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iKeyboard 2 ついに完成!

本日、iKeyboard 2のVectorへの登録手続きを行いました。

予定より1ヶ月送れとなってしまいましたが、その分かなり満足のいく仕上がりになっています。 今回の目玉は、ローマ字入力とかな入力への対応なわけですが、実は一番重要な変更点は、ヒント表示のタイミングなんです。 従来は、「練習」では時間差で3段階のヒント表示、「測定」ではヒント表示なしという仕様でしたが、iKeyboard 2では、「練習」では常に指使いとキー位置を表示して、「測定」では2段階の時間差表示になっています。

従来は、できるだけ自力で入力できるようにという配慮から、なるべく悩んでもらおうということだったんですが、iKeyboard 2では、ヒントの出し惜しみをせずに、身を任せるような感じですらすらと入力できるようにしています。 「練習」では、とにかく入力のリズムをつかんでもらって、「測定」でも立ち往生しなくて済むように、時間をかければ必ず入力できるようになっています。

iKeyboard 2では、従来よりも敷居を一段階低くしたような感じですが、結果として実にテンポ良く練習できるようになって、より覚えやすくなりました。 また、測定結果を入力速度のグラフのみに簡略化して、上達具合を一目で確認できるようにしています。 このテンポの良さと練習のしやすさは、iKeyboard 2の大きな特徴だといえるでしょう。

実は、私は普段ローマ字入力を使っていて、かな入力がまったくできませんでした。 そのため、iKeyboard 2の動作確認も、かな入力の部分だけはずっと後回しにしていました。 でも、やらないわけにもいかないので、ついに意を決して練習してみたわけですが、驚くべきことに、夕方くらいから始めて寝る前までには、ほぼ完璧にかな入力を覚えてしまったんです。

もちろん、使い慣れたローマ字入力に比べればまだまだ遅いんですが、たった数時間でここまで上達するとは思いませんでした。 文字の並びと指使い、そして50音順という3通りの覚え方が、頭の中でうまく組み合わさっていくのがわかって、練習していてとても楽しいんですね。 そして、間違いを恐れて入力しないよりも、積極的に入力して間違えていった方が早く覚えられることも発見しました。

一般的に、タイピングは間違えずに入力するのが良いと言われていて、従来のiKeyboardもその考え方に基づいていたわけですが、実は前からそこはかとなく違和感を感じていたんです。 なぜなら、私自身が、普段から結構入力間違いをしているからです。 ほとんどは覚え間違いではなくて、入力が早すぎることによる指の絡まりが原因なのですが、うっかりミスも多いんです。

うっかりミスは集中力次第で減っていきますが、覚え間違いはそうはいきません。 より確実に覚えるための努力が不可欠です。 iKeyboardでは、場所、指使い、順番の3通りの覚え方をしていくので、より確実に覚えられるわけですね。 このように、情報を付加することでより覚えやすくすることを、認知科学では精緻化と呼んでいます。

かな入力が未習得だったおかげで、iKeyboardの持つ力を実感することができました。 これで、自信を持ってiKeyboardを皆さんにお勧めできるというものです。 iKeyboard 2は、後一週間ほどで、Vectorからダウンロードできるようになると思います。 この春、タイピングを習得したいと考えている人は、楽しみにしていてくださいね。

iKeyboard Web Page / iKeyboardのダウンロード

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苦手なじゃんけんぼん

私は、じゃんけんをするのが苦手です。

とは言っても、特別じゃんけんが弱くて苦手というわけじゃなくて、じゃんけんをする時の掛け声が苦手なんです。普通は「じゃんけんぽん」という掛け声だと思うんですが、これがどうにも恥ずかしいんです。なので、じゃんけんをする時は、できるだけ相手に掛け声を言わせて、自分は黙ったままだったりします。

