんて思っています。 いやいや、どっちも綺麗。 これからの梅雨は、綺麗なアジサイを楽しみながら乗り切るぞ。

皆さんも、梅雨のアジサイをぜひ楽しんでくださいね。

写真に込められた愛情

写真に感情を込めるとは良く言われることですが、これは一体どういうことなのでしょうか。

神社の境内で、夕日を浴びているアジサイの花を見つけました。 その姿は美しく、まだ若いアジサイの花は、生き生きと輝いていました。 「あ~、綺麗だね」パシャリ。「お~、これは見事」パシャリ。「うん、なかなか良かったよ」パシャリ。 普段なら、3枚も撮れば満足して、他の被写体を探すことでしょう。

もちろん、そういう第一印象を写す写真もいいんですが、時には、それだけでは満足できないことがあります。 もっと、アジサイに迫ってみたい。もっともっと、アジサイのことを知りたい。 こうして、アジサイに一歩踏み込むためには、アジサイに対する興味や好奇心が必要です。

そのアジサイが珍しいものだったり、特別綺麗に見えたりすれば、興味は自然と湧いてきます。 自分がそのアジサイのどこに興味を持ったのかを、自分自身で認識することができれば、きっと満足のいく写真を撮ることができるでしょう。 つまり、アジサイとの一対一の関係を築いていくわけですね。

じっとアジサイを眺めていると、次第にアジサイが単なるアジサイではなく、何か別の生き物のように見えてきます。 すると、アジサイが自分の意志を持って、ファインダーの中を自由に動き回るようになります。 そして、さっきまで目の前にいたアジサイが、いつの間にか自分の中に入り込んでいることに気づくのです。

そうしてアジサイと戯れているうちに、今度は自分がアジサイの世界に入り込んでしまいます。 まるで自分がアジサイになって、彼らと一緒になって遊んでいるかのようです。 アジサイも心を開いて、それまで見せなかった様々な表情を見せてくれるようになります。

こうして、アジサイと私は、愛情によってひとつに結ばれるのです。

夕暮れの海で夕涼み

梅雨入りしたというのに、夏のように暑い日が続いています。

「日中に動き回るのはちょっと嫌だなぁ」というわけで、夕方になるのを待って与次郎の海を見に行ってきました。 与次郎には、海岸沿いに緑地と遊歩道が続いていて、夕方にはカップルの歩く姿や、犬の散歩やウォーキングなど、多くの人で賑わいます。 私もその中に混じって、霞んだ空で弱まった日差しの下、気の向くままに写真を撮っていきます。

日中の暑さが残る中、海からの風がとても心地良く感じます。 これからどんどん夏になるんだなぁと思いつつ、湿った風の感触を楽しみます。 でも、夕暮れ時というのは、どことなく物悲しさがありますね。 若いアジサイのような美しさはありませんが、にじみ出るような美しさにあふれています。

この辺りは、再開発が行われて、私が鹿児島に来たばかりの頃と比べると、ずいぶん様子が変わってしまいました。 曲がりくねった道は真っ直ぐになり、立派なホテルやマンションが建ち並んでいます。 廃墟と化した海底水族館も取り壊されて、緑地も綺麗に整備されました。 でも、ここから見る桜島や、南国を思わせるヤシの木は、今も変わることはありません。

そして、忘れてはならないのが、海紅豆の花です。 その情熱的な深紅の花は、一度見たら忘れることはできません。 その独特の形状も魅力的なんですが、ベルベットのような深みのあるグラデーションは、眺めていて飽きることがありません。 今日の海紅豆は、沈みゆく夕日を浴びて、いつも以上に美しく見えました。

いつでもどこでも、魅力は尽きることがありませんね。

ときめきは永遠に

今日は、久々にバトンですよ。

今回のバトンは、「ときめきバトン」。 mixi経由で、大学時代の後輩であるタバッチさんから回ってきました。


1,最近ときめきましたか?

毎日のようにときめいてます。
写真を撮っている時はときめきっぱなしですね。

2,異性のどんな部分にときめきますか?

言いたいことを言えずにモジモジしている様子。
言いたいことを察してからかうと、ときめき度アップ。

3,ときめいてる時、あなたはどうなりますか?

じっとしていられなくなって、ニタニタしながら部屋の中を歩き回ります。
あるいは、とにかく写真を撮りまくります。

4,ときめくデートスポットといえば?

ずばり、近所の散歩ですね。
日常の中の非日常、これこそときめきの基本ですね。

5,最近デートしましたか?

してないです…。
でも、ブログを通して、皆さんとデートさせてもらってます。(笑)

6,ときめくBGM

Charaの「シャーロットの贈り物」。
ちょっと古い曲なんですが、女の子っぽさがキュンときちゃいます。

7,ときめきメモリアルについてどう思いますか?

