手作りかるかん粉でかるかん作り

昨日の今日ではありますが、かるかん粉を自分で作ってしまいました。

すり鉢かコーヒミルで作れるんじゃないかということで、与次郎にあるファミリーショップ・ニシムタへと足を運んでみました。 途中、いくつかのお店に立ち寄りながら、コーヒーミルの値段を調べてみたんですが、どれも3,000円以上のものばかりで、ちょっと高いかなぁ、とあまり期待はしていませんでした。

まず、1階の調理器具売り場を見てみると、すり鉢の小さいのが580円でありました。 すりこぎが200円ほどだったので、これだと1,000円でおつりがきます。 でも、せっかくだから、もうちょっといいのが欲しいなぁ、ということで、すり鉢を保留にして、2階の電化製品売り場へと移動します。

すると、いきなり電動コーヒーミルが1,980円で売ってるはありませんか。 「エスプレッソもできます」というシールまで貼ってあります。 他の店だと、電動コーヒーミルは5,000円もします。 その横には、コーヒーメーカーやジューサーミキサー、フードプロセッサーなどが並んでいたんですが、近頃のミキサーは、アタッチメントでいろんな使い方ができるようになっているんですね。

ジューサーミキサーはもちろん、コーヒーミルとして使えたり、粉末の抹茶を作ったり、スムージーというシェイクみたいなのを作れるものもあります。 便利な世の中だなぁ、と思いつつ、5,000円以上する値段の高さに驚いていると、1,980円と2,280円のミキサーが目に入りました。 おお、これは安い。

いろいろ見比べてみたところ、2,280円の方がアタッチメントの種類が多くて、安い割に作りもしっかりしていたので、こちらを買うことにしました。 TESCOM TML24という機種なんですが、コードを巻き取れるようにしてあったり、手入れするためのブラシを格納できるようになっていたりと、実に細かいところまでよく考えられて作られていて、すっかり気に入ってしまいました。

部屋に帰ると、早速かるかん粉作りに取りかかります。 お米を1合(150g)を水洗いしてからざるにとり、キッチンタオルで水分を拭き取ってから、1時間ほど乾かします。 米が乾いたら、50gずつ、3回に分けてミルにかけていきます。 最初は1秒ずつくらいにスイッチを入れ、粒が細かくなってきたら、10秒ほど続けて砕いていきます。 粉が出来上がったら、あとは前回と同じ作り方です(分量に注意)。

で、仕上がりの方はと言いますと、粉の挽きが甘かったようで、ぷちぷちと固まりが残ってしまいました。 でも、30分ほど蒸せば、新しい食感として楽しめるほどの柔らかさになりました。 ミルで大雑把に砕いた後は、すり鉢でさらに細かくした方が良いようです。

ぷちぷちかるかん、これはこれで、なかなか美味しいお菓子ですよ。

かるかん粉でかるかん作り

ついに、かるかん粉を買ってしまいました。

前回、値段が高いと文句を言っていたかるかん粉ですが、500gを360円で買えました。 ということは、100g当たり70円ですね。 この間の上新粉が250gで175円だったので、こちらも100g当たり70円なので、実はかるかん粉も上新粉も同じ値段だったんです。 かるかん粉の方が分量が多かったので勘違いしていたんですね。 かるかん粉よ、申し訳ない。

で、気になるかるかん粉ですが、意外と挽きが荒いんですね。 上新粉の方がずっときめが細かいんです。 もしかしたら、上新粉だときめが細か過ぎてふっくらしなかったのかもしれません。 ちなみに、かるかん粉も上新粉も、どちらも原材料はうるち米のみです。 普通のだんご粉や米粉はうるち米だけでなくもち米も入っているので、これでかるかんやういろうを作るとねばねばになってしまうんですね。

作り方は、かるかん粉の袋に書いてあったものを参考にしてみました。 ボールに山芋80gをすりおろしてから、水15ccを入れてよく混ぜ合わせます。 かるかん粉100gを入れてよくかき混ぜたら、砂糖50gと水40ccを入れてさらに混ぜ合わせます。 別のボールに卵1個分の卵白と砂糖10gを入れてメレンゲを作り、生地と混ぜ合わせます。

後は、容器に入れて20分ほど蒸すだけなのですが、あれ、前回よりも分量が多い? 材料は同じ分量なのに、生地が2倍に膨らんでいます。 これがかるかん粉の威力なのでしょうか。 一度にひとつずつしか蒸せないので、2回に分けて蒸していきます。 そして蒸し上がったかるかんは、実にかるかんらしい風貌をしていました。 これは期待できそうです。

皿に移すと、前回とはまるで別物に仕上がっていることがよくわかります。 口に入れると、ざらざらした舌触りといい、ふんわりとした軽さといい、これは正しくかるかんの食感です。 2倍に膨れ上がった分、甘さが少し足りない感じですが、これは正真正銘のかるかんに間違いありません。 やっぱり、かるかん粉じゃないと、ちゃんとしたかるかんの味はでないみたいですね。

問題は、鹿児島以外ではかるかん粉は手に入りにくいということです。 かるかん粉は、うるち米を水洗いした後に、半乾燥させた状態で粉砕したものということなので、すり鉢やコーヒーミルなどを使えば、案外簡単に作れそうです。 次は、粉から手作りで作ってみようかな。

かるかん作りは、なかなか奥が深いようです。

手作りクリームソースでクリームシチュー

手作りクリームソースの第二弾は、クリームシチューです。

前回のクリームパスタで、クリームソース作りにも慣れてきたわけですが、小麦粉が固まってしまうのが怖くて、ついつい小麦粉の量を減らしてしまったり、煮詰め方が甘かったりしていたのでした。 でも、私はとろみが強い方が好みなので、今回は思い切って小麦粉を増量して作ってみました。

まずは、ボールに牛乳360ccと小麦粉40gを入れて、泡立て器でよくかき混ぜます。 鍋にバター20gを入れて弱火にかけながら、少しずつ小麦粉を混ぜた牛乳を入れていきます。 この時、よくかき混ぜながら、しっかりととろみがつくまで煮詰めるのがポイントです。 牛乳を入れ終わったら火を止めて、生クリーム100cc、塩10g、砂糖10g、コショウ5gを入れれば、クリームソースの完成です。

後は、いつものシチュー作りと同じです。 タマネギ2個と鶏肉200gをしっかり炒めてから、刻んだニンジン1本とジャガイモ3個を入れて、さらに炒めます。 しめじ1株と水800cc、コンソメ1個5gを入れてよく煮込んだら、クリームソースを入れればできあがりです。

今度は適度なとろみがついて、満足のいく仕上がりになりました。 クリームシチューというよりは素朴な牛乳スープという感じですが、わざわざ市販のクリームシチューの素を買わなくても、バター、小麦粉、牛乳というありあわせの材料でできてしまうのは嬉しいですね。 彩り的には、緑の豆類があれば良かったかもしれません。

それほど手間もかからないので、ぜひ一度、手作りクリームシチューを作ってみてくださいね。

禁じられた「禁じられた遊び」

Yahoo! 動画で、初めて「禁じられた遊び」を見ました。

田舎で暮らす青年は、ギター1本で世界を旅することを夢見ています。 幼なじみの少女は、彼の恋人でもあり、彼のギターのファンでもあります。 彼女は、彼の夢を実現させるために苦労を重ねますが、やがて戦争が始まり、彼は兵隊にとられ、戦場へと送られてしまいました。 彼のギターの音色を思い浮かべながら、彼女は彼の無事を祈り、帰りを待ち続けているのでした。 果たして、彼は無事に帰って来れるのでしょうか。そして、彼の夢は実現するのでしょうか。

という話を想像していたのですが、全く違う話でした。 小学生の頃、ベーマガに「禁じられた遊び」というゲームが投稿されていたこともあって、映画のタイトルと、ギターというキーワードは知っていました。 でも、当時はインターネットのような便利なものはなかったので、一体どんな凄い映画なんだろう、と期待だけが膨らんでいったのでした。

