ご近所の妖精達

今日もまた、お買い物ついでのお散歩写真を撮ってきました。

「毎日のように近所のありふれた写真を撮り続けて、よくもまあ飽きないものだ」と不思議に思う人がいるかもしれませんが、これがどういうわけか、とっても楽しいんですよね。 さすがに、毎日同じ道ばかりだと飽きるので、同じスーパーに行くにもたくさんのルートを用意しています。 そして、その時の気分で適当にルートを選ぶわけです。

どこにでもあるようなものでも、全く同じ状態のものなんて、どこにも存在しないんですよ。 だから、同じ花でも、花ごとに違う印象を受けるし、毎回違う写真になるんです。 雑草なんて、それこそ雑多な種類の草が雑然と生えてるだけなんですが、それが女性の後ろ姿のように見えたり、人の顔のように見えたりするんですね。

歩き慣れた道でも、時々それまで見たこともなかったものが、急に姿を現すことがあります。 いつも必ず写真を撮ってしまうお気に入りの掃除道具置き場があるんですが、今日はどういうわけか、人の背丈ほどに伸びて、こぼれんばかりの大きな白い花をつけている植物が立ちはだかっていました。 ご挨拶代わりに、たっぷりと写真を撮ってあげます。

一本の大きな桜の木の下には、いつも何か不思議な気配を感じます。 傾いた夕日が桜の木を照らして、柔らかな影が辺りを包みます。 ただそれだけのことなんですが、私には一本桜の木の精がいるような気がして、ついついカメラを向けてしまうのです。 そして、何も見えやしないのに、確かな手応えを感じなが’ら、シャッターボタンを押すのです。

あなたには、妖精の姿が見えましたか?

あなたと一緒に愛のハンバーグ

今日の晩ご飯は、皆さんの大好きなハンバーグですよ!

まずは、米2合に、グリーンピース50gとバター10g、塩少々を加えて、ピラフ風豆ご飯の炊飯スタート。 次に、鍋にお湯を沸かして、皮を剥いて四つ切りにしたジャガイモ4個をゆでて、ポテトサラダを作ります。 その間に、ホットプレートでタマネギ半個のみじん切りを炒めながら、ボールに卵1個、牛乳大さじ2杯、パン粉大さじ2杯、塩少々、コショウ少々を入れて良く混ぜ合わてつなぎを作ります。

タマネギの色が変わったら、一旦つなぎのボールに移します。 それに挽肉250gを加えて、さらに良く混ぜ合わせます。 生地をラップで適当な大きさに包んだら、右から左、左から右へと、愛のキャッチボールを行います。 そうしてお互いの親密度がアップしたところで、180度に設定したホットプレートで焼いていきます。

熱愛中のハンバーグはそっとしておいて、ゆであがったジャガイモをボールに移して、入れ替わりに適当な大きさに切って面取りしたニンジンをゆでていきます。 ジャガイモをつぶしてポテトサラダが出来上がったら、片思いに胸を焦がしているハンバーグをひっくり返して両思いにしてやります。 二人の世界に集中できるよう、そっとふたをしてあげましょう。

炊飯器が絶頂の声を上げたら、ほんのりと頬を染めたニンジンを取り出して、盛り付けに入ります。 お茶碗にピラフ風豆ご飯をよそい、皿にポテトサラダとニンジンを添えて、最後にホットプレートのふたを開けると、新婚旅行帰りの見事な焼き色のハンバーグが、待ってましたと自分の席に着きました。 わずかに残った肉汁とトマトケチャップ、ウスターソースでタレを作って、二人を祝福します。

さてさて、気になるお味の方はといいますと、これがもう肉汁たっぷりジューシーで絶品でしたよ。 大学生の頃、出来合いのハンバーグを焼こうとしてぼろぼろになってしまったことがあったので、ハンバーグは自分には無理だと思い込んでいたんですが、それだけ自分の料理の腕が上がったということなのでしょうか。

えっ、今日はどうして二人分作ったのかって?それはもちろん、皆さんと一緒に食べるためですよ!

ラーメンが食べたい!

無性にラーメンが食べたくなる時ってありませんか?

毎度お馴染みmiyuさんラーメン記事を読んで、ラーメンの似合う庶民派の私は、もうすっかりラーメン食べたいモードに入ってしまいました。 そこで、バイト先の後輩であるドラゴンさんを誘って、ドラゴンさんオススメのラーメン屋、その名も「らーめん屋」に行ってきました。

甲南中学校横にあるそのお店は、町のラーメン屋にしてはやや洒落た感じの店構えでした。 期待に胸を膨らませながら暖簾をくぐると、予想以上に広々とした店内に驚きます。 新しさはありませんが、こぎれいにまとまっているところは清潔感があって好感が持てます。 でも、所狭しと並んでいる巨人グッズは迫力がありました。

私は黒いどんぶりの普通のラーメン、ドラゴンさんは白いどんぶりの大盛りラーメンを注文。 運ばれてきたラーメンを見て、そのどんぶりの大きさに驚きます。 どんぶりの大きさはどちらも一緒で、中身の量だけが違っていました。 お味の方は、さっぱりとしていながらコクのあるスープが印象的でした。

でも、正直なところ、ドラゴンさんとの話に夢中になってしまって、あんまり覚えてなかったりします。 ただ、普通盛りでも十分に量が多くて、食べ終わった頃にはお腹パンパンでした。 いやぁ、食った食った。満足〜。 最後に、次回は近所の中華料理屋に行くことを約束して、お開きとなりました。 ドラゴンさん、今日はどうもありがとう!

ちなみに、今回の写真は携帯電話A5516Tで撮影しました。

写真一枚の重み

デジタルカメラが普及してから、写真一枚の重みがなくなったと良く言われます。

たとえば、銀塩のモノクロフィルムを自家現像するような場合は、ランニングコストがかかる上に非常に手間がかかるので、一枚一枚の仕上げには細心の注意を払う必要があります。 一方、デジタルカメラの場合は、ランニングコストもかかりませんし、RAWで撮っておけば、後で何度でも好きなように修正することができます。 でも、銀塩写真とデジタル写真は質的に異なるものですから、目的に応じて使い分ければ良いだけの話です。

ただ、「デジタルカメラは気軽に撮れるから、一枚一枚に込める思いが薄れてしまう」という意見には反対です。 私の最初のデジタルカメラであるDS-7は、一度に30枚ほどしか撮影できませんでした。 一方、現在使っているA1は、一度に270枚撮れます。 その差は9倍にもなりますが、DS-7の頃よりもA1の方がずっと満足のいく写真の割合が多いのです。

もちろん、カメラの性能の違いもあるでしょう。 しかし、DiMAGE 7UGを使っていた頃は、一度に200枚ほど撮影したうちの1/3ほどは失敗写真として削除していて、満足のいく写真は1/3ほどしかありませんでした。 現在のA1では、一度に100枚ほどしか撮影しませんが、失敗写真はほんの数枚しかありませんし、そのほとんどが満足のいく写真ばかりです。

写真撮影の楽しみというのは、いかに綺麗な写真を撮るかということではなくて、目の前の出来事をいかにそのままの形で記録するか、ということにあるのではないかと思います。 そのままの形というのは、同じ場所、同じ時間に、被写体と自分が向かい合ったという事実のことです。 写真撮影とは、被写体が存在した事実と、その被写体をどう見つめたのかという事実を認識して、記録することだと思うのです。

だから、撮影する時に、被写体を認識することができて、それを見つめている自分の気持ちを認識することができれば、極端な話、写真に何も写っていなくても構わないのです。 写真を撮るということは、その時の状況を記憶に焼き付けるためのきっかけであって、撮れた写真を見るということは、その記憶を思い出すためのきっかけなんです。 もちろん、綺麗な写真が撮れることにこしたことはありませんが、それは自分が努力したことへのご褒美ですね。