やったことがないので何とも言えないです。
残念ながら、やってみたいとも思いません。悪しからず。

8,ときめく動物

猫ですね。うちのミーちゃん。
普段は素っ気ないのに、たまに自分からすり寄ってくるのが可愛いんです。ツンデレ?

9,ときめく異性の体のパーツ

腰のくびれ、でしょうか。
胸から尻にかけてのうねるようなS字曲線は、すべての美しさの原点ではないかと…。

10,あなたにとってときめきとは?

ときめきは、生きる原動力ですね。
恋愛に限らず、いろんなことにときめいていきたいものです。

12,このバトンをあなたのトキメク、マイミク6人に。

ここはミクシィではないので、普段お世話になっているFC2ブログの皆さんに。
この記事に気づいて、気が向いたら受け取ってくださいね。


このバトン、11がないのはどうして?

大噴火!桜島ケーキ

燃えて~、上がるは~、おはら~は、桜島~。

桜島昭和火口、60年ぶりの噴火記念!というわけで、ハチミツ溶岩が流れ落ちる桜島ケーキを作ってみました。 本当は、一人暮らしでも安心して作れるハーフサイズケーキを作ってたんですが、オーブンレンジを開けたら桜島ができてました。 これはびっくり。でも何か嬉しい。

材料は、卵2個、砂糖30g、牛乳50cc、バニラエッセンス少々、小麦粉100g、膨らし粉5g、そしてバター20gとハチミツです。 今回のポイントは、分量をいつもの半分にしたことと、牛乳の量をさらに半分に減らしたことです。 これで、中までさっくりと焼けてくれると良いのですが。

作り方は、卵白と砂糖でメレンゲを作って、卵黄と牛乳、バニラエッセンスを加えて良く混ぜます。 小麦粉と膨らし粉をふるいにかけながら加えたら、溶かしたバターと一緒にさらに混ぜ合わせて、油を塗った18cmの型に流し込みます。 あとは、180度のオーブンで40分ほど焼いて、ハチミツをかけたらできあがりです。

焼き上がりは、これまでよりずっと引き締まった感じで、中までしっかり火が通っていました。 お味の方も、桜島らしい力強い食感でした。 ハチミツをしっかり染み込ませると、ちょうど良い柔らかさになって、噛み締める度に幸せな気分になれます。

好きです、好きです、心から~。ケーキが好きですよ~。

ソバとメシの危険な関係

ヤキソバとヤキメシ、あなたはどっちが好きですか?

世の中には、「どっちかなんて、選べな~い!」という人がいるようで、ソバメシなるものが存在するんですね。 確かに、ヤキソバに絡みついた濃厚でスパイシーなソースは最高に美味しいんですが、お腹が減ってる時はヤキメシをがっつりと食べたいものです。 ソバメシ、まさに理想的じゃないですか!

作り方はいたって簡単で、ヤキソバの最後にご飯を加えるだけです。 ポイントは、ソバを2~3cmほどの長さに切っておくことです。 これで、ソースの絡み具合と食べやすさが両立できるわけですね。 かしこい! あと、ヤキソバに付属のソースだけだとちょっと足りないので、別にソースを用意すると良いでしょう。

今回使用した材料は、バター10g、鶏肉200g、タマネギ1個、ニンジン1本、キャベツ1/4玉、市販のソースヤキソバ2人前、白飯2杯分です。 熱したフライパンにバターを入れ、適当に刻んだ肉と野菜を順番に炒めていきます。 火が通ったら、塩コショウで軽く味付けをしてから、ソースとヤキソバ、白飯を入れます。 50ccほどの水を加えてふたをしたら、しばらく蒸し焼きにします。 材料が馴染んできたら、かき混ぜて出来上がりです。

作る前は、その発想からしてちょっとうさんくさいという印象がありました。 実際、こんなのは邪道だといって食べない人もいるらしいです。 でも、文句を言うなら食べてからにしろと私は言いたい! と、いつになく興奮してしまうほど、ソバメシは美味しかったです。 追加ソースにお気に入りのS&Bスパイシーソースを使ったのが良かったのかも?

皆さんも、ぜひ一度作ってみてくださいね!

プロフィール

K-Hyodo

K-Hyodo

本名:兵頭 薫
鹿児島の30代男性
ソフトウェア作家を目指す

コメント・拍手は大歓迎!

K-Hyodo's Soft

どのソフトも、
Mac & Windows 両対応!

iKeyboard 3

本気で覚えるための、
キーボード練習ソフト。

ベクターソフトレビュー


PhotoMaster 2

撮影を楽しむための、
デジカメ写真管理ソフト。

ベクターソフトレビュー

Vector Best Online Soft of 2004


iKeyboard 2

ブログを読み返すための、
バックアップ表示ソフト

窓の杜 今日のお気に入り


マルチプラットフォームの統合開発環境REALbasicで開発しています。

Twitter

 

カレンダー

05 | 2006/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

ブログ内検索

アクセスカウンター

読書メーター

K-Hyodoさんの読書メーター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。