どうしてこんなにじゃんけんの掛け声が苦手なのかというと、私が小さい頃によく使っていた掛け声がちょっと普通じゃなかったからなんです。じゃんけん現役時代の小学生の頃は京都に住んでいたんですが、そこの掛け声が「じゃ~いけ~んで、ほ~い!」だったんです。関西では一般的な掛け声だと思うんですが、鹿児島に来て「何それ?」と言われたのがショックで、苦手になってしまったんですね。

それなら、おとなしく普通の「じゃんけんぽん」という掛け声を使えばいいんですが、これがまた恥ずかしいんです。関西弁を話す人が、語尾に「やんか~」をつける代わりに「じゃん」というのと同じくらい不自然なんですよね。鹿児島に来て10年が経って関西弁もだいぶ抜けてしまいましたが、いまだに「じゃんけんぽん」と「じゃん」は使えないでいます。

じゃんけんの掛け声が地方によって変わるのは有名な話ですが、皆さんはどうやって折り合いをつけているのでしょうか?

世界と芸術の微妙な関係

芸術というのは、本当にわけがわかりませんね。

別に芸術を否定をするつもりはありませんし、むしろ積極的に肯定したいんですが、これがどうにも難しいというか、理解できないんですよね。基本的には、人が感じる様々な感情を表現することを芸術というのでしょうが、人が何を感じるかということを、一体どうやって定義すればよいのでしょうか。

芸術論などの本を読んでいると、どうも芸術というのはナマモノみたいですね。それまでの歴史や、その時代の流行などをひっくるめて、それまで感じることのなかった新しい感情を発見することが、芸術ということのようです。だから、ただ単に自分の気持ちが動いたというだけでは芸術とは言えないようなんです。

なので、ある芸術作品を正しく鑑賞するためには、その製作時期だけでなく、制作者の生い立ちや時代背景、そこにつながる芸術的な流れを理解していなければならないんですね。少なくとも、芸術に通じていると自負するためには、そうしたことを踏まえている必要があるようです。芸術とは、ただ感じていればよいというものではないんですね。

私は、芸術家になりたいわけではありませんし、芸術に深く通じていたいというわけでもありません。ただ、一部の芸術至上主義のようなものには、猛烈に反発してしまうんです。そういう最先端の世界が存在することを否定するつもりはありませんが、芸術こそが人間性を回復する唯一の手段だというような主張には同意できないのです。

人間性を知りたいのであれば、芸術なんかよりも世界そのものを観察すべきです。そこには美しくないものや醜いもの、ありとあらゆるものがごちゃまぜになって存在しています。芸術家は、その中から面白そうなものを見つけてきては、目に見える形にして自分の作品とします。その作品によって、その面白さに初めて気付く人もいれば、いまさら何だと言う人もいるでしょう。

芸術好きの人というのは、芸術作品によって、初めて世界の面白さを教えられた人なんじゃないかと思うのです。だから、その人達にとっては芸術が最優先であって、世界は芸術のための素材に過ぎないんですね。でも、私は自分の住んでいる世界が好きだし、それを別の形に置き換えたものが、それ以上の存在になるとは思えないのです。

優れた芸術には大きな力が宿って、それに教えられることがあるのは確かです。でも、世界から抽出された芸術の力は、鑑賞者によって世界に還元されるべきだと思うんです。もし、それが芸術の中だけで閉じてしまっては、とても不健全なことに思えるのです。

私がブログに写真を載せているのは、綺麗な写真を自慢したいからじゃなくて、身近なところにも綺麗なものがたくさんあることを知ってもらいたいからです、そして、できることなら、皆さんの周りにある綺麗なものを探してもらいたいのです。そうして毎日の生活が楽しくなれば、こんなに素晴らしいことはありません。これは、料理でも同じことですよね。

そういう気持ちの循環を大切にしたいですね。

五感を大切に

今日は、とても良い天気です。

空は青く澄み渡り、木の緑は深く、山の緑はわずかに霞んでいます。風はなく穏やかな空気で、たまに通り過ぎる車がかすかに空気を揺らします。日陰は若干肌寒いですが、日向は強い日差しでじりじりとします。辺りには、鳥の鳴き声や子供の笑い声、お婆さんの世間話やゴミの収集車がゴミをつぶす音などが、ごちゃまぜになって響いています。