結局のところ、私にとって写真撮影というのは、自分の周りにある環境と自分自身との一体感を得るための手段なんです。 それがわかっていないと、いくら撮影技術に精通したところで、その場にそぐわない、ありきたりでつまらない写真になってしまうでしょう。 写真の重みというのは、最終的には認識力の強さということなんですね。

自分の甘さを、機械のせいにはしたくないものです。

PhotoMaster 2 計画変更

ここにきて、PhotoMaster 2の計画を変更することにしました。

一番の理由は、開発環境であるREALbasic 2006の発売が予定よりも大幅に遅れており、未だに発売の見通しが立っていないためです。 そのため、従来のREALbasic 5.54で予定していた機能を縮小して開発するか、REALbasic 2006が発売されるまで開発を延期するか、どちらかを選ばなければならなくなりました。 REALbasic 5.54では主要な機能を諦めなければなりませんし、延期するのであればPfotoMaster 1.xを強化しなければなりませんが、これももう限界に近づいています。

ここで問題になっているのは、次の2点です。 現行のPhotoMaster 1.xが、技術的な未熟さと度重なる機能の拡張によって、その構造が破綻してきていること。 そして、PhotoMaster 2では、かなり欲張って贅沢な仕様にしてしまっていることです。 となれば、ここは無理せず、PhotoMaster 1.xのリファイン版となる、PhotoMaster 2 Lite的なものを用意するのが良さそうです。

そこで、構造の見直しや仕様の洗い直しをしているわけですが、これまでの気負いが抜けて、精神的にずいぶん楽になった気がします。 やはり、何事も浴を出し過ぎると良くないものですね。 まずは、内部構造の最適化と、各部の高速化を最重要項目として、余力があれば、いくつかの機能追加をしていこうかと思います。

PhotoMaster 2は、今年の7月中には公開したいと考えています。 無事に公開できたら、青春18切符で旅に出ようかな。

偉そうな人の話し方

たまに、「何この人、偉そうに…」と思う人がいます。

別に本人は偉ぶってるつもりはなくても、端で聞いていると、やっぱり偉そうに思えます。 そういう人の話は、聞いていても面白くないし、何だか説教されているような気分になってしまいます。 逆に、どんなに辛辣なことを言っていても、ついつい話に引き込まれてしまって、話してくれてどうもありがとうと思えることもあります。 この違いは、一体どこからくるのでしょうか。

以前、「眼の仕組みと写真の見方」に書いたように、目に入ったものをそのものとして認識するためには、網膜から得られた視覚情報だけでなく、それまでの経験から得られた概念も重要な役割を果たしています。 人の会話も同じで、その意味を認識するためには、視覚や聴覚によって得られた言語情報だけでなく、それまでの文脈や経験などが密接に関わってきます。

人はそれぞれ異なる経験をしてきているので、当然ながら形成される概念も異なってきます。 しかし、人は得られたデータを概念によって判断します。 つまり、同じデータを与えられたとしても、それをどう判断するかは、その人の概念によって変わってくるわけです。 「人それぞれ」というのは、「人それぞれの概念」というわけですね。

会話をするということは、入力されたデータを、概念によって処理して、その結果を出力するということです。 こうして、お互いにデータを交換し合うことによって、共通の概念を形成していくことが、会話の目的になります。 そのためには、より相手が処理しやすいように、データを出力することが重要になってきます。 つまり、何を元に、どう考えて、この結論に至ったのかを、順序立てて説明する必要があるわけです。

たとえば、あなたの撮ったトマトの写真があるとします。 Aさんは、それを見て「綺麗!」と言いました。 Bさんは、「色が鮮やかで綺麗ね」と言いました。 Cさんは、「このトマト、新鮮でとても美味しそう」と言いました。 Aさんがそう言ってくれるのは嬉しいんですが、どこが綺麗だと感じたのかがはっきりしません。 Bさんの言い方だと、「色が鮮やかだったら何でもいいのか」ということになってしまいます。 Cさんの場合は、「ああ、この写真を気に入ってくれたんだな」ということがよくわかります。

AさんやBさんよりも、Cさんのような言い方をした方が好ましいことは確かですが、多少舌足らずでも、さほど悪い印象は受けません。 でも、もし「トマトはこうあるべきだ」とか「トマトらしさが良く出ているね」と言われたとしたらどうでしょう。 前者は自分のトマトに関する概念を否定されたような気分になりますし、後者は褒め言葉のようですが全く要領を得ません。 そして、どちらもとても偉そうに思えます。

偉そうな人というのは、自分の概念をそのままの形で相手に伝えてしまっているんですね。 場合によっては、意図的に自分の概念を相手に押し付けようとしていることもあるでしょう。 「最後は声のデカイ奴が勝つんだよ。ワハハ」などと言っている人は、会話の目的というものを完全に取り違えているわけです。 それで一時的に相手を言い負かすことはできても、いずれ調整能力に優れた集団に追い抜かれることになるでしょう。

自分の概念を作り上げていくことは、それだけ心を豊かにすることにつながるわけですが、独りよがりで孤立した概念は、誰にも受け入れられることなく朽ち果てていくことでしょう。 自分の経験を通して、人との関わりの中で、共通の概念を形成していくこと、その中での自分の役割を把握することが、本当の豊かさになっていくのです。

最近、こういうことをよく考えます。

ティーパックで簡単紅茶ケーキ

今日は、ティーパックの茶葉を利用した、簡単紅茶ケーキですよ。

一般的に、紅茶ケーキを作る時には、あらかじめ鍋に紅茶を煮出しておかなければならないわけですが、そのひと手間が結構面倒臭いものなんですよね。 でも、ティーパックの茶葉は粉末状になっているので、生地に混ぜてそのまま食べられます。 普通の茶葉をミルで粉末にしてもいいでしょう。

実はこの方法、入院中に病院の看護婦さんに教えてもらったんです。 本当は、バナナケーキを作りたかったんですが、「だけど〜 うちに〜は ばな〜なが〜 ない〜」というわけで、紅茶ケーキに登場願ったというわけです。 作り方は、レモン汁の代わりに茶葉を混ぜ込む他は炊飯器パンケーキと同じです。

もちろん、今回は炊飯器じゃなくてオーブンレンジを使いました。 温度は180度、時間は40分。 でも、あまりの膨らみっぷりに驚いて、途中で温度を160度に下げました。 焼き上がりは、ご覧の通り、かりかりのふわふわになりました。 でも、中の方はもちっとしていて、温度を下げずに焼いた方が良かったかもしれません。

茶葉は1パック分を使ったんですが、紅茶の香りはするものの、ちょっと物足りない感じですね。 2パック分あったほうが、しっかりした味になって美味しくなりそうです。 これまで、ずっと炊飯器でケーキを作ってきたわけですが、やっぱりオーブンレンジの方がかりっと仕上がってずっと美味しいですね。 ただ、蒸しパンのようにもっちりと仕上げたいのであれば、炊飯器の方が良いでしょう。

オーブンレンジ、やっぱり買って良かったなぁ。

どんぶりいっぱいの幸せ

今日は、我が料理の師匠、miyuさんに負けじと、白玉ぜんざいを作りました。

実は4月の終わりには小豆を買っていたんですが、どうもいまいち乗り気がしなくて、今までずっと放ったらかしだったんですね。 数日続いた五月晴れも終わり、今日は雨。 ちょうど良い機会だというわけで、初めてのぜんざい作りに挑戦してみました。

ぜんざい作りを躊躇していたのは、小豆の煮かたが難しそうだったからです。 miyuさんの話では、ただ煮るだけだということだったんですが、ネットで検索してみると、事前に一晩水を吸わせろだとか、何度も煮汁を替えろとか、いろいろと細かいことが書いてあります。

細かいようで意外とおおざっぱな私は、水洗いした小豆をそのまま煮て、小豆の皮が柔らかくなったところで一度だけ煮汁を替えるという方法でやってみました。 小豆は100g、煮汁を替えた後の水の量は、ちょうど小豆よりもちょっと多いくらい。砂糖は60g、塩を3gほど。 煮た時間は、全体で1時間くらいでしょうか。

白玉の方は、白玉粉の代わりに、手元にあった米の粉を使いました。 米の粉50gに水40ccを入れてよくこねます。 直径1cmくらいに丸めながら、沸騰したお湯で3分ほどゆでていきます。 そういえば、団子を作るのは月見団子以来です。 どんぶりに煮えた小豆汁とゆであがった団子を入れたら、ぜんざいの完成です。

さて、そのお味はと言いますと、これがもう「幸せ〜!」なくらいに美味しかったです。 一人で食べるにはちょっと量が多かったんですが、適当に作ったわりには甘さも程よくて、何より小豆の香りが最高でした。 唯一残念だったのは、団子の出来がいまいちだったことですね。 ちょっと焼いた方が美味しいかも?