同じように、「博士の異常な愛情〜または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」という長いタイトルの映画も特別な存在でした。 「時計仕掛けのオレンジ」で、スタンリー・キューブリックの不思議な世界にハマってしまった私は、もちろんこの映画も見たわけですが、これがあの映画だったのかと、妙に感慨深いものがありました。

でも、「禁じられた遊び」の方は、あまりに「名作だ」という評価が高かったり、製作年が古くて「淡々としてつまらない映画に違いない」という思い込みがあったりで、ずっと敬遠していたんですね。 この映画がきっかけでギターを始めたという人が多いというのも、どうも気に入りませんでした。 反戦映画ということで、安易なお涙頂戴物だと嫌だなぁという不安もありました。

そうして躊躇しているうちに、いつの間にか勝手なイメージがどんどん作られてしまったんですね。 「この子達はいつになったら大きくなるんだ」とか、「ギターがなかなか出てこないなぁ」なんてもじもじしながら見ていたんですが、結局最後まで裏切られることになりました。 でも、自分が想像していたものよりも、ずっと良いお話でした。

部屋にいながらにして、無料で映画が見れるなんて、いい時代になったものです。

飼い猫に手を噛まれるの図

ミーちゃんとの格闘シーンが見たい人は、左のミーちゃんをクリック(mov形式)。 うまく再生できない場合は、こちら(avi形式)をどうぞ。

本ブログ初の動画ですよ。 うちの飼い猫のミーちゃんは、生まれて間もない頃に拾われて、ずっとこの部屋の中で暮らしてきました。 なので、外の世界をほとんど知りません。 ずっと部屋の中にいて、一体何をしているのかというと、食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活を送っています。

若い頃は、ばったばったと走り回っていたものですが、もうすぐ5歳になる今となっては、走り回る姿を見る方が珍しいくらいです。 たまに、床を這い回る虫を相手に大立ち回りをすることがありますが、ほとんどは、ただひたすらに、じっとうずくまっています。

どうしても退屈なときは、私の腕をぽんぽんと叩いて、遊んでくれとせがみます。 「餌くれ」とか「砂かえろ」という時もありますが、ぽんぽんと叩くときは、大抵は遊んで欲しい時です。 そうかそうか、遊んで欲しいか。でも、何して遊ぶ?

普段から放ったらかしの放任主義なので、実は何をして遊んでいいのかよくわからないんですよね。 なので、ミーちゃんとはいつも真剣勝負の大格闘をします。 叩いたり、引っ掻いたり、噛み付いたり。 おかげでこっちはミミズ腫れの傷だらけですが、ミーちゃんはそれなりに満足してくれるようです。

皆さんは、飼い猫(犬)と、どんな遊びをしているのでしょうか?

手作りクリームパスタでご満悦

手作りのクリームソースでパスタを作ると、とっても美味しいんですよ。

初のクリームソース作りから1ヶ月。 クリームソース・パスタ作りも、だいぶ板についてきました。 写真を見比べても、こっちのほうが美味しそうに見えるでしょ。 ちょっとしたコツをつかむだけで、とっても手軽に、上手に作ることができるんですよ。 それでは、そのコツをご紹介しましょう。

クリームソースの最大の難関は、バターで小麦粉を炒めながら、牛乳で延ばしていく作業です。 うっかり焦がしてしまったり、小麦粉がだまになってしまったりして、なかなかうまくいかないんですよね。 でも、最初に牛乳に小麦粉を入れて溶かしておけば、実に簡単にクリームソースができてしまうんですよ。

まず、鍋に牛乳180ccと小麦粉10gを入れて、泡立て器でよくかき混ぜます。 小麦粉がしっかり混ざったら、バター20gを入れて、弱火で火にかけます。 焦がさないようにかき混ぜながら、適当な固さになるまで煮詰めます。 とろりとしてきたら火を止め、生クリーム100ccを加えてから、砂糖、塩、コショウで軽く味付けをします。

クリームソースができたらパスタをゆでて、その間に挽肉100g、タマネギ半個、しめじ半株を適当な大きさに刻んでおきます。 パスタがゆであがったら、フライパンにたっぷりのオリーブオイルをしいて、刻みニンニクを入れて香りをつけます。 刻んでおいた材料を入れて良く炒めたら、ゆでたパスタを入れてよくからめてから、ボールに移します。 クリームソースに卵1個を入れて良くかき混ぜたら、ボールに流し込んで、パスタとソースをよくからめます。 お皿に移して、コショウとバジルをふりかけたら、クリームソース・パスタの完成です。

今回はクリームソースの煮詰め方が足りなくて、スープ・スパゲティのようになってしまいましたが、ふんわりとしたクリームソースは絶品でしたよ。 香ばしさが欲しい人は、牛乳に小麦粉を溶かした後、フライパンでバターと一緒に少しずつ炒めていくと良さそうです。 でも、このままでも十分美味しいですよ。

ふぅ、お腹いっぱい。ごちそうさまでした!

紫蘭とその他のお花達

近頃は、花を撮るのが楽しくて仕方ありません。

県庁の裏で初めて知った紫蘭の花ですが、とうとう白い紫蘭を発見しました。 紫の蘭なのに白いというのもおかしな話ですが、こういう色違いの白い花というのは結構多いようです。 あのオドリコソウにも、ピンク以外に白いものがあるようです。 初めて見た白い紫蘭の花は、期待通りのとても美しい花でしたよ。

別の場所では、すっかりお馴染みになった紫色の紫蘭を見つけました。 紫蘭の花を見る度に、スターウォーズに出てくる「X-Wing」という戦闘機を連想してしまうんですが、結構似てますよね。 その横では、三枚花びらの紫色の花が咲いていました。

その下では、くっきりとした黄色い花が太陽のように咲いていました。 その隣では、アルコールランプのような赤い花が、揺らめくように咲いていました。 野草の花の名前はちょっとずつ覚えてきましたが、園芸用の花はまださっぱりわからなかったりします。

花を撮るということは、本当に飽きることがないですね。

ファインダーを覗く目

目は、世界を自分の血の色に染めることができます。

というのも、やなせさん「写真展ごっこ」に出てくる「血管は無限大」という写真を見て、強烈な衝撃を受けてしまったのです。 「て〜のひらを〜たいように〜」という歌があるように、人間の身体は、強い光を当てるとわずかに透けて見えます。 そして、身体を通り抜けた光は、真っ赤な血の色に染まります。 逆に、ストロボの前に指先をかざせば、真っ赤な血の色を照射しながら写真を撮ることができるのです。

そんな面倒なことをしなくても、画像処理で赤い色の写真を作り上げることは簡単です。 でも、それはただの「赤い色の写真」でしかありません。 指先ストロボを使うと、自分自身の本物の血の色をした写真が撮れるのです。 つまり、赤い色に「自分の血の色」という現実の意味が加わるのです。 そして、その意味を知った瞬間に、写真を見る目ががらりと変わります。

これは、指先ストロボに限らず、写真撮影という行為の本質をついたことだと思うのです。 カメラは、レンズを通して集められた光を記録します。 しかし、写真撮影というのは、ファインダーを覗く目から発せられたイメージを、カメラのレンズを通して外の世界に放射する行為なんですね。 だから、写真というのは、撮影者の目に映った光景というだけでなく、まさしく血の通ったイメージなんですね。

光景を記録するのはカメラの役目、写真を撮るのは血の通った人間の目なんですね。

町の片隅の古代遺跡

昨日は、鹿児島中央駅まで買い物に行ってきました。

途中、中州通りという交通量の多い大きな通りを通るんですが、その道沿いに小さな川が流れています。 川というよりは、どぶ川もしくは用水路といった感じで、三方をコンクリートで固められているわけですが、そこにはたくさんの雑草が生い茂り、何本かの木も植えられています。

長いこと手が加えられなかったようで、突き出たパイプは赤茶けたサビ色に変色しています。 青々として若々しい雑草を横目に、古参としての貫禄をにじませています。 木陰に入ると、コンクリートの壁面や雑草、そして水面の上に木の影が落ちて、妖し気な世界へと変わっていきます。