ゴールデンウィークとしては、まさに理想的な日和です。向かいの家の家族が、車でどこかへ出かけていきました。お洒落をした女の子が、靴音を響かせながら歩いていきます。その横では、いつものように植木に水をやるおばさんがいて、それをいつもと違った場所から眺めている私がいます。

私はただ、近所にあるバイト先の3階の窓から外を眺めているだけなんですが、ただそれだけで、生きてて良かったなぁと思えてきます。窓を背にしていても、気持ちの良さを全身に感じることができます。目を閉じていても、町のざわめきや清々しい空気をはっきりと感じることができます。退屈な待ち時間であっても、そのゆったりとした時間を楽しむことができます。

今の世の中、強い刺激を求めることが常識になっているところがありますが、こうした緩やかな刺激の方が、強い刺激の何倍も楽しめるような気がします。もちろん、強い刺激もたまには良いですが、それはたまにあるから良いんですね。いろんな刺激を少しずつ、ゆっくりと味わいながら楽しむのが、通というものでしょう。

のんびり、のびのび、いい気持ちです。

本の善し悪し

ここ数年、ほとんど小説を読んでいません。

中学、高校の時は、父親が買って帰った文庫本や、本屋巡りで集めた好きな作家の本など、いろんな小説を読んだものです。ですが、大学に入ってからは、日々の生活の方がずっと楽しくなってきて、今では小説を読んでもどうも面白くないんです。そして、昔読んだ本を読み返してみても、もはや当時の感動を味わうことができないんです。

もちろん、何度読んでも面白い本もあれば、これは面白いと思う本もあります。でも、以前のように、頭を真っ白にして、小説の世界に身を任せていくことができなくなっているんです。妙に言葉遣いが気になったり、話の先を推測しようとしたり、隠された意味を探ろうとしてしまうんですね。

自分でも嫌になるのは、自分と考え方が違うというだけで、変にいらいらしてしまったり、この作者は駄目だと決め付けてしまうことがあるんです。以前なら、一旦自分の意見を保留にして話を読み進めていくだけの心の余裕があったように思うのです。これは、一体どうしてしまったんでしょうか?

その原因として、実用書、特に海外の本を良く読むようになったことが挙げられます。実用書というのは、伝えたいことを明確にして、それをできるだけわかりやすく表現する必要があります。特に啓蒙書の場合は、読者の興味を引きつけなければならないので、文章の善し悪しが大きく影響してきます。

ところが、小説というのは、わざと読みにくい表現を使ったりして、読者を混乱させようとします。まるで、読者を混乱させることが小説の使命であるかのようです。でも、そういう小説というのは、まるで舞台の上を黒子がばたばたと走り回っているようで、どうも白けてしまうんです。仮に、あっと驚かされたとしても、それはただの一発芸でしかないんですよね。

その点、良質な実用書というのは、内容に正面から堂々と取り組んでいるので、読んでいて実に気持ちが良いんです。特に海外の本は、事前に家族や友人に読んでもらって、読みやすくする努力をしているものが多いので、安心して読むことができます。一方、国内の本というのは、たった一人で独りよがりな文章になっていたり、似たような内容の本を書き散らしていたりと、読むに堪えないものが多いように思います。

まあ、海外の本は、良書だけが翻訳されて出されているからというのもあるのでしょうが、国内の本に、独善的なものや、教科書的で退屈な本が多いのは間違いないと思います。そして、小説でも、同じように独善的なものや退屈なものが多いように思えるのです。それほど多くの小説を読んでいるわけではないので、あまり当てにならない話ではありますが。

一番気になるのは、登場人物や物語が記号化され過ぎていることです。綿密に計算された人物相関図や物語のフローチャートが目に見えるようです。これはプログラマーとしての職業病かとも思いましたが、面白い小説であればこうしたことはまったく気にならないので、やはり小説として出来が悪いということなのでしょう。

小説にしろ実用書にしろ、本というのは作者と読者との対話だと思うんですよね。だから、作者が一方的に読者を操作しようとしたり、読者が完全に受け身になってしまっては、決して良い本にはなりません。作者から読者へ、読者から作者への流れがうまく循環して、初めて本として成立するのです。

小説好きの皆さんは、その辺りどう感じているのでしょうか?