今日も、美味しく頂きました。ごちそうさま〜!

五月晴れのお散歩日和

数日続いた五月晴れも今日が最後ということで、買い物がてらに近所をぶらりと散歩してきました。

昔、この辺りは畑が多かったそうで、今でも古い農家の納屋などが残っていたりします。 最近は大きなマンションが建ったり、洒落た一戸建てが軒を連ねたりして、少しずつ町並みが変わってきているんですが、そういう古いものも新しいものもひっくるめて、私はこの町が大好きです。 吊るしたタマネギの下で綺麗な白い花を見つけたんですが、これは何という花でしょうか。

急な坂道を登っていくと、空き地に地面が見えないほどびっしりと雑草が生えていました。 このところの長雨で一大勢力を築き上げたのでしょうか。 その生命力は凄まじく、逞しく生きろと語りかけているようです。 その横では、昔懐かしい裸電球の街灯に、たくさんの蔦が絡まっていました。 こちらも見事なパワーです。

団地の花壇では、再び淡い色のムラサキカタバミを発見。 鴨池緑地のものほど淡い儚さはありませんでしたが、それでもやっぱり綺麗です。 決して派手な花ではないんですが、それだけに飽きのこない美しさがあるのでしょう。 せっかくなので、私の足を入れて記念撮影。 こうして自分の身体の一部を入れてみるのも、意外と楽しいものですね。

帰り道、丘の上から一望する桜島を堪能しつつ、その反対側にある大学の果樹園の緑も楽しみます。 五月晴れの青空は爽やかですが、山の緑は心が伸びやかになりますね。 落ち着くというよりも、もっと積極的な、包み込むような愛情を感じます。 イチョウの木には、若い銀杏の実がなっていました。 黄色い銀杏しか印象になかったので、何だかとても新鮮でした。

今日もまた、充実したお散歩でした。

たまには外でランチでも

今日は久々の快晴。 とても気分が良いので、外でお昼ご飯を食べることにしました。

午前中は、図書館で絵本コーナを初体験。 ママさん達の妙な熱意に戸惑いながらも、いろんな種類の絵本を手に取ってみました。 絵本を読んでいると、いつの間にかニコニコと笑っているから不思議ですね。 中には何が面白いのかさっぱりわからないのもありましたが、子供には面白いのでしょうか。 最後に「モチモチの木」を読んで涙うるうる状態になった私は、人目を避けるようにそそくさと図書館を後にしたのでした。

図書館から県庁前の道を真っ直ぐに行くと、鴨池港に着きます。 途中のコンビニでサンドイッチとお茶を買ってから、鴨池港の堤防に腰を下ろします。 サンダルを脱いで裸足に潮風を感じつつ、桜島やフェリーの発着を眺めながら、のんびりとサンドイッチを口に運びます。 学生時代には、よくこうして桜島を眺めたものでしたが、ここから見る眺めは、今も全く変わっていませんでした。

食べ終わった後は、せっかくなので鴨池緑地をぶらりと散策してみました。 それにしても、今日は本当に暑い! このところ、ずっと天気の悪い日が続いていましたが、確実に夏が近づいていたようです。 公園の木々も、どんどん枝振りが良くなっていて、たくましくなりつつある新緑が、強い日差しをいっぱいに浴びていました。

ふと、何やらぼわっとした淡い光が目に入りました。 何だろうと思って見てみると、淡い紫色の小さな花がたくさん咲いています。 綺麗だなぁと思って近寄ると、それはムラサキカタバミでした。 どこにでも咲いているような花なんですが、こんなに淡い色をしたものは初めてです。 木陰になってあまり日が当たらないからでしょうか。 そのはかない美しさに、私はすっかり夢中になってしまいました。

そろそろ帰ろうかと顔を上げると、さっきまで木陰で本を読んでいた女の子が、すやすやと昼寝をしていました。 年頃の女性がちょっと無防備過ぎやしないかい、と思いながらも、遠くからちょっと失礼。 これは、最高のお昼寝ですね。 彼女の上には、鹿児島県の県花である海紅豆が、色鮮やかに咲いていました。

帰りは、また図書館に寄って、いろいろ本を借りてきました。

50,000カウント記念チーズケーキ

50,000カウント記念に、オーブンレンジでチーズケーキを作ってみました。

実は、「炊飯器 チーズケーキ」で検索してくる人がとても多いんですよ。 本当は「酢飯」が1位なんですが、「炊飯器 ケーキ」などを合わせると、間違いなくアクセス数の稼ぎ頭だといえるでしょう。 これも、「漢のチーズケーキ道場」のきっかけとなったmiyuさん(当時リットママさん)のおかげですね。

そう、すべてはチーズケーキが始まりだったんですね。 それまで、チーズケーキはお店で買うものであり、決して自分では作れないものだという思い込みを、見事に打ち破ってくれました。 一体どんなチーズケーキができるのか、この手で作って食べてみたい。 その一心で、ほとんど何もない状態から始まったのです。

それから、泡立て器を始めとして、ハンドミキサー、5合炊き炊飯器、ミルミキサー、オーブンレンジと調理器具が充実していき、作る料理も、ういろうパンケーキチョコレートケーキハンバーグ手巻き寿司パスタようかんかるかん、というように増えていきました。 それまでも、料理はそれなりに好きだったわけですが、まさかここまでのめり込むとは、全く思いもしませんでした。

そういうわけで、一番始めに作りたかった、あのチーズケーキを完璧に作ってみようと思ったわけです。 まさに、50,000カウント企画にふさわしいと思いませんか? 材料は、クリームチーズ200g、砂糖60g、卵3個、小麦粉30g、牛乳180cc、レモン汁30cc、無塩バター20gです。 作り方は、ボールに材料をこの順番で入れていきながら、その都度よくかき混ぜて、最後に18cmの型に入れて180度のオーブンで40分焼くだけです。

さすがオーブンレンジ、焼き上がりはこんがりと焦げ目がついて、とても香ばしい匂いがします。 ここまでは、まさに完璧の仕上がりです。 早速、型を取り出して、お皿の上に移し替えます。 ああっ、しまった!やってもうた〜! ぷるぷるのチーズケーキは、いとも簡単に崩れ、ひび割れてしまいました。 くそっ、最後の最後にこんなことになるなんて!

調べてみると、焼き上がったばかりのチーズケーキは非常に柔らかいので、型に入れたまま常温で冷ました後、さらに冷蔵庫に入れて良く冷やしてから皿に移すのだそうです。 スポンジケーキはすぐに移すように書いてあったので、てっきり同じだと思ってました。残念! でも、形は崩れてしまいましたが、お味の方は、外はかりかり、中はふわふわで、過去最高のチーズケーキとなりました。

それでは、皆さん。どうぞ召し上がれ!

