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美しさは永遠に、そして儚く

うつむき加減で物思いにふけるその姿。憂いを含んだその表情は、美しい。

そう思いながらじっと見つめていると、彼女は恥ずかしそうに身体をくねらせます。 そんなに見つめないで。恥ずかしいじゃないの。 そういう仕草も愛おしいと思いながら、さらに彼女を見つめます。

柔らかな光を受けて、透き通るように輝く白い花びら。 その白い花びらは、うっすらと薄黄緑色に染まっています。 恥じらいながら色気を放つ腰つきに、優しく包み込むような大きな緑の葉。 すべてが美しい。

私は、彼女の生まれたばかりの芽の姿を知りません。 冷たい雨を吸い、暖かな日の光を浴びて、大きく育ってきた姿を知りません。 そして、まだ堅いつぼみの頃の彼女のことも。 でも、私はその全てが美しかったことを知っています。

やがて、その瑞々しい花びらも萎れていくことでしょう。 その眩いばかりの白も黒へと変わり、儚くも散っていくことでしょう。 張りのある緑の葉も、茶色くひからびた枯れ葉へと変わります。 それでも、私はその姿を美しいと思うでしょう。

彼女が美しくいられるのは、それは生きていることの証。 今の彼女を愛するということは、その過去も、未来も、すべてを愛するということ。 愛するということは、同じ今を共有すること。 そして、すべての時間を共有すること。

彼女の美しさを前にして、自分の胸に問いかけます。 私は、彼女の今の美しさに憧れているだけなのか。 それとも、彼女の永遠の美しさを愛しているのか。

彼女は、ただ静かに、佇んでいます。

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巨大ダコの悲劇

「俺が一体何をしたっていうんだ」薄れゆく意識の中で、彼は恨めしそうにそうつぶやきます。

彼の無数の足は無惨にも切り刻まれ、その体には無惨にも太い杭が何本も打ち付けられています。 苦痛に歪んだ視線の先には、彼を退治した英雄の後ろ姿があります。 その英雄は、周囲の人達の賞賛を浴びて、その足取りはどことなく得意げに弾んでいます。

彼は、自分の吐いた黒い墨の中に横たわったまま、英雄の後ろ姿に語りかけます。 「俺は図体はでかいが、ただのタコだ。墨も吐けば腹も減る。 これでも、俺は俺なりに、できるだけ遠慮して生きてきたつもりだぜ」 その声は弱々しく、誰にも聞かれることのないまま、虚しく消えていきます。

彼の18本目の足が、痛みでひくひくと痙攣します。 視界がだんだんと暗くなってきました。 彼は、じわじわと体を伝う死の恐怖に怯えます。 俺は死ぬのか。これはここで死ぬのか。 どうして俺は、こんな死に方をしなくちゃならないんだよう。 足の痛みは冷たさに変わり、やがて何も感じなくなりました。

英雄は、一歩一歩踏みしめながら、ゆっくりと歩きます。 周囲の賞賛の声が聞こえないふりをしながら、その心地良さに酔いしれます。 どうだ、俺はやったぞ。誰もが恐れていたあの巨大ダコを、俺一人でやっつけたぞ。 俺は誰よりも強いんだ。そして、他の誰よりも偉いんだ。 そうだ、俺は英雄なんだ。ああ、良い気持ちだ。

巨大ダコは、タコ焼きにされることもなく、静かに土に還っていきました。

放置自転車の自縛霊

その自転車は、首をへし折られていました。

どこかに監禁されていたのか、足には鎖がつけられています。 どういう理由で監禁されていたのかはわかりませんが、何とかそこを抜け出してきたのでしょう。 残念ながら、ここまで逃げてきたところで追っ手に捕まり、処刑されてしまいました。

その追っ手はよっぽど執念深いようで、これ以上逃げ出せないように、不法投棄のお札を貼っていきました。 お札のせいで成仏できない彼は、自縛霊となって、屍となった身体にへばりついています。 そして、そこから逃れようともがき苦しんでいます。

自縛霊となった彼は、錆び付いたチェーンを軋ませながら、必死にペダルをこいでいます。 「俺はもうあそこには戻りたくない。鎖に繋がれて、無意味な時間を過ごすのはもうたくさんだ。 俺は、自由に生きていきたいんだ」

「カビ臭いガラクタに囲まれて、彼らの命令に従うだけの毎日。延々と続く繰り返し作業。 毎日同じことを言い聞かされて、自分で何も判断できなくなってしまう。 ここを抜け出して、あの坂を登れば、きっと素晴らしい世界が広がっているに違いない」