体験の重要性

世の中には、自分の知らないことがたくさんあります。

時には、あまりにたくさんあり過ぎて、自分の無力さにうんざりすることがあります。果たして、生きていくのにどれだけのことを知っていればいいのかと疑問に思うこともあります。毎日のように、どこかで誰かが新しい発見をして、知識は加速度的に増えていきます。いつの日か、その膨大な知識に押しつぶされてしまうのではないかと不安になります。

ここで問題となるのは、自分とその知識との関係性です。いくら優れた知識でも、自分にとって必要のないものであれば、いくら必死になって覚えたところで次から次へと忘れてしまうでしょう。逆に、どんなにつまらない知識でも、それが自分の役に立つものであれば決して忘れることはないでしょう。

人は、そうして膨大な知識をふるいにかけて、記憶の効率化を図っています。そして、それらの知識をつなぎ止める必要性の存在によって、限られた知識を有効に活用できるようになっています。料理でいうと、知識は食材で必要性はレシピということになるでしょうか。

ここで注意すべき点は、知識も必要性も、お互いに補い合う関係だということです。鶏肉と卵があれば親子丼が作れますし、親子丼を作るならタマネギがあればもっと美味しくなるでしょう。こうして、知識と必要性は、お互いに影響しあいながら少しずつ増えていくんですね。

でも、だからといって親子丼を作らなければならないわけではありませんし、タマネギを入れなければならないわけでもありません。自分で食べるだけなら手抜きをしても大丈夫ですが、お客さんに出すのであればタマネギ入りのちゃんとした親子丼を出すでしょう。つまり、最終的な判断はその目的によって決まるのです。

では、その目的を作り出すものは何かというと、それは体験です。自ら体験して感じたことが、感動となって目的を作り出すのです。ただ、現在は他人の体験を体験することだけでなく、新たな体験を作り出すことまでできるようになっています。こうした自他の体験の区別があいまいな状態では、目的も不確かなものになってしまいます。

人の話を聞くこと、本を読むこと、映画を観ること、こうしたことは擬似体験を生み出しますが、それは本物の体験ではなく、単なる知識です。擬似体験によって得られた知識は、自らの体験によって必要性を補わなければならないのです。「どうして親子丼にタマネギを入れるの?」「料理の本にそう書いてあったから」では、説得力がありませんよね。

あなたは、自分自身の体験ができていますか?

嬉しいことにありがとう

嬉しいと思う時って、どんな時ですか?

喜怒哀楽といいますが、喜ぶということは、代表的な感情のひとつです。でも、人が喜ぶ時、嬉しいと感じる時というのは、果たしてどのような時なのでしょう。すぐに思いつくのは、プレゼントをもらったり、誰かに何かをしてもらった時です。でも、どんなプレゼントでも嬉しいというわけではありません。

嬉しいプレゼントというのは、やはり自分の欲しかったものの方が嬉しいものです。でも、同じものであれば、嫌いな人からよりも好きな人からプレゼントしてもらった方がずっと嬉しいはずです。自分の欲しいものでなくても、大好きなひとからのプレゼントは、ただそれだけで嬉しかったりします。

プレゼント以外でも、成績が上がったり、受験に合格したり、目標を達成したりした時には嬉しくなります。誰かにいいことを教えてもらったり、思いがけず新しい発見をしたりした時も、やはり嬉しいと感じます。でも、これらのことも、ただそれだけでは嬉しくない時があります。たとえば、嫌々やらされている時は、どんなに良い結果が出てもそんなに嬉しくないものです。