ありがとう、50,000カウント

おかげさまで、50,000カウントを迎えることができました。
ここまで来れたのも、本当に皆さんのおかげです。
これからも、K-Hyodo's Blogをよろしくお願いします。

慈眼寺公園で癒されるの巻

今日も晴れ、ということで、慈眼寺公園に行ってきました。

慈眼寺公園はすでに何度も紹介しているわけですが、今の一番のお気に入りは、何と言っても赤ちゃんを抱いた菩薩像です。 慈愛に満ちあふれたお顔と、母性を強く感じさせるふくよかな曲線。 今回は特に、その悩ましいまでのボディラインにすっかり魅せられてしまいました。 石像でありながら、優しさや温もりをとても強く感じます。

今日は、川沿いにちょっと先まで歩いてみました。 すると、左手の岩に何やら文字が書かれているのを発見しました。 牛の形はしていませんが、確かに「牛岩」と書いてあります。 そういえば、滝のところには「象岩」と書かれた岩があったな。 気になってあちこち調べてみると、「龍王」と書かれた岩や、何やら文章の書かれた岩も見つけました。 しかし、説明書きは一切なく、すべては謎です。

さらに先へ進むと、モミジの木がありました。 枝が川に向かって垂れていて、とても風情のある光景でした。 ふと足下を見ると、赤い羽のようなものがたくさん落ちていました。 これは、miyuさんのところで紹介されていたモミジのプロペラじゃないか、と思って見上げると、たくさんのプロペラが綺麗に色づいていました。

橋を渡って折り返すと、川のほとりでぼんやりと水の流れを眺めていました。 ここがまだ本物の慈眼寺だった頃も、そしてこれからもずっと、この流れは変わらないんだろうなぁ。 ここから見える橋の姿も、日差しを浴びたモミジの輝きも。 自分は、これからどうなっていくんだろうなぁ。

今回は、何かと得るものの多い慈眼寺公園でした。

操縦不可能

くそ、俺はのめり込みやすいんだ。どうしてくれる!

気まぐれな旅と縁

今日は、久々に晴れましたよ!

これはもう外に出るしかない!でも、どこに行こう? ほどほどの距離にあって、そこそこの満足感が味わえる場所はと…。 そうだ、吉野公園だったら、距離も手頃だし、山もいくつか越えるし、景色も良いしで、なかなか楽しめそうです。 早速、愛車に油を注して、サイクリング出発です!

アップダウンの激しい山岳コースを走るのは久しぶりでしたが、焦らず一歩一歩ペダルを踏みしめていきます。 減量&筋トレのおかげで、しんどいなりにもちゃんと前に進めています。 そして、ひと山越えた後は、ご褒美の下り坂です。ひゃっほ〜う!俺もまだまだイケルぜ!

そうして、何回目かの登り坂の途中、道を間違えたことに気づきます。 でも、吉野公園に行かなきゃならないわけでもないし、まあいいか。 というわけで、初めての道をどんどん登っていきます。 すると、左手に何やら白い看板を発見。 見ると、「関屋谷石塔群」と書いてあります。 「石塔」と聞いて放っておくわけにはいきません。 暗いトンネルをくぐって、薄暗い道を歩いていきます。

道はコンクリートで舗装されていましたが、連日の雨水が染み出してきていて、とても滑りやすくなっていました。 足下に気をつけながら道を下っていくと、さらに下へと下りる階段がありました。 一体、どこまで降りれば良いのでしょうか。 ふと顔を上げると、木々の切れ目からは、遠い山々が見えていました。

階段を下りると、遠くで人の気配がしました。 近づいていくと、何人かの人達が、石塔へと続く道を掃除していました。 聞くと、吉野史談会という町内会のサークルで、年に一度の掃除をしているんだとか。 ちょうど作業が終わったところだったので、石塔にお線香をあげた後に、皆さんとお茶やみかんなどを一緒にいただきました。

吉野史談会は、会員数30名、平均年齢80歳という歴史のサークルだそうで、この土地の歴史や伝説などの話を聞かせてもらいました。 お礼に、皆さんの記念写真をパチリ。 その後、石塔のすぐ先には隠れ念仏があるという話になって、それはぜひ会報に載せたい、というわけで、私がカメラマンになって隠れ念仏探しが始まりました。

残念ながら、道が悪くて隠れ念仏にはたどり着けませんでしたが、とても楽しい時間を過ごすことができました。 別の道を行けば馬頭観音があるという話だったので、私は馬頭観音へ、皆さんはそのまま帰っていきました。 「良いご縁がありました」とお婆さんが何度も言っていましたが、本当にその通りですね。 おかげで、今日はとても良いサイクリングとなりました。

吉野史談会の皆さん、本当にどうもありがとうございました!

イメージすることの意味

人には、物事をイメージする能力があります。

それは、あまりに自然に行われているので、時には軽視されることもあります。 しかし、イメージするには、非常に大きな心的エネルギーが必要なんです。 例えば、憧れの人に想いを告白することを決意したとします。 どうやって呼び出そうか、何と言って切り出そうか、どうやって気持ちを伝えたらいいのか。 告白の瞬間を何度もイメージしているうちに、いつの間にか外が暗くなっていた、といった経験は、誰もが持っているはずです。

物事をイメージするためには、豊富な経験と、それを認識するための注意が必要になります。 思春期を迎えた子供が、夢の中でどうしても異性の最も知りたい部分をイメージすることができなかったり、近所の建物が取り壊された時に、前の状態をなかなかイメージできなかったりするのは、元になる経験が不足していたり、普段から注意が向けられていないからなんですね。

最初のうちは、誰でもわずかな経験しか持っていません。 しかし、同じようなことをしていても、どんどん上達していく人もいれば、いつまで経っても進歩しない人もいます。 上達の早い人は、自分の経験したことを、明確にイメージすることができます。 そして、経験を積むごとに、そのイメージを大きく膨らませることができるのです。

イメージするということは、自分が経験したことや、学んだ知識などを、つじつまの合う形でつなぎ合わせていくことなんですね。 つまり、うまくイメージできないというのは、物事の解釈がうまくいっていないということでもあるんです。 そして、イメージとは全体像を把握することでもあり、問題点を明確にしたり、新しい可能性を発見したりといったことに繋がっていきます。

あなたは、自分の世界をイメージできていますか?

これからお昼寝するニャ〜

昨晩、うちのMacがまた起動しなくなりました。

以前書いたように、最近Macの調子がどうも良くないんです。 うちはACARD AEC-6880MというATA 133カードを使っているのですが、どうも動作が安定しなくて、システムをアップデートしたり、新しいソフトをインストールしたりすると、なぜか起動できなくなることがよくあります。 昨日も、iLife '05のインストール後に起動しなくなってしまいました。

対処法としては、Mac OS 9で起動してデータをバックアップした後、ハードディスクを初期化してシステムを再インストールするしかありません。 どうも、インストーラがシステムの最適化を行う時に、システムの管理領域を破壊してしまうようです。 このAEC-6880M、ATAなのにSCSIとして認識されるんですが、その当たりに問題があるのかもしれません。

結局、データのバックアップ、システムの再インストール、データのリストア、必要なソフトのインストールと各種設定を徹夜でするはめになりました。 これはもう我慢の限界だというわけで、秋葉館オリジナルのsATAカードと、300GBのHDDをネットで注文してしまいました。 これで、この不安定な状態から脱却することができればいいんですが…。

というわけで、まだお昼ですが、これからちょっとおネンネします。 起こさないでね〜。

雨の合間に写真撮影

やっと雨がやんだので、すかさず写真を撮ってきました。

といっても、外は曇り空。 重たい雨雲がのしかかるように空を覆っています。 それでも、久しぶりの散歩は、やっぱり気持ちの良いものです。 いつもの道をぶらぶらと歩いていると、カタバミの洒落た街灯の下で、ドクダミの花がかくれんぼをして遊んでいました。

その先には、ツユクサと、黄色くこじんまりとした可愛い花がたくさん咲いていました。 清楚な感じのツユクサの白と、きらきらと可愛らしい黄色、大小様々なカタバミの葉の緑、曇りの日でも、よく見るといろんな色彩があるんですね。 フェンスの横には、若々しくてくっきりとした新緑が、両手いっぱいに葉を広げていました。

人間にとっては鬱陶しい長雨も、植物にとってはまさに恵みの雨。 どの花も、たっぷりと雨水を吸って、実に生き生きとしています。 力を取り戻した大きな葉は、折り重なるようにして、何やら秘密の相談をしています。 その様子は、何もかも見通しているかのようで、不敵な笑いを浮かべながら、ひそひそとささやきあっています。

こちらでは、まるで雨が嬉しくてたまらないかのように、荒川静香も真っ青になるような演技が行われていました。 一挙一動の軌跡が、美しい曲線を描きながら目に焼き付いていきます。 その横で、静かな存在感を放っていたのは、ツツジの一種でしょうか。 控えめながらも、その美しさにはすっかり目を奪われてしまいました。

同じ道でも、散歩の旅に新しい発見があります。

iKeyboard 2 ついに公開!