彼は自由を求めて、今日も走り続けています。

春の要注意人物

「よし、決めた。もう誰も俺を止められないぜ」 そう言うと、彼は颯爽と歩き出しました。

彼が一体何を決意したのか、それは誰にもわかりません。 しかし、彼が何か大きな決断をしたことは、その堂々とした態度ではっきりと伝わってきます。 彼はまだ若く、大きな希望の光に包まれています。

ただし、彼は要注意人物です。 頭が少しぶっとんでいて、何をしでかすかわからない無鉄砲さがあります。 周りの人は、彼の様子をそっと観察して、安全であることを確認すると、ほっと胸を撫で下ろしながら通り過ぎていきます。

そんな彼ですが、彼には彼の考えというものがあります。 彼の頭の中には、練りに練った計画が立てられています。 ところが、経験の少ない彼にできるのは最初の計画だけで、それから先のことは、いろんな線が絡まったり平行線だったりで、全く見通しが立っていないのでした。

それでも彼は、抱えきれないほどの夢を背負って歩き出します。 いつの日か、空いっぱいに花開くことを夢見て。

寿司ドックの秘密兵器と味噌の関係

よろしく寿司ドックに、秘密兵器が加わりました。

その秘密兵器とは、理学部1年生の下宿生、手頃なお値段でキラリと光る料理を楽しませてくれるmattyさんの考案した昆布ご飯であります。

早速試してみると、確かに昆布の香りはするものの、かといってはっきりした味がついているわけでもないという、不思議な味わいでした。 でも、この昆布ご飯、どういうわけか、ご飯が進むんですよね。 限りなくいつもと同じご飯なのに、もうちょっと食べてみたいな、と思ってしまうんです。 なるほど、隠し味とはこういうものかと、妙に感心したのでした。

それからお寿司作りにハマり、よろしく寿司ドックの開発に成功した今、この昆布ご飯を使わない手はない、ということで、昆布ご飯を使って酢飯を作ってみました。 作り方は、ご飯を炊く時に昆布を一切れ入れるだけで、後はいつもの酢飯作りと同じです。

よろしく寿司ドックの工程にも、改善が施されています。 U字形に折り曲げた後に、両端をご飯粒でくっつけるようにしたため、支えは必要なものの、自立できるようになったのです。 それはまるで、宇宙戦艦が遠い宇宙のお寿司の星を目指して旅立とうとしているかのようです。

それはさておき、今回の秘密兵器である昆布ご飯ですが、波動砲のような強烈な威力はありませんが、目立たないながらも「良い仕事してるね、大将!」という渋い役回りをしっかりと演じておりました。 味に厚みが出るというか、深みが増すというか、ひと味違うところを楽しませてくれます。

今回は、ダイコンの味噌汁を作ったんですが、寿司には赤出しだろ?という声にあえて逆らって、白味噌で作ってみました。 何事も、やってみなくちゃわからない。 で、やってみた結果はといいますと…失敗でした。 寿司酢作りで書いたように、酢の陰に隠れて目立ちませんが、寿司酢には結構な砂糖が入っているんですね。 だから、甘い白味噌を使ってしまうと、甘いもの同士で口の中が甘ったるくなってしまうんですね。

そういうわけで、皆さんも昆布ご飯と赤出し味噌汁で、お寿司を美味しく楽しんでくださいね。

今月はゆるゆるダイエット月間

突然ですが、3月はダイエット月間とさせていただきます。

前から薄々気づいてはいたのですが、まだまだ大丈夫と見て見ぬ振りをしていたのです。 でも、深夜、便所で用を足そうとした時に、とうとう気づいてしまったのです。 そう、そこにあるべきものが見当たらないのです。 もちろん、なくなったわけではありません。 お腹のお肉に隠れて見えなくなっているのです。

気づいてしまった以上、これを無視するわけにはいきません。 早速、身体計測を行います。 私の身長は169cm、現在の体重は66kgです。 ここのページによると、BMIは23.1、適正体重は62.8kg、肥満度は5%で、普通体重と診断されました。 私の平均体重である64kgだと、BMIは22.4、肥満度は1.8%となります。 やっぱりあと2kgは減らしたいところです。

でも、数値がいくらだろうと、お腹のお肉が出ていることには変わりはありません。 そこで、ウエストを測ってみると、興味深い結果が出ました。 息を吸い込んで腹に力を入れた状態(へこました状態じゃないですよ)で測ると80cm、力を抜いた状態だと86cmにまで増えるんです。 これはもしかして内臓肥満ではなかろうか。