壁面には、用途の不明な四角い空洞があり、中にはびっしりと雑草が生えています。 木にはなぜかさびた鎖が巻かれていて、根元はばっくりと縦に裂けています。 こうした謎めいた世界を眺めていると、まるでペルーかどこかのジャングルの奥地にある古代遺跡に迷い込んだような気分になります。

「か〜わぐち〜ひろしが〜、どうくつには〜いる〜」という歌を聞きながら写真を撮っていると、ファインダーの中に何やら動く黒い影を発見しました。 彼は一体何者なのか。もしかしたら、この古代遺跡の生き残りの番人かもしれない。 彼は、まるで影のように闇に溶け込み、目だけがこちらを監視している。 その目は、この地に立ち入るなと警告しているようだ。

そんな探検ごっこをしていたら、表面がつるつるの木が目に入りました。 これはサルスベリの木でしょうか。 サルスベリというと、「何だサルスベリか」と思ってしまいますが、探検隊の目から見ると、何やら新種の植物のように思えてきます。 その流れるような艶が、止まった時間を一気に加速していきます。

ふと振り返ると、そこにはサルスベリとともに、いつもの見慣れた光景が広がっていました。

鹿児島名菓、かるかんを作ろう

鹿児島には、かるかんというお菓子があります。

見た目は普通の白いおまんじゅうなんですが、皮がふんわりもちもちしていて、これが絶妙に美味しいんです。 それは、私が初めてお土産に買って帰った時に、なんて美味しいお菓子なんだと家族に渡すのが惜しくなったくらいです。 でも、かるかんまんじゅうは、普通のまんじゅうの2倍の値段がするので、なかなか買う気になれなかったんですよね。

かるかんの美味しさの秘密は、山芋にあります。 山芋のとろとろとした粘りが、かるかんのあの独特のもっちり感を生み出しているんですね。 早速、山芋を買ってきて、手持ちの米粉と混ぜ合わせて作ってみたんですが、どうも違う。いや、全然違うんです。 どうも、ういろうの時のように、よりきめの細かい上新粉を使わないといけないみたいです。

というわけで、上新粉を買ってきて、再挑戦してみました。 本当は、かるかん粉というのもあったんですが、値段が倍近く高くて、他所では手に入らないだろうということで、上新粉にしました。 上新粉よりもさらにきめ細かい上用粉というのもあって、こちらのほうがよりかるかんらしくなるようです。

作り方は、ボールに卵1個分の卵白と、砂糖25gを入れ、よくかき混ぜてメレンゲを作ります。 しっかり角が立ってきたら、山芋100gをすりおろし、水50cc、砂糖25gを加えてさらにかき混ぜます。 最後に上新粉100gを入れてしっかりかき混ぜたら、蒸し器で20分ほど蒸して出来上がりです。

で、その出来映えはというと、だいぶかるかんらしくなってきました。 ただ、甘さが強すぎたのと、ふっくら感がまだまだ足りませんでした。 一度、頑張ってかるかん粉を買ってみようかなぁ。 かき混ぜ方も少し工夫した方がいいかもしれません。 ふくらし粉を使う人もいるようなので、まだまだ研究の余地ありですね。

かるかんといっても、猫まっしぐらのカルカンじゃありませんからね!

赤瀬川原平と土門拳

赤瀬川原平と土門拳は、私の写真に深い影響を与えた人達です。

赤瀬川原平を最初に知ったのは、大学に進学した年の立体視ブームの時でした。 当時人気だったのはステレオグラムでしたが、私はそれよりも立体写真の方に魅力を感じました。 偶然買った立体写真の本が、赤瀬川原平の「二つ目の哲学」だったんですが、当時は赤瀬川原平という人としてはあまり認識していませんでした。

大学の研究室に入って、自由にインターネットが使えるようになると、面白いホームページを探して回るようになりました。 すると、トマソンという不思議な写真がひそかなブームになっていることに気づきました。 トマソンとは、行き止まりになっている階段など、町中にある無用の長物と化した物件のことです。

人によっては「だからどうした?」という、まさに無用の長物的なことではありますが、それを大真面目に、多大な労力をかけて収集・分類している様子は、感動的ですらありました。 そして、そのトマソンの第一発見者が、赤瀬川原平だったんですね。 トマソンは、その後、路上観察学へと進化していきます。

赤瀬川原平というと、流行語大賞にも選ばれた「老人力」が有名ですが、私の中では「路上観察」の人なんです。 赤瀬川原平の写真は、「物件」という言い回しからもわかるように、対象はあくまで「物」が中心なんですが、その「物」を見た時の感動を写しているんですね。 赤瀬川原平の写真の魅力は、「物」そのものよりも、その眼差しにあると思っています。

私がデジカメを手にしたのとトマソンブームがちょうど同じ時期だったので、無意識のうちに路上観察的な視線で写真を撮るようになっていました。 それは今も引き継がれていて、日常の何気ない光景に潜んでいるものを、写真に撮ることによって掘り起こそうという姿勢は変わっていません。

その後、PowerShot A60を手にして、本格的に写真の勉強を始めると、ネット上に公開されている写真を見て回るようになりました。 すると、自分の路上観察的なスタイルが、実は少数派であることに気づきました。 そして、ただ綺麗なだけで、何も感じない写真が実に多いことに驚きました。

確かに、花は綺麗だし、野鳥は珍しいし、飛んでいる昆虫を撮るのは難しいです。 有名な撮影スポットは絶景だし、糸のように流れる滝は繊細です。 でも、そこに綺麗な写真を撮りたいという気持ちは見えても、その「もの」を見た時の感動があまり感じられないんですね。

よし、それならプロのカメラマンの写真を見てみよう、というわけで図書館に行ってみたのですが、写真集を適当に手に取って見てみても、どうもぱっとしないんですね。 さすがプロだけあって、心の針が振れるものも多いんですが、目盛りの真ん中辺りでふらふらしてばかりなんです。 それが、土門拳の「昭和のこどもたち」を手にした時、針が一気に振り切れました。

もう、土門拳の執念が、写真から滲み出るとか溢れ出るとかという次元を超えて、全身を焼き尽くすように内側から燃え上がってきたのです。 そう、これだ、これを待っていたんだ!自分が待ち望んでいたのは、この内側から燃え上がる熱意だったんだ! ついに尊敬できる写真家を見つけたことを、とても嬉しく思いました。

写真であれ何であれ、本物の出会いの時には、心が大きく動くものです。 そして、本物の感動があれば、どれだけ伝え方が下手だとしても、その感動は伝わるものです。 それにしっかりした伝達技術が加われば、より明確にその感動を伝えることができるでしょう。 逆に、どれだけ優れた技術を持っていても、そこに感動がなければ、何も伝えることはできないのです。

赤瀬川原平と土門拳は、感動することの大切さを私に教えてくれました。 でも、その内容は両者で大きく異なります。 赤瀬川原平は、人の意図から離れたところにある無意識の感動を教えてくれました。 土門拳は、自分自身に正面から立ち向かっていくことの感動を教えてくれました。 一見すると全く異質な組み合わせですが、私の中では二人が仲良く肩を並べているのです。

あなたは、尊敬できる人に巡り会えましたか?