ついに、iKeyboard 2を公開しました。

Vectorへの申請がうまくいかなかったようで、予定よりもずいぶん遅れてしまいましたが、とりあえず公開できて一安心です。 今回のバージョンアップの目玉は、ローマ字入力とかな入力の両方に対応したことです。 これまで、英数入力しか練習できなかったので、それに不満を感じていた人は、ぜひiKeyboard 2を試してみてくださいね。

ローマ字入力では、ローマ字を子音ごとに覚えていきます。 なぜなら、ローマ字は子音と母音の組み合わせで、その発音によってかなが決まるからです。 例えば、「でぃ」に対応するローマ字は「Dhi」だと覚えるよりも、子音「Dh」の変化は「でゃでぃでゅでぇでょ」だと覚えた方が ずっとわかりやすいし、覚えやすいですよね。

ただし、ローマ字の発音を覚えるだけでは片手落ちです。 かなからローマ字への変換ができてこそ、快適なローマ字入力ができるというものです。 ローマ字とかなは一対一の関係ではないので、ひとつのかなに複数のローマ字が適用される場合があります。 例えば、「ちゃ」は「Tya」「Cya」「Cha」の3通りがあります。 「ちゃちぃちゅちぇちょ」の「Tya」でも入力できますが、「Charge」の「Cha」の方が連想しやすいかもしれません。 もちろん、iKeyboard 2では、どのローマ字でも自由に入力することができます。

かな入力は、基本的に英数入力と同じ方法で練習していきます。 ローマ字入力は、英数の文字配列を覚えるだけで済みますが、ひとつのかなを入力するのに複数のキーを入力する必要があります。 かな入力では、基本的にひとつのかなをひとつのキーで入力できるので、より素早く入力することができます。 ローマ字入力からのステップアップをしてみたい方は、ぜひ試してみてください。

iKeyboard 2は、60分間、すべての機能を無料で試すことができるので、ぜひダウンロードしてみてくださいね。

iKeyboard Web Page / iKeyboardのダウンロード

恋愛の行方

人はなぜ、恋愛して、結婚するのでしょうか。

答は簡単、子孫を残すためですね。 でも、ただ子孫を残すだけでは、人は満足できません。 より優秀な子孫を残そうとして、より優秀な相手を求めたり、より優秀な教育をしようとします。 つまり、恋愛は優れた相手を見つけた証拠であり、結婚は優れた育児環境を得るための契約ということになります。

しかし、それは客観的な解釈であって、ひとりの人間としての主観的な感情とは異なります。 素敵な人と出会えば、胸が高まり、相手のことばかり考えるようになります。 相手の気持ちを引き寄せ、確かめるために、様々なことを試していきます。 そうしてお互いの気持ちが通じ合えば、めでたく恋愛関係成立です。

恋愛関係が成立したら、次にすることは何でしょう。 そう、肉体関係を結んで、子作りに励むのです。 でも、子作りに励むというのも、客観的な解釈に過ぎません。 主観的には、相手に触れたい、温もりを感じたい、気持ち良くなりたい、相手を喜ばせたい、といった感情に従うことになります。

ただ、上には上がいるというように、この人に一生ついていくと心に決めた後に、もっと良い人を見つけてしまうことがあるかもしれません。 また、途中でお互いに高め合う努力を怠ってしまったために、他の人に目移りしてしまうこともあるでしょう。 つまり、大恋愛の後にめでたく結婚したとしても、お互いに気持ちを引きつける努力を続けなければ、二人の愛はどんどん冷めていってしまうのです。

結婚というのは、皆の前で永遠の愛を誓うことからもわかるように、社会的な契約行為です。 でも、この契約によって、それまで「自分のため」にしてきた恋愛行為が、「家族のため」の義務へと変わってしまうのです。 もし、家族への愛を見失ってしまったとしたら、この義務感に支配されてしまっていると見て良いでしょう。 これを避けるためには、「自分のために」家族を愛する理由を見つけることです。

「家族だから当たり前」なのではなくて、「この間自分の誕生日を祝ってくれたから」相手の誕生日を祝ってあげるのです。 家族だからこそ、そういうギブアンドテイク、感情のキャッチボールが大切なのであって、「誕生日を祝うこと」が家族としての義務というわけではないんですね。 「しなければならない」とか「してもらって当たり前」とか言っていては、どんどんワガママになってしまいますよ。

恋愛を、結婚で終わらせないようにしたいですね。

激ウマ!豚のナンコツ煮込み

クッキングプレートも直ったことなので、豚のナンコツ煮込みを作ってみました。

鹿児島は、薩摩黒豚で有名な豚の産地だけあって、どこのスーパーにも豚のナンコツがあります。 相場としては、100g当たり100円くらいなんですが、うちの近所のスーパーでは、いつも58円で売ってるんですよ。 普通の豚の細切れよりもずっと安くてお買い得なんですが、煮込むのにとても時間がかかるんですよね。

でも、クッキングプレートなら、一度煮立たせた後は、保温にして放っておけば良いので、とても簡単です。 おまけに、うちのアパートは電気代込みの家賃なので、電気は使いたい放題。 電気の無駄遣いはいけませんが、これを利用しない手はありません。 ガスは火力の強さが魅力ですが、電気は火力の調節が簡単なので、うまく使い分けていきたいですね。

作り方は、鍋にたっぷりの水を入れて、これまたたっぷりの鰹節でしっかりと出汁を取ります。 十分煮立ったら、ナンコツとニンニクを入れ、酒、みりん、醤油、砂糖、ハチミツで味付けしてさらに煮込みます。 味が馴染んできたら、保温にして半日ほど置いておきます。 ナンコツが柔らかくなってきたら、ダイコン、コンニャクなどの具を入れて煮立たせた後、保温にしてさらに半日置いたら出来上がりです。

味付けは適当です。 煮込む時間によってはかなり水分が飛ぶので、ちょっと薄い目くらいが良いでしょう。 今回は、初めてニンニクとハチミツを入れてみたんですが、味に深みが増したようで美味しかったです。 また、保温にして置いておくというのはみえこっちさんから教えてもらったんですが、手間もかからないし、煮立たせ過ぎて水分が飛びすぎることもないし、ナンコツもぷるぷるに柔らかくなるしで、とても便利でした。 どうもありがとうございます!

時間はかかりますが、とっても簡単で美味しいので、ぜひ作ってみてくださいね!

祝! A1一周年

DiMAGE A1を購入して、一年が経ちました。

A1の購入時にはドタバタ騒ぎがあったので、正確な日付を決めることは難しいんですが、とにかくこの5月でめでたく一周年を迎えることは確かです。 何となく違和感のあったグリップも、今ではすっかり手に馴染んでいます。 最近は雨の日が続いて写真を撮っていないので、A1購入当時の写真を載せてみました。

最初のうちは、色の濃さがどうも気に入らなくて、パラメータの設定をいじったり、AFの癖に悩んだりしました。 その後、正確な色を目指してホワイトバランスフィルター設定の研究もしました。 でも、RAWで撮影するようになってからは、とても満足のいく画質が得られるようになりました。

途中、FinePix S9000に目移りしたり、MINOLTAがカメラ事業から撤退という衝撃的な事件もありました。 デジタル一眼レフの低価格化が進み、店頭で手に取ってみたりもしましたが、未だにA1から乗り換えようと思えるカメラには出会っていません。 購入時にはいろいろ迷いましたが、A1を買って本当に良かったなと思っています。

これからも、よろしく頼むぜ、相棒!