ここのページによると、ウエスト・ヒップ比によって内臓肥満度がわかるということなのでヒップを測ってみると、力を入れた状態で90cm、力を抜いた状態で91cmでした。 ということは、ウエスト・ヒップ比は、力を入れた状態で0.89、力を抜いた状態で0.95となります。 男性では1.0以上で内臓肥満ということなので、ギリギリセーフということになります。 ただし、男性ではウエストが85cm以上だと内臓肥満の可能性ありということなので、やはり内臓肥満になりかかっていることに間違いはなさそうです。

不規則な生活に、長時間のデスクワーク。炊飯器ケーキを作りまくりの食べまくり。 一応、5kgの鉄アレイ2つを使って適当に筋トレはしているのですが、やはりそれだけでは足りないということなのでしょう。 確かに、以前なら砂糖なんて買う必要もなかったのに、今ではかなりの消費量です。 これは何とかしなければ。

そういうわけで、今月中に体重を64kgまで減らすことを目標に、ダイエットをすることにします。 ウエストは普段測らないので自分の平均が良くわからないのですが、力を抜いた状態で80cmにまでなればいいかなと思っています。 とりあえず、炊飯器ケーキは週に一度、毎日の食事は腹八分目に押さえていきます。 何だか頼りないダイエット計画ですが、きっちり決めても守れないのは、誰よりも自分が良く知っています。

それでは、3月31日の結果発表をお楽しみに。

昼下がりの家族劇場

「さようなら」。そう言い残して、彼女は玄関へと向かいました。

「お母さん、行っちゃうよ」出て行こうとする母親の背中を見ながら、弟が言いました。 「お父さん…」母親に背中を向けたままの父親を気遣うように、兄が言いました。 父親は無言のまま、拳を握りしめ、唇を噛みしめていました。

部屋は殺風景で、壁は汚れ、傷だらけになっています。 あまり暮らしぶりは良くありませんでしたが、この部屋にはたくさんの思い出があります。 ふたりで積み上げてきた、大切な思い出。そのたくさんの思い出が、遠い眼差しで過去を懐かしんでいます。

その思い出の頂点には、子供達がいます。ふたりの愛の証である、ふたりの子供が。 彼の苦悩が、子供達に暗い影を落としています。 ふたりを繋ぎ止めていた愛の絆はちぎれ、それが彼の心を締め付けます。

彼は、爆発しそうになる感情を必死にこらえます。しかし、それももう限界です。 心の重圧を外に逃がすように、絞り出すようにして声を出します。「行かないでくれ」。 思い出に目をつぶろうとしていた彼女は、素早く振り返ると、鋭い視線を彼に投げつけます。

午後の光が、ただ静かに、彼らを照らしています。

住宅街の謎の地上絵

上から見下ろすと、それは太陽の形をしていました。

ある晴れた日の閑静な住宅街。 街の中央を通るグリーンベルトに突如として現れた、謎の地上絵。 その形は、複雑で幾何学的な図形のようであり、象形文字のようにも見えます。 この地上絵は一体何を意味するのか、また、その目的は果たして何なのか。

ある人は、宇宙人が地球を侵略するために書き残した目印だと言います。 丸い部分が目標となる地点で、周りの直線は、それを導き出すために引かれた線なのだと。 宇宙人は、やがてUFOからこの目印に向かって破壊光線を撃つだろう。 その証拠に、破壊光線の命中精度を計測するためのチャートも書いてある。

またある人は、超小型の宇宙人が建設した飛行場だと言います。 入り組んだ直線は滑走路であり、丸い図形は方角を示すものである。 そして驚くべきことに、この飛行場を利用する宇宙人のための駐車場まで用意されている!

他にも、外国のスパイが母国の偵察機に向けて書いた暗号だとか、秘密結社が秘密の薬品を調合するために使ったとか、この直線が真西を向くと日照りが続いてこの一帯は灼熱地獄になるだろうとか、様々な憶測が飛び交いました。

しかし、この地上絵の謎は、未だ解き明かされていません。

芸術って一体ナニモノ?

「芸術」という言葉は良く聞きますが、芸術ってどういうものか、説明できますか?