パソコン購入検討中

このところ、新しいパソコンを購入するかどうかでずっと悩んでいます。

今のメインマシンであるPower Mac G4を購入したのは、5年半前の2000年10月です。 これまで、メモリやハードディスクの増設はもちろん、ビデオカードやCPUカードの交換、USB 2.0ボード、ATA 133ボードの増設、静音ファンへの交換など、あちこち手を加えてきたわけですが、それも限界に近づいてきています。

今の性能に大きな不満があるわけではありません。 Webのブラウジングや写真の鑑賞、ソフト開発など、普段の用途ではそれなりに快適に動作してくれます。 唯一、RAWの現像だけが時間がかかりますが、これはもともと時間のかかる処理なので仕方ありません。 ただ、先日のハードディスクのクラッシュや異臭騒ぎがあったりして、そろそろハード的に寿命がきていることは間違いありません。

そこで、Intel Macの登場です。 Mac mini Core Duoは、従来のMac mini G4の4倍の処理能力があるといいます。 さらに、Boot Campを使えば、Windows XPもネイティブに動作させることができます。 しかも、余計な付属品なしで10万円で買えてしまいます。 Mac miniなら場所もとらないし、これは素晴らしい選択肢だと思ったわけです。

しかし、従来のPowerPCアプリケーションの場合は、現在のPowerPC 1.2GHzよりも動作が遅くなるようです。 ハードディスクも、2.5inchの100GBでは明らかに不足しています。 思い切ってiMac Core Duo 20inchにしてしまおうかとも思いましたが、どうせ20万円以上出すのなら、Intel Power Macが出るまで待った方が良いでしょう。 Intel Macでうちのソフトの動作確認をしたいというのもあるのですが、現状では開発環境であるREALbasicが対応していないので、対処のしようがありません。

RAW現像用に、自作PCの方を強化しようかとも思いましたが、こちらもWindows Vistaが出るまで待った方が良さそうです。 Power Mac G4も自作PCも、古いハードを限界まで手を加えているので、すべてを新調した方が安く上がりそうです。 Intel Power Macが出れば、MacもWindowsも同時にグレードアップさせることができるし、多少高くてもパソコンを2台買ったと思えば納得できます。

納得したところで、やっと物欲がおさまってきました。 これからも、よろしく頼むぜ、相棒!

海が見たかったんです

ふと海が見たくなって、祇園之洲公園まで行ってきました。

祇園之洲公園には、かつて鹿児島市内を流れる甲突川に架かっていた石橋が移設されています。 石橋は全部で5つあって、五大石橋として親しまれていたのですが、1993年の8/6大水害で、そのうちの2つが流されてしまい、文化財の保存という観点から、残りの3つが移設されたのです。 ちょうど私が鹿児島に来た年の出来事だったので、甲突川に架かった石橋をぎりぎり見ることができたのでした。

石橋を造ったのは、肥後の岩永三五郎という人で、一族で九州内に200近くもの石橋を造ったそうです。 大変に優秀な人だったらしいですが、こんな安っぽい石像にされてしまっては、きっと天国で泣いているのではないでしょうか。 ここは綺麗に整備されて立派な公園になっているわけですが、実はあんまり好きな場所じゃなかったりします。 悪いわけでもないんですけどね。

偽物の川に架かった石橋を撮りながら、本物の川に架かった鉄橋を渡ります。 川には防風林代わりの松の木が植えられていて、海岸らしい雰囲気を出しています。 この川沿いに海へと歩いていくと、堤防の先まで行くことができます。 ああ、海だ!おお、桜島だ!空は青く、太陽は夏のような日差しで照りつけてきます。

堤防の先では、釣り竿を置いた釣り人達が、壁にもたれながら弁当を食べています。 その反対側では、おじさんがひとり、物思いに耽りながら海を眺めています。 堤防の向こうでは、桜島フェリーがゆっくりと通り過ぎていきます。 はぁ、海っていいなぁ。ふぅ、肩の力が抜けてきた感じ。ほっとする瞬間です。

鹿児島って、本当にいいところだなぁ。

自分流ソフト開発

パソコンのソフトって、どうやって作っているんでしょうね。

最も原始的なのは、ただ自分の欲しい物を作るというものです。 「これをこうしてくれるソフトがあったら便利なのになぁ。よし、作っちゃえ」というわけです。 ネット上に出回っているフリーソフトやシェアウェアの大半が、こうして作られたソフトですね。 確かに、小回りが利いて便利なものが多いんですが、一発芸的な単機能のものや、自分さえわかればよいという操作性に問題のあるものが多いのも事実です。

市販ソフトに多いのが、機能詰め込み主義です。 まず、ソフトの分野を決めてから、ブレインストーミングで思いつくままに機能を挙げていきます。 その中で実現できそうなものから、どんどん機能を実装していって、締め切りがきたらめでたく完成です。 驚くほどの多機能ぶりには感心するばかりですが、中には「こんな機能一体誰が使うの?」と首を傾げるものがあったりします。 Microsoft Officeは、この手の典型的なソフトですね。

一方、誰のためにこのソフトを作るのか、ということを重視する方法もあります。 Appleは一貫して、機能よりも用途を優先したソフトを提供しています。 そのため、その用途にぴったり合った人には熱狂的に受け入れられますが、それ以外の人達には見向きもされせん。 Appleが根強い人気を保ちながら、決してトップシェアをつかむことができないのはこのためですね(iPodは例外)。 企業向けのカスタムソフトなども、この仲間に入るかと思います。

教科書的には、まず問題提起があって、次に問題の調査、要求定義、コーディング、テスト、完成と続くわけですが、皆この手順通りにやっているのに、上のような違いが出てくるんです。 結局は、能力に差があったり、お互いの意思の疎通ができていなかったりで、それらのバランスがとれていないわけですね。 最終的には、それらを統括するプロデューサーの手腕にかかってきます。

私のような個人でソフト開発をする場合は、すべてをひとりで行うわけですから、それらのバランスを取りやすいという利点があります。 ただし、そのためには、私個人の能力が優れていなければなりません。 下手をすると、独りよがりの役に立たないソフトになってしまう可能性もあります。

幸い、私には自由な時間がたくさんあります。 その時間を有効に使って、より多くのことを体験し、楽しむことで、その経験をソフトを通じて提供していく。 それが、私流のソフト開発法なんです。 趣味の魅力というのは、それを好きにならないと、なかなか見えてこないものです。 だから、いろんなものを好きになって、いろんな魅力を見ていくことが、私の力になるんですね。

というわけで、これからも頑張るぞ〜!

iKeyboard 2の仕様変更

完成目前のiKeyboard 2ですが、ここにきて若干の仕様変更をすることになりました。

このところ、PhotoMaster 2の仕様を練りつつ、ゆるゆるとiKeyboard 2のテストプレイを続けていたわけですが、動作のおかしなところは減ったものの、どうも動作がしっくりとこないんです。 というのも、自分自身がタイピングを習得しているために見えていなかったことが、未習得のかな入力を練習することで、少しずつ見えてきたんですね。

現行のiKeyboardでは、最初に文字配列をマウスを使って覚えるようになっています。 これは、不慣れなキーボードの操作に入る前段階として、扱いやすいマウスを使って、先に文字配列を暗記してもらおうというものです。 練習方法としては、トランプの神経衰弱の要領で、文字とキー位置の正しい組み合わせをマウスでクリックしていきます。

これはこれで素晴らしいアイデアなわけですが、いきなり「好きな組み合わせでクリックしてください」と言われても、初めての人なら戸惑ってしまうでしょう。 自由であることは良いことだと思いがちですが、だったら始めからキーボード練習ソフトなんて必要ないわけで、やっぱり一歩一歩、足を踏み出す場所を示していかなければならないのです。

そういう観点からすると、現行のiKeyboardは、最初の一歩でつまずいてしまう可能性が高かったわけです。 iKeyboard 2でも、基本的にこの部分は変更していなかったので、急遽変更することにしました。 新しい練習方法では、キーボードの最上段から、左から右へ、上から下へ、順番にキーをクリックしていきます。 測定時には、従来通りの自由な順番で入力をしていきます。

一般的な習慣として、文章を読む時は、左から右へ、上から下へと順番に読んでいきます。 キーボードの文字配列も、それと同じように、左から右へ、上から下へと読んでいこうというわけですね。 次の指使いの練習では、ホームポジションを基準として、各指の上下の動きを練習していきます。 最後には、アルファベット順や50音順などの馴染みのある順番で、文字を入力していきます。

このように、3通りの異なる順番で練習することで、キー入力を確実にしていくわけですね。 これは、iKeyboardの学習理論の核となるものなのですが、今回の仕様変更で、この3つのバランスがより優れたものになりました。 5月1日から2週間ほど留守にする予定なので、それまでに修正とテストを終えて、Vectorに登録申請したいと考えています。