悲しいこと

世の中には、嬉しいこともあれば、悲しいこともあります。

このブログを始めたおかげで、それまで出会ったことのなかったような、実に様々な人達と出会うことができました。 でも、出会いがあれば別れもあるように、中には疎遠になってしまったブログもあります。 たまに、思い出したようにそうしたブログを覗いてみるんですが、すでに削除されてしまっていたり、長いこと更新が止まっていたり、ずいぶん印象が変わっていたり、衝撃的なことが起きていたりして、複雑な心境になることがあります。

私にはどうすることもできないことですし、コメントを入れたところで、決断するのは私じゃなくてその人自身です。 でも、私にももっと何かできることがあったんじゃないかと思うと、くやしいような、申し訳ないような気分になります。 残念ながら、世の中にはどうすることもできない、大きな力が働くことがあります。 そう言い聞かせることで、自分を納得させなければならないことがあります。 これは、とても悲しいことですね。

自分自身の問題であれば、そういう不可抗力を受け流す、あるいは身を任せる術を身につければ済むことです。 でも、よく知っている人の身に起きた悲しみに対しては、どうすることもできません。 ただおろおろと、一緒になって悲しむことしかできないのです。 そして、何ひとつ声をかけられない自分を、とても情けなく思うのです。

今の悲しみが、次の喜びにつながることを、祈るばかりです。

冷凍庫の中身拝見

今日は、IHクッキングプレートを修理してもらいに、ベスト電器へ行ってきました。

てっきりメーカー修理になると思っていたんですが、窓口のおじさんがいきなりドライバーで分解しだして驚きました。 おじさんは、おもむろにテスターであちこち調べてながら、各部の説明をしていきます。 これは、お医者さんでいうところのインフォームド・コンセントではありませんか。 まさか、家電製品の修理でこんなサービスを受けられるとは思ってもいなかったので、感激してしまいました。

クッキングプレートには、サーモスタットと温度ヒューズの二段構えで安全機構が組み込まれているわけですが、温度ヒューズが切れていました。 サーモスタットにも変色が見られるので、修理すると3,000〜4,000円はかかるから、新品を買った方がいいですよ、というわけで、修理することは諦めることにしました。

でも、温度ヒューズが切れたくらいで新品を買う気にもなりません。 それに、故障箇所さえわかれば、後はもうこっちのものです。 うちに帰ったら、ちゃちゃっと自分で修理してしまいました。 ただし、危険なので、良い子は真似しないように! 半年ぶりのクッキングプレートは、やっぱり便利です。 これでもう、カセットボンベの安売りをチェックしなくても済みます。 嬉しい!

クッキングプレート復活記念ということで、カレーを大量に作りました。 今までは、一度カレーを作ったらひたすらカレーを食べ続けていたわけですが、オーブンレンジのある今は、もうそんな苦労は必要ありません。 一度に大量に作って、余ったら小分けにして冷凍保存です。 次からは、食べたい時にレンジで解凍するだけです。 ついでにご飯も多めに炊いて、一緒に冷凍しておきます。

これで、さらに料理が楽しめますね!

オーブンレンジで簡単グラタン

オーブンレンジで、グラタンも作っちゃいましたよ。

ボールにバター15gと小麦粉30gを入れて、レンジで2分30秒温めます。 かき混ぜながら牛乳300ccを加えて、さらにレンジで7分間温めます。 途中、3回ほど取り出してかき混ぜましょう。 塩、コショウで味付けしたら、ホワイトソースの完成です。 後は、グラタン皿にクリームソースと適当に切った材料を入れて、250度のオーブンで30分焼けば出来上がりです。

グラタンはオーブントースターでもできますが、ホワイトソースまでレンジでできてしまうなんて感激です。 今まで、ちょっとだけ火にかけたい時など、わざわざ鍋に移さなければならなくて大変だったんですが、これからはそのままレンジで温めるだけで済むので、手間もかからないし、洗い物も少なくて済みます。 オーブンレンジって、本当に便利ですね。

実は、今まで電子レンジに対して、あんまり良いイメージを持っていなかったんです。 小さい頃に、ラップに包まれた料理を電子レンジで温めて食べたという寂しい経験があるからでしょうか。 どうしても、電子レンジは手抜きの機械だという印象があるんですよね。 案外、そういうイメージを持っている人は多いのではないでしょうか。

でも、電子レンジでも、使い方次第でとっても豊かな食生活を送ることができるんですね。 これからは、オーブンレンジのある生活を存分に楽しんでいこうと思います。

オーブンレンジでスポンジケーキ

とうとう、オーブンレンジを買ってしまいました!

あちこち見て回って、東芝のER-DK2というモデルに決めました。 コジマのオリジナルモデルだそうで、オリジナルのER-D2よりもすっきりと落ち着いたデザインが魅力的です。 オーブンレンジは2〜3万円くらいするのかと思っていたら、意外にも13,800円という値段でした。 もっと早く買っておけば良かったなぁ。

まずは、「カラッとフライ」モードで、スーパーのお惣菜を温めてみたんですが、串カツもかき揚げもちゃんとカラッと仕上がりました。 早速、チーズケーキを作ってみたんですが、なぜか焼き色もつかないし型も崩れてしまって大失敗。 焼きおにぎりも作ってみたんですが、オーブントースターの方がぱりっとして美味しかったように思います。

どうも、オーブンレンジの扱いは難しいようです。 ここは基本に忠実にというわけで、説明書に書いてあったスポンジケーキをレシピ通りに作ってみました。 ただし、砂糖はいつものように半分に減らしました。 で、結果はというと、さくさく、ふわふわの、とっても美味しいスポンジケーキが出来上がりました。 このさくさく感は、炊飯器では絶対に出ませんね。 いやぁ、買ってよかった!

作り方は、卵3個を白身と黄身に分けて、それぞれ20gずつ砂糖を入れてしっかりとかき混ぜます。 このふたつを合わせてさらにかきまぜたら、溶かした無塩バター15gと牛乳15cc、レモン汁15ccを加えます。 小麦粉90gをふるいにかけてさらにかき混ぜたら、バターを塗った型に流し込んで、予熱をしておいた160度のオーブンで40分焼けば出来上がりです。

チーズケーキで失敗したのは、ちゃんとしたケーキの型じゃなくて、取っ手のとれたIH鍋を使ったからかもしれません。 バターを溶かすのも、器に入れてレンジで40秒、湯せんをしなくて済むのでとっても楽です。 今回は、味噌こしを使って小麦粉をふるいにかけてみたんですが、口当たりがずっと良くなったように感じました。

それにしても、このスポンジケーキ、本当に美味しかったですよ。 口当たりが軽かったのもあって、焼きたてがあっという間になくなってしまいました。 これって食べ過ぎ? クリームがなくても、フルーツがなくても、素のスポンジケーキがこんなに美味しいなんて驚きです。 う〜ん、もう炊飯器ケーキには戻れないかもしれない…。

Tableタグで両手に花

ブログに写真を載せる時、もっとレイアウトに凝ってみたいと思ったことはありませんか?

imageタグでは、align = "left" または align = "right" という属性を付け加えることで、画像を左寄せや右寄せにすることができます。 中央に表示するには、imageタグをcenterタグでくくってやる必要があります。 詳しくは、「fairy cosmos」のmiyuさんが書かれた記事「ハナミズキ(右寄せ、左寄せ、センタリング編)」をご覧ください。

こうした行揃えは、左寄せ、右寄せ、センタリングの順番で記述すれば、このようにテキストの左、右、上に画像を配置することができるようになります。 左寄せと右寄せの順番はどちらでも良いのですが、センタリングだけは必ず最後に記述するように注意してください。

ただし、この方法だと、画像の大きさや、表示領域の横幅によっては、左右の画像と真ん中の画像の間に隙間ができてしまいます。 また、左右の画像の縦幅に対して本文の量が少なかったりした場合は、レイアウトが崩れる可能性があります。