それでは、嬉しさを決定付ける鍵となるものは、一体何なのでしょうか。それは、そうなって欲しいという「期待」です。誰かと親しくなりたい、もっとできるようになりたい、そういう期待が先にあって、その期待に応える結果が得られて、初めて嬉しいと感じるのです。この期待こそが、喜びの源なんですね。

恋人からのプレゼントが何であれ嬉しいのは、その機能性を期待していたのではなくて、自分のことを気にかけて欲しいという期待があったからです。こっぴどく叱られたのに嬉しく思うことがあるのは、自分の問題点をはっきりしたいという期待があったからです。一見何もなさそうでも、喜びの影には必ず期待が隠されているんですね。

もし、誰かを喜ばせたいと思うなら、相手が何を期待しているのかを良く考えることです。しかし、ここで注意しなければならないのは、それが必ずしも相手が望んでいることではないということです。期待は時期を待つこと、つまり、適切なタイミングが必要なんですね。これがわからないと、ただの貢ぐ君になってしまいますよ。

こうして詳しく見てみると、喜ぶことというのは、なかなか難しいことなんですね。喜んだ時には、素直にありがとうと言いたいものです。

注意することに注意しよう

人は、様々なことに注意を向けながら生活しています。

注意には、残念ながら限りがあります。注意を分散させようとするとひとつひとつのことがおろそかになってしまいますが、ひとつのことに集中すれば他のことに注意が行き届かなくなります。注意を分散させたり集中させたりしながら、うまくバランスをとっているわけですね。

「もっと注意しなさい」「注意力が散漫だ」と良く言われる人は、もっと注意力が欲しいと思っていることでしょう。でも、そういう人は、実は注意力が足りないのではなくて、集中し過ぎているんです。目に入ったもののひとつひとつにいちいち注目してしまうので、他の注意すべきことに注意が回ってこないんですね。

いつもぼんやりしている人は、傍から見ると注意が足りないように見えます。でも、そういう人は、注意が外側ではなくて内側に向いているんです。黙想をしながら精神統一をしている人は、注意をすべて内側に向けて、外側の雑多な刺激を遮断しているわけですね。

集中力というと何かともてはやされていますが、集中すればするほど視野は狭くなり、周りが見えなくなってしまいます。注意はカメラのズームレンズみたいなもので、まずは広角で広い範囲を見渡してから、ズームアップして詳細を確認しつつ、最もバランスの良い画角でシャッターを押すわけですね。

写真がなんでもかんでも望遠で大きく撮れば良いというわけではないように、注意も適切な度合いというものがあります。注意は必死になればなるほど集中して、視野が狭くなります。時には力を抜いて、広い視野で眺めながら、別の新しい注目すべき場所を探す必要があるでしょう。

自分の注意の状態を、ちゃんと把握しておきたいものです。

眼の仕組みと写真の見方

人はどうやって、見たものを認識しているのでしょうか。

眼に入った光は、角膜によって屈折し、瞳孔によって光量を調節され、水晶体によって焦点を調節された後に、網膜に像を結びます。網膜には、明るさを感じる杆体細胞と、色を感じる錐体細胞があり、杆体細胞は周辺部に多く、錐体細胞は中心部に密集しています。眼の中心には中心窩という錐体細胞だけが密集した窪みがあり、最大の視力が得られるのはこの部分だけです。

こうしたことは理科の授業で習うわけですが、カメラの仕組みと似ているようで微妙に異なっていることがわかります。一番の違いは、中心窩の存在です。人の眼は、写真のように均一の解像度を持っているわけではないんですね。本を読む時に字を追っていかなければならないのはこのためです。

こうして、あちこち視線を動かしながら、少しずつ対象を認識していくわけですが、これらの視覚データだけを頼りに認識が行われるわけではありません。得られた視覚データとその時の状況を考え合わせながら、最もそれらしいものを推測して、全体像を作り上げているのです。これによって、より少ない情報量で素早い処理ができるわけですね。

たとえば、冬の日にコタツの上に直径10cmほどの黄色い物体があれば、特に観察しなくてもそれがミカンであることはすぐに認識できます。しかし、果物売り場では似たような黄色い物体がたくさんあるので、認識にはより多くの視覚データが必要になり、それだけ時間もかかることになります。