この春、めでたく進学、就職されてタイピングが必要になった方は、ぜひiKeyboardで練習してくださいね。 なお、iKeyboard 2は、現行のiKeyboardと共通ライセンスですので、アップグレード料金は不要です。 お急ぎの方は、今すぐ現行iKeyboardをお試しください。

iKeyboard Web Page / iKeyboardのダウンロード

個人のソフト開発について考える

iPhoto 6のクイックツアーを見てみました。

iPhotoを使ったことがあるのは、iLifeとして有料化される前までで、それ以降は店頭で触ったことしかありません。 初期のiPhotoは、処理が重く、機能も少なく、操作性もあまり良いものではありませんでした。 そのため、PhotoMasterは様々な面で有利だったわけですが、iPhoto 6は、とても太刀打ちできないほどの完成度を見せていました。

25万枚の写真を一括して表示することができて、様々な編集機能にRAW現像までできてしまいます。 フルスクリーン表示であらゆる操作が可能になって、カレンダーやカードの作成機能も備えています。 他のiLifeアプリケーションとの連携も強化され、どこにも隙が見当たりません。 こんなソフトがMacに標準搭載されるわけですから、もはやPhotoMasterの出番はなさそうです。

しかし、冷静になって良く観察すると、必ずしもiPhoto 6が完璧なものではないことがわかります。 iPhotoは、大量の写真を一括して表示することを前提としています。 もちろん、日付で絞り込むこともできれば、必要な写真だけをアルバムとして登録しておくこともできます。 でも、基本はやっぱり「写真を床にぶちまける」スタイルなんですね。

日常のスナップ写真が中心であれば、それでも良いでしょう。 でも、写真撮影が趣味になってくると、それだけでは済まなくなってきます。 同じ被写体を何枚も撮ることが多くなるので、「最も写りの良いものだけを選別する」作業が多くなります。 また、「いつ、どこで、何を撮ったのか」ということが重視され、それらの連携がより重要になってきます。

これらは、iPhotoの苦手な分野であり、PhotoMasterの得意分野でもあります。 PhotoMasterでは、写真は撮影年月日によって自動的に階層表示され、撮影のあった日付だけが表示されます。 撮影日を選択すると、その日に撮った写真だけが一覧表示されます。 一覧表示では、失敗した写真を削除するだけでなく、写りの良くないものを一覧から除外していくことができます。 そうして、もっとも写りの良い写真だけを、イベントとして登録しておくことができるのです。

PhotoMasterでは、撮影日を選択すれば、同じ月のイベントが表示され、イベントを選択すれば、その撮影日を表示します。 つまり、撮影日とイベントが連携して機能しているわけです。 そのイベントがいつ行われたのか、またその前後にどんなイベントがあったのかを、簡単に知ることができるのです。 イベント名にどこで何を撮ったのかを書いておけば、素早く検索することができて便利です。

iPhotoでも、手間をかければ同じようなことができるでしょう。 でも、PhotoMasterなら、よりスマートに実現することができます。 もちろん、iPhotoにできてPhotoMasterにできないこともたくさんあるわけですが、PhotoMasterにしかできないことだってあるんです。 無理にiPhotoに対抗する必要なんてないんですよね。

自分でソフトを作る最大の利点は、自分の思い通りのソフトを作ることができることです。 このことを胸に刻んで、ソフト作りを続けていきたいと思います。

野草と春の深まり

今日もまた、春の陽気にフラフラと近所を散歩してきました。

このところ、晴れたり雨が降ったりと忙しい天気模様ですが、雨が降るたびに暖かくなってきているように感じます。 いつものように、オドリコソウの群生地に行ってみると、草刈りが行われていて、ほとんどが刈り取られてしまっていました。 生き残ったオドリコソウも、花が落ちていたりして、季節の移り変わりの早さを感じてしまいました。

小道を入ると、そこには私のお気に入りの葉っぱがあります。 放射線状にすらり伸びた葉っぱに、木漏れ日が当たってとても幻想的です。 観葉植物のひとつだと思うのですが、いつの間にか背丈が1m近く伸びていて、小さな花を咲かせていました。 その下では、相変わらず名前のわからない黄色の小さな花が、元気良く咲いていました。

その反対側では、斜面いっぱいにたくさんの草が生えていました。 よく見ると、いろんな形、いろんな色の草が、びっしりと地面を覆い尽くしています。 いわゆる雑草なわけですが、この雑草にもひとつひとつ名前がついているんだよなぁ、と思うと不思議な気分になります。

そろそろ帰ろうかと振り返ると、一輪挿しのようなムラサキカタバミが目に飛び込んできました。 日差しを浴びているその後ろ姿は、ほれぼれするような美しさです。 その先では、例の名称不明の黄色い花が綿毛になっていました。 やっぱりノボロギクの一種なのかなぁ。

春の深まりというのはあまり聞きませんが、春も少しずつ変化しているようです。

梅ヶ渕観音院の観音様

今日は朝から良い天気。昼からふらりと出かけてきました。

昨日は早寝、今日は早起き。朝早くからPhotoMaster 2の仕様書作りとウインドウデザインを頑張りました。 やはり、好きな写真のこととなると、気合いの入り方が違います。 それでも、昼頃には少々疲れてきて、頭の中が固まってきました。 よし、これは気分転換だ!というわけで、あれこれ迷った後に、梅ヶ渕観音院に行くことにしました。

梅ヶ渕は、鹿児島市内を流れる甲突川を少し上ったところにあります。 この間の梅ヶ渕不動堂のすぐ先に、梅ヶ渕観音院の参道入り口があります。 そこには大きな木があって、その下でおばあさんが園芸品を売っています。 蕎麦屋の角を曲がって、そこから登り坂を15分ほど歩きます。

どういうわけか、今日は辺りが妙に賑やかです。 あちこちの家の車庫で、おばあさん達が花や野菜、漬け物などを売っています。 いつもはとても静かな通りだけに、もしかしたら今日は特別な日なのかもしれません。 その証拠に、たくさんの参拝客が坂を降りてきます。

参道の脇には小川が流れていて、観音院の横には水神様が奉られていました。 山から流れてくる水はとても澄んでいて、水神様の後ろで小さな滝となって流れ落ちていました。 川のせせらぎに引き寄せられるように、いろんな植物が顔を出して、水面を覗き込んでいます。

さて、いよいよ観音様とご対面です。 手水屋から伸びる階段には、お百度石があり、お百度参りの回数を数えるためのプレートがたくさんついていました。 このプレートは何枚あるんだろうと思って数えていると、参拝客のおじさんに声をかけられました。 今日は参拝客がやけに多いですねと尋ねると、毎月1日と18日は観音様の参拝日なんだそうです。

参拝客の邪魔になるので、観音様の写真は一枚だけにしておきました。 う〜ん、いつ見ても、穏やかなとても良いお顔をしておられます。 やっぱり来て良かったなぁ。 今度は参拝日じゃない時に、ゆっくりと拝ませてもらいます。 観音様をじっくり拝んでみたい人は、「鹿児島の石像達」を見てくださいね。

ありがとう、40,000カウント

おかげさまで、40,000カウントを迎えることができました。
皆さんからいただいたコメントも、ついに1,000件に達しました。
これからも、K-Hyodo's Blogをよろしくお願いします。

慈眼寺公園に再挑戦

児玉美術館の帰りに、もう一度多賀山公園に行ってみました。

本日2回目の慈眼寺公園です。でも、もう迷いはありません。 強かった風もおさまり、気温も上がってきています。 真っ直ぐに仁王像の前まで行くと、私は仁王像の前に仁王立ちとなって、彼らを撮り始めました。 仁王像は、猛烈な存在感で、訪れる者を威圧します。 その仁王像を撮るためには、こちらも気合で迫らなければなりません。