そこで登場するのが、tableタグです。 tableタグは表を作るためのタグなんですが、工夫次第でレイアウトに凝ることができるようになります。 tableタグを使えば、下のようなことが簡単にできるようになります。

どうですか、隙間がなくなって、写真に一体感が出てきましたね。 こうして綺麗な花々に囲まれてみるのも、なかなかいいものです。 両手に花とは、まさにこのことですね。

花の代わりに風景の写真を使えば、臨場感が出てきそうです。 料理の写真は、全部を一枚の写真に収めてしまうと味気ないものになってしまいますが、こうして一品ずつ写真を載せてみるのも良さそうですね。

アイデア次第で、いろんな使い方ができそうです。

<table align = "center">
 <tr valign = "top">
  <td>
   <img src="left.jpg">
  </td>
  
  <td width = 320 >
   <img src="center.jpg">
   <p>
   本文
  </td>
  
  <td>
   <img src="right.jpg">
  </td>
 </tr>
</table>

tableタグでは、trで行を、tdで表の項目を指定します。 trで囲った中にtdを3つ入れれば、3列の表ができます。 trの数を増やしていけば、それだけ表の行数が増えていきます。 上のテーブルは、右のHTMLのような構造になっていて、trが1つ、tdが3つなので、1行3列の表になっていることがわかります。

tableタグに書かれたalign属性は、表を表示する位置を指定するもので、left, center, rightの中から選ぶことができます。 trタグに書かれたvalign属性は、項目の縦方向の位置を指定するもので、top, middle, bottomから選ぶことができます。 tdタグに書かれたwidth属性は、項目の横幅を指定するもので、画像の横幅と同じ値にしておくと良いでしょう。

tableタグの便利な使い方として、項目がひとつだけのtableを作れば、別枠コラムを作ることができるんですよ。 右のtableタグの使用例も、実はこのテクニックを使っています。 この場合は、cellpadding属性を利用して、余白を作っておくと良いでしょう。 <table align = "right" cellpadding = 6>とすれば、6ピクセル分の余白が作れます。

tableタグには、まだまだたくさんの機能があるので、その気になれば、かなり込み入ったレイアウトにすることができます。 興味のある人は、勉強してみてくださいね。

眼の仕組みと写真の見方

人はどうやって、見たものを認識しているのでしょうか。

眼に入った光は、角膜によって屈折し、瞳孔によって光量を調節され、水晶体によって焦点を調節された後に、網膜に像を結びます。網膜には、明るさを感じる杆体細胞と、色を感じる錐体細胞があり、杆体細胞は周辺部に多く、錐体細胞は中心部に密集しています。眼の中心には中心窩という錐体細胞だけが密集した窪みがあり、最大の視力が得られるのはこの部分だけです。

こうしたことは理科の授業で習うわけですが、カメラの仕組みと似ているようで微妙に異なっていることがわかります。一番の違いは、中心窩の存在です。人の眼は、写真のように均一の解像度を持っているわけではないんですね。本を読む時に字を追っていかなければならないのはこのためです。

こうして、あちこち視線を動かしながら、少しずつ対象を認識していくわけですが、これらの視覚データだけを頼りに認識が行われるわけではありません。得られた視覚データとその時の状況を考え合わせながら、最もそれらしいものを推測して、全体像を作り上げているのです。これによって、より少ない情報量で素早い処理ができるわけですね。

たとえば、冬の日にコタツの上に直径10cmほどの黄色い物体があれば、特に観察しなくてもそれがミカンであることはすぐに認識できます。しかし、果物売り場では似たような黄色い物体がたくさんあるので、認識にはより多くの視覚データが必要になり、それだけ時間もかかることになります。

このように、人には効率の良い認識能力が備わっているわけですが、いくつかの問題もあります。推測されたイメージは、標準的な特徴を元に作られるので、その固体ならではの特徴が打ち消されてしまうことがあるのです。また、場合によっては、似たような特徴を持ったまったく別のものとして認識されてしまうこともあります。

こうしたことを考えると、写真の見方が少し変わってきます。静止画であるはずの写真に動きが感じられるのは、中心窩でなぞるように視線が動いているからです。被写体の魅力を存分に堪能することができるのは、均一で高い解像度でゆっくりと時間をかけて観察することができるからです。想像力をかきたてるのは、その特徴をうまくとらえることができているからです。

写真が撮影者自身を写すのには、こうした理由があったんですね。

注意することに注意しよう

人は、様々なことに注意を向けながら生活しています。

注意には、残念ながら限りがあります。注意を分散させようとするとひとつひとつのことがおろそかになってしまいますが、ひとつのことに集中すれば他のことに注意が行き届かなくなります。注意を分散させたり集中させたりしながら、うまくバランスをとっているわけですね。

「もっと注意しなさい」「注意力が散漫だ」と良く言われる人は、もっと注意力が欲しいと思っていることでしょう。でも、そういう人は、実は注意力が足りないのではなくて、集中し過ぎているんです。目に入ったもののひとつひとつにいちいち注目してしまうので、他の注意すべきことに注意が回ってこないんですね。

いつもぼんやりしている人は、傍から見ると注意が足りないように見えます。でも、そういう人は、注意が外側ではなくて内側に向いているんです。黙想をしながら精神統一をしている人は、注意をすべて内側に向けて、外側の雑多な刺激を遮断しているわけですね。

集中力というと何かともてはやされていますが、集中すればするほど視野は狭くなり、周りが見えなくなってしまいます。注意はカメラのズームレンズみたいなもので、まずは広角で広い範囲を見渡してから、ズームアップして詳細を確認しつつ、最もバランスの良い画角でシャッターを押すわけですね。

写真がなんでもかんでも望遠で大きく撮れば良いというわけではないように、注意も適切な度合いというものがあります。注意は必死になればなるほど集中して、視野が狭くなります。時には力を抜いて、広い視野で眺めながら、別の新しい注目すべき場所を探す必要があるでしょう。

自分の注意の状態を、ちゃんと把握しておきたいものです。

嬉しいことにありがとう

嬉しいと思う時って、どんな時ですか?

喜怒哀楽といいますが、喜ぶということは、代表的な感情のひとつです。でも、人が喜ぶ時、嬉しいと感じる時というのは、果たしてどのような時なのでしょう。すぐに思いつくのは、プレゼントをもらったり、誰かに何かをしてもらった時です。でも、どんなプレゼントでも嬉しいというわけではありません。

嬉しいプレゼントというのは、やはり自分の欲しかったものの方が嬉しいものです。でも、同じものであれば、嫌いな人からよりも好きな人からプレゼントしてもらった方がずっと嬉しいはずです。自分の欲しいものでなくても、大好きなひとからのプレゼントは、ただそれだけで嬉しかったりします。

プレゼント以外でも、成績が上がったり、受験に合格したり、目標を達成したりした時には嬉しくなります。誰かにいいことを教えてもらったり、思いがけず新しい発見をしたりした時も、やはり嬉しいと感じます。でも、これらのことも、ただそれだけでは嬉しくない時があります。たとえば、嫌々やらされている時は、どんなに良い結果が出てもそんなに嬉しくないものです。

それでは、嬉しさを決定付ける鍵となるものは、一体何なのでしょうか。それは、そうなって欲しいという「期待」です。誰かと親しくなりたい、もっとできるようになりたい、そういう期待が先にあって、その期待に応える結果が得られて、初めて嬉しいと感じるのです。この期待こそが、喜びの源なんですね。

恋人からのプレゼントが何であれ嬉しいのは、その機能性を期待していたのではなくて、自分のことを気にかけて欲しいという期待があったからです。こっぴどく叱られたのに嬉しく思うことがあるのは、自分の問題点をはっきりしたいという期待があったからです。一見何もなさそうでも、喜びの影には必ず期待が隠されているんですね。

もし、誰かを喜ばせたいと思うなら、相手が何を期待しているのかを良く考えることです。しかし、ここで注意しなければならないのは、それが必ずしも相手が望んでいることではないということです。期待は時期を待つこと、つまり、適切なタイミングが必要なんですね。これがわからないと、ただの貢ぐ君になってしまいますよ。