このように、人には効率の良い認識能力が備わっているわけですが、いくつかの問題もあります。推測されたイメージは、標準的な特徴を元に作られるので、その固体ならではの特徴が打ち消されてしまうことがあるのです。また、場合によっては、似たような特徴を持ったまったく別のものとして認識されてしまうこともあります。

こうしたことを考えると、写真の見方が少し変わってきます。静止画であるはずの写真に動きが感じられるのは、中心窩でなぞるように視線が動いているからです。被写体の魅力を存分に堪能することができるのは、均一で高い解像度でゆっくりと時間をかけて観察することができるからです。想像力をかきたてるのは、その特徴をうまくとらえることができているからです。

写真が撮影者自身を写すのには、こうした理由があったんですね。

Tableタグで両手に花

ブログに写真を載せる時、もっとレイアウトに凝ってみたいと思ったことはありませんか?

imageタグでは、align = "left" または align = "right" という属性を付け加えることで、画像を左寄せや右寄せにすることができます。 中央に表示するには、imageタグをcenterタグでくくってやる必要があります。 詳しくは、「fairy cosmos」のmiyuさんが書かれた記事「ハナミズキ(右寄せ、左寄せ、センタリング編)」をご覧ください。

こうした行揃えは、左寄せ、右寄せ、センタリングの順番で記述すれば、このようにテキストの左、右、上に画像を配置することができるようになります。 左寄せと右寄せの順番はどちらでも良いのですが、センタリングだけは必ず最後に記述するように注意してください。

ただし、この方法だと、画像の大きさや、表示領域の横幅によっては、左右の画像と真ん中の画像の間に隙間ができてしまいます。 また、左右の画像の縦幅に対して本文の量が少なかったりした場合は、レイアウトが崩れる可能性があります。

そこで登場するのが、tableタグです。 tableタグは表を作るためのタグなんですが、工夫次第でレイアウトに凝ることができるようになります。 tableタグを使えば、下のようなことが簡単にできるようになります。

どうですか、隙間がなくなって、写真に一体感が出てきましたね。 こうして綺麗な花々に囲まれてみるのも、なかなかいいものです。 両手に花とは、まさにこのことですね。

花の代わりに風景の写真を使えば、臨場感が出てきそうです。 料理の写真は、全部を一枚の写真に収めてしまうと味気ないものになってしまいますが、こうして一品ずつ写真を載せてみるのも良さそうですね。

アイデア次第で、いろんな使い方ができそうです。

<table align = "center">
 <tr valign = "top">
  <td>
   <img src="left.jpg">
  </td>
  
  <td width = 320 >
   <img src="center.jpg">
   <p>
   本文
  </td>
  
  <td>
   <img src="right.jpg">
  </td>
 </tr>
</table>

tableタグでは、trで行を、tdで表の項目を指定します。 trで囲った中にtdを3つ入れれば、3列の表ができます。 trの数を増やしていけば、それだけ表の行数が増えていきます。 上のテーブルは、右のHTMLのような構造になっていて、trが1つ、tdが3つなので、1行3列の表になっていることがわかります。

tableタグに書かれたalign属性は、表を表示する位置を指定するもので、left, center, rightの中から選ぶことができます。 trタグに書かれたvalign属性は、項目の縦方向の位置を指定するもので、top, middle, bottomから選ぶことができます。 tdタグに書かれたwidth属性は、項目の横幅を指定するもので、画像の横幅と同じ値にしておくと良いでしょう。

tableタグの便利な使い方として、項目がひとつだけのtableを作れば、別枠コラムを作ることができるんですよ。 右のtableタグの使用例も、実はこのテクニックを使っています。 この場合は、cellpadding属性を利用して、余白を作っておくと良いでしょう。 <table align = "right" cellpadding = 6>とすれば、6ピクセル分の余白が作れます。

tableタグには、まだまだたくさんの機能があるので、その気になれば、かなり込み入ったレイアウトにすることができます。 興味のある人は、勉強してみてくださいね。

オーブンレンジでスポンジケーキ

とうとう、オーブンレンジを買ってしまいました!