仁王像は、神聖な場所に入り込もうとする邪悪なものを威圧し、追い払います。 しかし、明治維新後の廃仏毀釈によって、腕がもがれ、傷付き、野ざらしにされてしまいました。 それでも彼らは、今もなお、この地を守り続けています。 その力は衰えることはなく、数々の歴史を背負うことで、さらに力を増しているようです。

仁王像の先には、小川が流れています。 川の水は澄んでいて、ゆったりと、静かに流れています。 水面は日の光を受けてきらめき、木の影がまだら模様を作っています。 落ち葉がくるくると回りながら流れ、私の心もゆっくりと洗い流されていきます。

川は小さな滝となって、ごうごうと音を立てて流れ落ちていきます。 ひんやりとした空気が、肌をしっとりと冷やしていきます。 滝の流れは、岩の間をすり抜けるように、少しずつ岩を削りながら、稲荷神社の石橋へと続いていきます。 稲荷神社の周りには、何か霊的な空気が漂っています。

稲荷神社の横には、別の石橋が架かっていました。 その橋を渡ると、左手に奥へと進む道を発見しました。 奥へと進むと、そこには、かつてここが慈眼寺だった頃の住職の墓がありました。 慈眼寺公園には何度も訪れていますが、こんな墓があったとは、今まで知りませんでした。

ちょうど稲荷神社の横辺りだな、と思いながら神社の方を見てみると、そこに3mはあろうかという大きな石像があるのを発見しました。 その女性のような慈悲深い顔立ちは、菩薩像でしょうか。 どういうわけか、赤ん坊を慈しむように抱いています。 この菩薩像も、この日初めて気づきました。

この日は、新しい発見の多い慈眼寺公園でした。

児玉美術館で野草探し

今日は久々に晴れたので、自転車で遠出をしてきました。

喜び勇んで慈眼寺公園に行ってみたのですが、どういうわけか、いまいち気分が乗らないんです。 日曜日で人が多かったり、風が強くて寒かったり、木陰のホワイトバランスが気になったり、お腹が空いてきたり。 60枚ほど撮ったところでとうとう我慢できなくなって、写真を全部消去して場所を移動することにしました。

長渕剛がひいきにしている海乃屋ラーメンで腹ごしらえをしてから、児玉美術館に向かいます。 次第に雲が多くなり、風が強くなってきます。 てっきり暑くなると思って薄着できたのは失敗でした。 でも、到着する頃には身体も慣れて、たくさんの野草を前にして気分も良くなってきました。

敷地に入ると、たくさんのレンゲソウが出迎えてくれました。 その横では、知らない蝶がじっとこちらを見ています。 椿の花をちりばめた散歩道を歩いていると、薄い青色のとても美しい花がたくさん咲いていました。 名前はシャガで、アヤメの仲間です。 う〜ん、これは来た甲斐があったというものです。

シャガの群生を抜けると、そこには竹林がありました。 強い風に吹かれて竹の葉がざわめき、竹同士がぶつかりあってコーンという音を響かせています。 すぐ横には小川が流れていて、近くにある動物園から動物の鳴き声がかすかに聞こえてきます。 いろんな音が聞こえてくるのに、ここはいつも静かです。

竹林の先には美術館の建物があり、できたばかりの別館の前ではお茶会が開かれていました。 その様子を眺めながら先へと進むと、うっそうとした杉林になります。 辺りは暗くなり、木漏れ日がスポットライトとなって地面を照らします。 薄暗い中をひとりで歩いていると、少し心細くなってきます。

少し開けたところに出ると、ホトケノザみたいな紫色の花を見つけました。 ラショウモンカズラというシソ科の花で、ホトケノザやオドリコソウと同じ唇形の花びらをしています。 この花は、慈眼寺公園でも見かけていたので、嬉しい再会です。 その横には白い花が咲いていましたが、名前を調べてもわかりませんでした。

そうしているうちに、美術館をぐるりと一周して、さっきの竹林に戻ってきました。 来た時よりも少しは日が照り出して、わずかに暖かくなったような気がします。 まだ時間はあるし、撮影枚数にも余裕があるから、帰りに慈眼寺公園にもう一度行ってみようかな。

PhotoMaster 2 開発開始

PhotoMaster 2の開発が、ついに始まりました。

去年の7月にいくつか試作品を作っていたので、正確には再開になりますが、一旦すべてを白紙に戻して、一からの再スタートです。 まずは、これまで利用者の方々からたくさんの意見・要望をいただいていたので、それらをすべてリストアップしてみました。 すると、PhotoMaster 2の方向性がはっきりと見えてきました。

その方向性とは、すばり「写真整理」です。 元々、PhotoMasterは「整理」「確認」「鑑賞」を三本柱として開発を行ってきたわけですが、整理はあっさり、確認はじっくり、鑑賞はゆったり、という感じで、写真整理はなるべく手間をかけないことを重視していました。

そのため、自動化できる部分は徹底的に自動化して、必要であればイベントとして登録という流れを作ったわけですが、この写真を振り分けながらイベントに登録していく作業が、結構面倒なんですよね。 実は私自身も、ブログに載せる写真を選ぶのに、もうちょっと便利にならないかなぁと思っていたんですよ。

一番多かった要望は、拡大表示でピント確認ができるようにして欲しい、というものでした。 実は、拡大表示するだけなら簡単なのですが、それをスムーズにスクロールさせる方法がよくわからなかったんです。 また、等倍表示は無意味だというこだわりもあったため、拡大表示には消極的だったんです。

私としては、内部構造を徹底的に見直すことを第一に考えています。 現行のPhotoMasterも、Version 1.5でかなり内部構造を見直したわけですが、正直なところ、これ以上増改築を繰り返すのは難しいですね。 幸い、iKeyboard 2の開発で、オブジェクト指向の扱いにもずいぶん慣れてきたので、開発期間も少しは短縮できそうです。

ただ、開発環境であるREALbasic 2006の発売が遅れていて、発売時期が未定になっています。 PhotoMaster 2では、REALbasic 2006の機能が必要となるので、ちょっと困っています。 これ以上開発を遅らすわけにもいかないので、現行のREALbasic 5.54でできるだけ準備を進めていきたいと思います。

それでは、PhotoMaster 2にご期待ください!

PhotoMaster Web Page / PhotoMasterのダウンロード

駄目だと思う、その前に

いろんなことに縛られ過ぎて、身動きがとれなくなっていませんか?

私は写真家の土門拳が好きで、「絶対非演出の絶対スナップ」という言葉にとても感銘を受けました。 でも、だからといって、私が「絶対非演出の絶対スナップ」の写真を撮らなければならないというわけではありません。 その言葉の意味を知るために、そういう写真を撮ってみたことはありますが、それを一生続けるつもりはありません。

先日、友人から仕事で使う文章の添削を頼まれたのですが、どうも全体のバランスが悪いんですね。 で、電話で聞いてみると、ビジネス文書の参考書を読みながら作ったというんです。 それによると、用途に応じて様々なパターンが用意されていて、その効果は統計によって実証されているんだとか。

野球で優秀な選手を揃えるだけでは試合に勝てないように、優秀な統計結果を集めるだけでは良い文章は作れないんですね。 いくら土門拳と同じように「絶対非演出の絶対スナップ」を意識したところで、土門拳のような写真が撮れるわけではないのと同じです。 誰かの生み出した結果だけを見ていても、同じ結果は決して出せないでしょう。

なぜなら、その結果を出した時の条件と、これから結果を出そうとしている条件とが、ぴったり一致することはありえないからです。 これまでに受けたしつけや教育、世の中にあふれている様々な格言に書籍、それらには必ず前提条件があるんですね。 だから、前提条件を考慮せずに結果だけを利用しようとすると、予期せぬ結果に慌てふためくことになるのです。

また、結果が出るまでには、それなりに時間がかかるものです。 料理を作っている時に、よくかき混ぜないままに味見をしてしまい、食べてみたら味が薄かった、なんてことはありませんか。 せっかちな人は、せっかくいいところまでいっていても、結果を待てずに別の新しいことに気が移ってしまうんですね。 結局、すべてが中途半端なままで終わってしまいます。