こうして詳しく見てみると、喜ぶことというのは、なかなか難しいことなんですね。喜んだ時には、素直にありがとうと言いたいものです。

体験の重要性

世の中には、自分の知らないことがたくさんあります。

時には、あまりにたくさんあり過ぎて、自分の無力さにうんざりすることがあります。果たして、生きていくのにどれだけのことを知っていればいいのかと疑問に思うこともあります。毎日のように、どこかで誰かが新しい発見をして、知識は加速度的に増えていきます。いつの日か、その膨大な知識に押しつぶされてしまうのではないかと不安になります。

ここで問題となるのは、自分とその知識との関係性です。いくら優れた知識でも、自分にとって必要のないものであれば、いくら必死になって覚えたところで次から次へと忘れてしまうでしょう。逆に、どんなにつまらない知識でも、それが自分の役に立つものであれば決して忘れることはないでしょう。

人は、そうして膨大な知識をふるいにかけて、記憶の効率化を図っています。そして、それらの知識をつなぎ止める必要性の存在によって、限られた知識を有効に活用できるようになっています。料理でいうと、知識は食材で必要性はレシピということになるでしょうか。

ここで注意すべき点は、知識も必要性も、お互いに補い合う関係だということです。鶏肉と卵があれば親子丼が作れますし、親子丼を作るならタマネギがあればもっと美味しくなるでしょう。こうして、知識と必要性は、お互いに影響しあいながら少しずつ増えていくんですね。

でも、だからといって親子丼を作らなければならないわけではありませんし、タマネギを入れなければならないわけでもありません。自分で食べるだけなら手抜きをしても大丈夫ですが、お客さんに出すのであればタマネギ入りのちゃんとした親子丼を出すでしょう。つまり、最終的な判断はその目的によって決まるのです。

では、その目的を作り出すものは何かというと、それは体験です。自ら体験して感じたことが、感動となって目的を作り出すのです。ただ、現在は他人の体験を体験することだけでなく、新たな体験を作り出すことまでできるようになっています。こうした自他の体験の区別があいまいな状態では、目的も不確かなものになってしまいます。

人の話を聞くこと、本を読むこと、映画を観ること、こうしたことは擬似体験を生み出しますが、それは本物の体験ではなく、単なる知識です。擬似体験によって得られた知識は、自らの体験によって必要性を補わなければならないのです。「どうして親子丼にタマネギを入れるの?」「料理の本にそう書いてあったから」では、説得力がありませんよね。

あなたは、自分自身の体験ができていますか?

医学ボランティアの真実

私は今、医学ボランティアに参加しています。

私がしている医学ボランティアは、新薬の臨床試験です。ボランティアといっても有償ボランティアなので、規定の謝礼が支払われます。そういうと、「モルモットじゃないか」「身体を売るつもりか」と言って非難する人がいますが、そういう人は「一生薬を飲まずに早死すれば良い」と言われても文句は言えませんね。

病院で処方される薬や、薬局で売られている薬は、必ずこうした臨床試験を通しています。つまり、臨床試験を受ける人がいなければ、どんな薬も使うことができないんですね。これは、骨髄バンクや臓器提供と同じように、とても社会貢献度の高い仕事なんです。

しかし、高い謝礼がもらえるということで、安易に参加する人がいることも事実です。治験期間中は、運動や食事の制限や禁煙など、守らなければならない事柄がいくつかあるのですが、中には、夜中に抜け出してコンビニで買い食いしたりトイレで喫煙したりと、まるで不良中学生のようなことをする人がいたりします。

基本的に治験期間中は入院となり、外出はできなくなります。採血、血圧、心電図、診察といった検査の時以外は、自由に過ごすことができます。テレビを見たり本を読んだり、パソコンを持ち込んで仕事したり勉強したり。昼寝やゲームもできます。食事も決まった時間に決まった分量だけ提供されます。ジャグジーの付いたお風呂もいつでも使えます。

ただ、長期間の入院生活というのは結構辛いものです。実際、入院生活に耐えきれずに途中でやめてしまう人もたまにいます。ボランティアなので、自分の自由意思でいつでもやめることができるのはありがたいことなんですけどね。私の場合は、普段読めない本をじっくり読めるので嬉しかったりします。

気になる謝礼は、1泊当たり3万円というのが相場です。私が今回参加した治験は10泊なので30万円ちょっとです。ただし、一度参加すると約半年間は次の治験に参加出来ないので、1ヶ月当たりの金額は5万円となります。短期間にまとまった金額が手に入るのはありがたいことですが、それほど割りが良いというわけでもないんですね。

もちろん、安全性も気になります。治験に参加する前には説明会が行われ、効能や過去に報告されている副作用など、薬に関する詳細な情報が与えられます。同意文書に署名したら、事前検査を行い、条件の合う人から順に採用されます。入院期間中に異常が見つかった場合は、適切な補償が受けられます。

ほとんどの薬は、すでに市販されているもののメーカー違いだったり形状が違っていたりで、まったくの新規開発というのは滅多にありません。私はできるだけそういう安全性の高いものを選んで、副作用率の高いものなどは避けるようにしています。でも、薬で一番危険なのは、他の薬との複合作用なんですね。だから、余程のことがないかぎりは、普段から薬を飲まないように心掛けています。

というわけで、退院は11日になります。入院生活も後半分。頑張るぞ!

本の善し悪し

ここ数年、ほとんど小説を読んでいません。

中学、高校の時は、父親が買って帰った文庫本や、本屋巡りで集めた好きな作家の本など、いろんな小説を読んだものです。ですが、大学に入ってからは、日々の生活の方がずっと楽しくなってきて、今では小説を読んでもどうも面白くないんです。そして、昔読んだ本を読み返してみても、もはや当時の感動を味わうことができないんです。

もちろん、何度読んでも面白い本もあれば、これは面白いと思う本もあります。でも、以前のように、頭を真っ白にして、小説の世界に身を任せていくことができなくなっているんです。妙に言葉遣いが気になったり、話の先を推測しようとしたり、隠された意味を探ろうとしてしまうんですね。

自分でも嫌になるのは、自分と考え方が違うというだけで、変にいらいらしてしまったり、この作者は駄目だと決め付けてしまうことがあるんです。以前なら、一旦自分の意見を保留にして話を読み進めていくだけの心の余裕があったように思うのです。これは、一体どうしてしまったんでしょうか?

その原因として、実用書、特に海外の本を良く読むようになったことが挙げられます。実用書というのは、伝えたいことを明確にして、それをできるだけわかりやすく表現する必要があります。特に啓蒙書の場合は、読者の興味を引きつけなければならないので、文章の善し悪しが大きく影響してきます。

ところが、小説というのは、わざと読みにくい表現を使ったりして、読者を混乱させようとします。まるで、読者を混乱させることが小説の使命であるかのようです。でも、そういう小説というのは、まるで舞台の上を黒子がばたばたと走り回っているようで、どうも白けてしまうんです。仮に、あっと驚かされたとしても、それはただの一発芸でしかないんですよね。

その点、良質な実用書というのは、内容に正面から堂々と取り組んでいるので、読んでいて実に気持ちが良いんです。特に海外の本は、事前に家族や友人に読んでもらって、読みやすくする努力をしているものが多いので、安心して読むことができます。一方、国内の本というのは、たった一人で独りよがりな文章になっていたり、似たような内容の本を書き散らしていたりと、読むに堪えないものが多いように思います。

まあ、海外の本は、良書だけが翻訳されて出されているからというのもあるのでしょうが、国内の本に、独善的なものや、教科書的で退屈な本が多いのは間違いないと思います。そして、小説でも、同じように独善的なものや退屈なものが多いように思えるのです。それほど多くの小説を読んでいるわけではないので、あまり当てにならない話ではありますが。

一番気になるのは、登場人物や物語が記号化され過ぎていることです。綿密に計算された人物相関図や物語の