あちこち見て回って、東芝のER-DK2というモデルに決めました。 コジマのオリジナルモデルだそうで、オリジナルのER-D2よりもすっきりと落ち着いたデザインが魅力的です。 オーブンレンジは2~3万円くらいするのかと思っていたら、意外にも13,800円という値段でした。 もっと早く買っておけば良かったなぁ。

まずは、「カラッとフライ」モードで、スーパーのお惣菜を温めてみたんですが、串カツもかき揚げもちゃんとカラッと仕上がりました。 早速、チーズケーキを作ってみたんですが、なぜか焼き色もつかないし型も崩れてしまって大失敗。 焼きおにぎりも作ってみたんですが、オーブントースターの方がぱりっとして美味しかったように思います。

どうも、オーブンレンジの扱いは難しいようです。 ここは基本に忠実にというわけで、説明書に書いてあったスポンジケーキをレシピ通りに作ってみました。 ただし、砂糖はいつものように半分に減らしました。 で、結果はというと、さくさく、ふわふわの、とっても美味しいスポンジケーキが出来上がりました。 このさくさく感は、炊飯器では絶対に出ませんね。 いやぁ、買ってよかった!

作り方は、卵3個を白身と黄身に分けて、それぞれ20gずつ砂糖を入れてしっかりとかき混ぜます。 このふたつを合わせてさらにかきまぜたら、溶かした無塩バター15gと牛乳15cc、レモン汁15ccを加えます。 小麦粉90gをふるいにかけてさらにかき混ぜたら、バターを塗った型に流し込んで、予熱をしておいた160度のオーブンで40分焼けば出来上がりです。

チーズケーキで失敗したのは、ちゃんとしたケーキの型じゃなくて、取っ手のとれたIH鍋を使ったからかもしれません。 バターを溶かすのも、器に入れてレンジで40秒、湯せんをしなくて済むのでとっても楽です。 今回は、味噌こしを使って小麦粉をふるいにかけてみたんですが、口当たりがずっと良くなったように感じました。

それにしても、このスポンジケーキ、本当に美味しかったですよ。 口当たりが軽かったのもあって、焼きたてがあっという間になくなってしまいました。 これって食べ過ぎ? クリームがなくても、フルーツがなくても、素のスポンジケーキがこんなに美味しいなんて驚きです。 う~ん、もう炊飯器ケーキには戻れないかもしれない…。

オーブンレンジで簡単グラタン

オーブンレンジで、グラタンも作っちゃいましたよ。

ボールにバター15gと小麦粉30gを入れて、レンジで2分30秒温めます。 かき混ぜながら牛乳300ccを加えて、さらにレンジで7分間温めます。 途中、3回ほど取り出してかき混ぜましょう。 塩、コショウで味付けしたら、ホワイトソースの完成です。 後は、グラタン皿にクリームソースと適当に切った材料を入れて、250度のオーブンで30分焼けば出来上がりです。

グラタンはオーブントースターでもできますが、ホワイトソースまでレンジでできてしまうなんて感激です。 今まで、ちょっとだけ火にかけたい時など、わざわざ鍋に移さなければならなくて大変だったんですが、これからはそのままレンジで温めるだけで済むので、手間もかからないし、洗い物も少なくて済みます。 オーブンレンジって、本当に便利ですね。

実は、今まで電子レンジに対して、あんまり良いイメージを持っていなかったんです。 小さい頃に、ラップに包まれた料理を電子レンジで温めて食べたという寂しい経験があるからでしょうか。 どうしても、電子レンジは手抜きの機械だという印象があるんですよね。 案外、そういうイメージを持っている人は多いのではないでしょうか。

でも、電子レンジでも、使い方次第でとっても豊かな食生活を送ることができるんですね。 これからは、オーブンレンジのある生活を存分に楽しんでいこうと思います。

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