何かを信じることは素晴らしいことですが、あるひとつのことだけを闇雲に信じるのは、あまり得策ではありません。 いずれ似たような前提条件に巡り会うことがあるかもしれませんが、それまでに大きな代償を払わなければならないでしょう。 本当に信じるべきものは、道ではなくて、目的地なんですね。

たとえ周囲を柵で囲まれていたとしても、上に向かって伸びることだってできるんですよ。

買い物ついでに花探し

今日もまた、カメラを持って裏山のスーパーまで行ってきました。

このところ、毎日のように近所の花を撮っているわけですが、いろんな花が咲いているので飽きることがないですね。 今日は、まず最初にヒメジョオンが目に入りました。 大きい花と小さい花が寄り添うようにして並んでいて、何だかとても幸せそうでしたよ。

よく見かけたのが、くっきりとした輪郭が印象的な、この黄色い花です。 ノボロギクかな、と思ったのですが、ノボロギクは花が開かないようだし、こちらは背が低いんですよね。 同じ黄色い花でも、右の花は不思議な米印がついていました。 むぅ、こんな花を見るのは初めてです。

畑では、マメ科の作物らしい花がいろいろ咲いていました。 調べてみると、左の白い方はソラマメの花で、右の赤と青の花はエンドウの花のようです。 マメ科の花は、独特の形をしているので見ればすぐにそれとわかるんですが、蝶の形をしているということで蝶形というそうです。

ムラサキカタバミは、実は私のお気に入りの花なんです。 黄色いカタバミよりも、この薄紫色の方が落ち着きがあるんですよね。 このムラサキカタバミの隣には、カタバミのお化けみたいな黄色い花がたくさん咲いていました。 う〜ん、これは一体何という花なんだろう。

葉っぱの赤いアカカタバミと一緒に咲いているのは、ヒメスミレでしょうか。 一般的なタチツボスミレよりも、小さくて葉が細長いです。 でも、紫色が濃いので、もしかしたら別の種類かもしれません。 何しろ、スミレの種類は50種類以上あるということですからね。

花の種類を覚えると、町を歩くのがぐっと楽しくなりますね。

写真は概念なり

写真関連の本を読んでいると、あれっと思うことがあります。

というのも、写真の定義がどうもしっくりこないんですね。 「写真とは、フィルム上に化学反応によって記録された光のことである」といった定義を当たり前のようにしている写真論や写真史が多いんですよ。 最近はずいぶん治まった感がありますが、銀塩とデジタルの論争でも、「デジタル写真は写真とはいえない」なんて堂々と主張している人が多かったですよね。

そういう銀塩フィルムに特別な思い入れのある人はともかく、普通の人であれば、銀塩であろうとデジタルであろうと「何言ってんの、写真は写真でしょ!」と一言で片付けてしまうでしょう。 「写真のような絵」「絵のような写真」なんて言い回しがありますが、人の手によって描かれたものが絵で、機械を使って記録されたものが写真なんですよね。

昔は、写真を撮れる装置が銀塩カメラしかなかったので、「写真=銀塩フィルム」なんていう図式ができてしまったのも仕方がなかったのかもしれません。 でも、最近書かれた、それなりに権威のある人の書いた本ですら、「ソナーによっ撮られた胎児の写真は、厳密には写真とはいえない」と書かれているんですから困ったものです。 それだと、X線写真も写真ではない、ということになってしまいます。

これはおかしい、ということでネットで検索してみると、(社)日本写真学会による写真の定義を見つけました。 それによると、「写真とは、光、放射線、粒子線、熱などのエネルギーを化学的あるいは物理的手法で捉え、視覚的に識別できる画像として記録・保存し表示する手法およびその画像と定義する」となっていました。 さすが、トップの考えることは違いますね。

銀塩写真、特にモノクロ写真では、被写体を見つけて撮影することよりも、フィルムを現像して印画紙に焼き付けることのほうが、写真としてずっと重要だ、という主張があります。 芸術写真の場合は、現像・焼き付けの工程に、より写真家の意図を組み込むことができるので、それはそれでもっともな話です。 でも、写真というのは芸術写真だけではないんですよね。

結局のところ、写真を撮るということは、文章を書くというのと同じことなんですよね。 何語で書こうが、何で書こうが、何を書こうが、文章は文章であり、そうした選択の積み重ねが、その書き手を表していくんです。 写真も、どんなカメラで、どんな記録方式で、どんなものを撮ろうと、やっぱり写真は写真であって、そうした要素のひとつひとつが、その人の写真を作り上げていっているんですね。

写真を、狭い意味に押し込めてしまうのは、何だかもったいないなぁ、と思ったのでした。

恥ずかしのセルフ・ポートレート

ついに、禁断のセルフ・ポートレートです。

しかも、望遠マクロですよ。 別に、わざわざ人様に見せるような顔ではありませんし、できればこんな顔は見せたくないんですが、実は、ある衝撃的な発見をしてしまったのです。 これはぜひ撮らねば、ということで、恥を忍んで載せることにしました。

実は、ここ最近、目の上に何やら白い毛のようなものがちらちらと見えていて、とてもうっとうしかったんです。 これは、ミーちゃんの毛が眼鏡についたのかな、と思って眼鏡を拭いても、白い毛はとれません。 もしかしたら、顔に毛がついてるのかな、と顔を洗ってみても、やっぱりとれないんですよ。

これはおかしい、ということで、鏡を覗き込むと、眉毛に白い毛がくっついています。 なんだ、やっぱりミーちゃんの毛だったか。 睫毛についてると思ってたら、眉毛についていたのか。 そうして手で払いのけようとしたのですが、なぜかうまくとれません。 仕方がないので指でつまんでみると…、なんと、しっかりと根を張っているではありませんか。

どういうわけか、眉毛の中に白髪が一本、長く伸びていたんですね。 たまに、鼻毛の中に白髪が混じっていたりしますが、こんなに長いのは初めてです。 う〜ん、これは抜くべきか、抜かざるべきか、悩みます。 これだけの長さがあるということは、結構前から地道に伸びてきたわけです。 幸運の若白髪ともいうので、しばらくは抜かずにおくことにしました。

ところで、セルフ・ポートレートって、撮るの難しいですね。 A1は自分撮りができないので、鏡を使って撮ったわけですが、想像以上に構図を決めるのが難しかったです。 まるで、左手で文字を書いているようでした。 でも、こうしてアップで切り取ってみると、顔というよりは何だか得体の知れない生き物みたいです。

自分の顔って、見慣れてるつもりでも、写真に撮ると別人みたいに見えますね。

スポット測光と露出補正

前回の露出補正に引き続き、露出講座の第2弾です。

真っ黒なフリースの上に、白い皮むき器、灰色のエチケットブラシ、黒い携帯電話を並べてみました。 そのまま分割測光で撮影してしまうと、真っ黒な背景に引っ張られて露出が明るくなってしまい、白い皮むき器が白くつぶれてしまいます。 この場合は、露出補正を使ってマイナス側に補正しなければならないわけですが、どの程度マイナス補正をすれば良いのかは、撮ってみないとよくわからないんですね。

そこで役に立つのが、スポット測光です。 分割測光が画面を細かく分割して露出を判断しているのに対して、スポット測光は中心のごく一部だけを計測して露出を決定します。 つまり、スポット測光を使えば、背景に影響されずに、狙った被写体の適正露出が得られるわけですね。


分割測光

スポット測光 中央

ただし、カメラは人肌、正確には18%の反射率を基準にして露出を判断するため、それよりも反射率の高いものは暗く、反射率の低いものは明るく写ってしまいます。 中央のエチケットブラシをスポット測光すると、ほぼ見た目通りの露出が得られますが、左の携帯電話だと反射率が低いので全体的に明るくなり、右の皮むき器だと逆に暗くなってしまいます。


スポット測光 左

スポット測光 右

でも、スポット測光に露出補正を組み合わせることで、狙い通りの露出を得ることができます。 黒い携帯電話であれば-1.0 EV、白い皮むき器であれば+2.0 EVの露出補正をかけてやれば、ほぼ見た目通りの露出になります。 露出を決めるということは、写真に写る+2.0 〜 -2.0 EVという範囲の中で、被写体をどこに配置するか、ということなんですね。


スポット測光 左 -1.0 EV

スポット測光 右 +2.0 EV

スポット測光と露出補正を組み合わせることで、狙い通りに被写体の露出を決めることができるのです。

梅ヶ渕の狛犬達

今日は、用事のついでに梅ヶ渕不動堂に行ってきました。

ここは、狛犬が2対と1体の合計5体もあり、さらに大小様々な石仏達がいたるところに並んでいるという、石像好きにはたまらない場所なんです。 以前紹介した時は石像の写真がなかったので、今回は狛犬の写真を主に撮ってきました。 といっても、時間がなくて20分ほどしかいられず、50枚ほどしか撮れませんでした。

参道を進んでいくと、まずこの1対の狛犬達が出迎えてくれます。 通常は、口を開けた阿形が右側で、口を閉じた吽形が左側にくるんですが、この2体は阿形と吽形が逆になっています。 その顔つきは彫りが深く、どこか異国情緒を感じます。 さらに奥にいくと、まるでサーカスの曲芸のように逆立ちをした狛犬がいます。

逆立ち狛犬の先には、清浄の滝という小さな滝があり、その横には縁結び観音が鎮座しています。

帰り道には、さらに1対の狛犬がいますが、形は最初の狛犬と同じのようです。 こちらは、阿形と吽形の位置が正しく置かれていました。

う〜ん、慌ただしかったせいで、あんまり書くことがありません。 近いうちにたっぷり時間を取ってリベンジすることにします。 ごめんなさいね。

もうようかんはよう買わん

前から作ってみたかったようかんを、とうとう作ってしまいました。

小さい頃に名古屋で育った私は、ようかんよりもういろうの方がメジャーだったわけですが、実はういろうよりもようかんのほうが好きだったんですよ。 特に、端っこの砂糖がかりかりになったところが大好きで、いつも取り合いになっていました。 そんなようかんが家で簡単に作れちゃうんですよ。

用意するものは、水400cc、砂糖300g、寒天1本、粉末小豆100gです。 まず、ボールにたっぷりの水を入れて、洗った寒天を入れて10分ほど戻します。 その間に鍋に水400ccを入れて火にかけ、沸騰したら砂糖を入れて良くかき混ぜます。 戻した寒天を細かくちぎりながら入れて、最後に粉末小豆を入れたら、焦がさないようにかき混ぜながら弱火で煮詰めます。 かき混ぜにくくなるまで煮詰めたら、タッパーに流し込んで冷蔵庫で冷やします。

で、一晩冷やしたものを今食べているわけですが、なかなか素朴な味がして美味しいですよ。 粉末小豆のせいなのか、ちょっと粉っぽいのが残念ですが、味は普通のようかんの味です。 あの端っこのかりかりはできませんでしたが、あれってどうしたらできるんでしょうね。 もうちょっと煮詰めて練りに練った方が好みかも。 あ、だから練りようかんっていうのか。

このようかん、きっとあなたも気に入ってくれる予感!

二十歳過ぎの女性の色香

二十歳過ぎの女の人って、匂い立つような色気があると思いませんか?

学生時代から10年以上も続けているバイトがあるのですが、そこの女の子で、猛烈に色気を振りまいている人がいます。 別にその人が特別美人だとか可愛いとか好みだとかそういうわけじゃなくて、特別に着飾ったり匂いの強い香水をつけているというわけでもなくて、若い身体からフェロモンのようなものが発散されているんですね。

その子だけに限らず、これまでにバイトに入っていた女の子達も、やっぱり似たような色気がありました。 大学に入りたての18、19歳の頃は、顔つきや体つきに幼さが色濃く残っていて、色気よりも頼りない危うさの方が強いのですが、20歳を過ぎた辺りから、表情に落ち着きと自信が出てきて、身体も成熟されてくるのです。

そういう女の子達を眺めながら、自分の学生時代を思い出します。 私のいた学科には三大美人というのがいて、そのうちの2人が、何と私の名簿の前後にいたんです。 人の目は前についているので、私も始めは前の女の子に目がいってしまったわけですが、実は後ろの女の子の方がずっと私好みだったんですね。

でも、男子校出身のどんくさい私は、どう声をかけていいのか、さっぱりわからないわけです。 寮生活で女性に対する免疫は少しずつできてきたのですが、やはり意中の人となると何もできなくなってしまうんですね。 そして、2年生の長い夏休みが明けた最初の講義、久々に見たその人は、匂い立つ色気とともに、全身からオーラを発していました。 その姿はあまりに眩しくて、私は目を向けることすらできませんでした。

3年生になって専門に上がると、その人とは別のコースに別れてしまいました。 でも、その秋の学祭では、コースのテントが向かい合わせになり、私はここぞとばかりに足を運び、必死に話しかけました。 夜の飲み会では酒に飲まれて大失態を見せてしまいましたが、努力の甲斐あって、この時からすれ違う時に挨拶をする関係になれたのです。

そして、4年生の夏に、その事件は起きました。 自転車に鍵をかけていると、どこからか「おーい」という声が聞こえました。 自分が呼ばれたようには思わなかったものの、とりあえず振り返ってみると、校舎の3階の窓から、例の女の子がこちらを見ているではありませんか。 向こうの方から声をかけてくれたのは初めてのことだったので、私はすっかり動揺してしまって、ぺこぺこと頭を下げることしかできませんでした。

結局、それ以上の進展のないまま卒業を迎え、憧れは憧れのまま終わってしまいました。 そう、彼女は私にとっての憧れであり、高嶺の花だったんですね。 一度も告白することなく終わってしまったことを悔しく思う反面、今も憧れていられることに嬉しさも感じるのです。 そして、二十歳過ぎの色っぽい女性を見る度に、彼女のことを思い出すのです。

今思うと、何てウブだったんだと思いますが、恋と憧れというのはちょっと違うんですよね。 恋は肉体的というか現実的なものですが、憧れというのは精神的で内的なものなんですね。 でも、町で偶然で会った後は、同じ時間にその場所に通いつめて偶然を装ったり、B型の男とAB型の女は相性が良いと喜んだり、ずいぶん怪し気な行動をしてたりして…。

まあ、若気の至りということで、勘弁してください。

ご近所は花盛り

このところ雨が続いているので、数日前の写真です。

うちの近くには、最初にオドリコソウを見つけた場所があって、いつもそこまで歩いて撮りにいっていたわけですが、家のすぐ斜め前にたくさん咲いているのを発見してしまいました。 最初の場所も歩いて数分の近い場所なんですが、こんなすぐ近くに咲いていたとは…。 それも、こっちのほうが日が当たりやすくて、ドラマチックな写真が撮りやすいんです。 でも、車や人の通りが多い場所なので、あんまり集中して撮れないのが難点ですね。

そこから少し歩いたところには駐車場があって、その一角には畳二畳ぶんほどの小さな菜園があります。 駐車場ができる前は、ここに立派な桜の木があって、毎年開花を楽しみにしていたのですが、駐車場を作る時に切り倒されてしまって、代わりに梅の木が植えられました。 あの桜が見れなくなってしまったのは残念ですが、今は梅の花を楽しみにしています。

菜園はほとんど手入れされずに荒れ放題なんですが、おかげでいろんな花を楽しむことができます。 上の紫色の花は名前がわからないのですが、午後の光を浴びて綺麗に輝いていました。 その下ではムラサキカタバミが石垣に影を落とし、その横では、やはり名前のわからない黄色い花がじろりとこちらを向いていました。

手前の道を曲がると、そこには白い椿の木があります。 椿は次から次へと花を咲かし、次から次へと枯れて花を落としていきます。 茶色く変色した白い花びらが何とも無常を感じる場所なんですが、よく見るとまだ枯れていない花もあって、その美しさにしばし見とれてしまいます。