このところ、ずっと写真の勉強をしているのですが、芸術という言葉が頻繁に出てくるんです。 そして、困ったことに、人によって芸術の定義がバラバラなんですよ。 ある人が「自然は醜悪だ」と言えば、別の人は「自然こそが美である」と言うし、「人間によって選択されたものこそが芸術」というのもあれば、「写真は機械的に記録された芸術」というのもあったりします。

でも、いろんな人の主張を重ね合わせてみると、そのすべてに当てはまるような芸術像がおぼろげながら浮かび上がってきます。 まず、芸術は感情を動かすものだということです。 それがすべてであって、そうすることの意味なんてものはありません。 つまり、「意味の力を退けて、いかに感情そのものを引き出すことができるか」ということが、芸術家の腕の見せ所だというわけです。

しかし、人はたくさんの意味の中で暮らしていています。 ということは、芸術は「いかにして人にまとわりついた意味を引きはがすか」ということになります。 しかも、意味は時代と共に変わっていくので、芸術も時代と共に変わっていくことになります。 つまり、ピカソの絵は、ピカソと同時代の人達には素晴らしい芸術だったとしても、「ピカソの絵」という新しい意味を持った現代の人達にとっては、ただの落書きでしかないわけです。 でも、これだと芸術は単なる一発芸になってしまいます。 芸術というからには、それを後世に伝えるだけの普遍性がなければなりません。

ここで、進化について考えてみましょう。 自己増殖するタンパク質から始まって、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類と進化してきたわけですが、両生類が誕生したからといって魚類が絶滅したかというと、そうはなっていませんよね。 恐竜のように絶滅したものもありますが、それでも爬虫類は今も健在です。 これは、両生類が魚類の上に成り立っているものであり、魚類なしには生きられなことを意味しています。 爬虫類は魚類と両生類を必要としていて、哺乳類はその他すべての生き物と共存していかないと生きていけないわけです。

芸術も、生物の進化と一緒で、これまでの芸術の歴史を踏まえた上で、さらなる次の一歩を目指していかなければならないわけですね。 でも、すべての人達が最先端の芸術を目指さなければならないかというと、そういうわけでもありません。 なぜなら、芸術的に哺乳類レベルの人もいれば、魚類レベルの人もいるからです。 大切なことは、今の自分がどの段階にいるのかをしっかり把握することです。

もし今の自分が魚類だったとしても、悲観することはありません。 努力次第では、新しい魚になることだってできるし、両生類に進化することだってできます。 しかし、何もしないままでは、いつまでたっても同じ魚のままです。 時にはいつもと違うところに泳ぎに行ったり、思い切って陸に上がってみるのもいいかもしれません。 今のままで十分だと思っていても、周りの環境が変わってしまうことだってあるかもしれません。

哲学が人間の意味を追求するものであるならば、芸術は人間の感情を追求するものというわけですね。 そして、芸術であろうと哲学であろうと、進化の流れには逆らえないのです。 この進化の流れこそが人生の醍醐味だと思うのですが、どうでしょう?

アンニュイな雨の朝は立体写真を

朝、目が覚めると、外は雨が降っていました。

便所で用を足してから台所で顔を洗うと、どんよりとした灰色の光が満ちていました。 雨の日はあまり好きではありませんが、こういうどろんとした雰囲気は結構好きです。 外の雨は春らしくしとしとと降っていて、湿り気のある空気が体にまとわりついてきます。 ん、空気?おお、これは立体写真にもってこいのシチュエーションではないか! そういうわけで、慌てて階段を駆け上がり、A1を持って急いで台所に駆け下ります。

一台のカメラで立体写真を撮るには、ファインダーで普通に撮ってから、今度は反対側の目でファインダーを覗いて撮れば良いわけですが、いちいちカメラを持ち替えなければならないので、左右で画像がずれやすいという欠点があります。 そこで新しく考え出したのが、片足に重心をのせて撮ってから、反対側の足に重心を移すという方法です。 名付けて「スタンス移動式立体写真撮影法」です。

この方法だと、シャッター半押しでピントの固定もできるし、カメラをしっかり固定できるので、ずれのない正確な立体写真を撮ることができます。 高速シャッターの使える場面であれば、かなり素早く立体写真を撮ることができるでしょう。 ただし、ステレオベース(左右の撮影位置の距離)にばらつきが出てくるので、得られる立体効果に若干の差が出てしまいます。 しかし、これは大きな違いではありませんし、慣れてくれば安定してくるでしょう。

立体写真の面白さは、ただ立体に見えるというだけでなく、より現実味が増すことにあります。 どれだけ完璧な構図と露出で平面写真を撮ったとしても、一対の立体写真のリアリティにはかないません。 単なる平面の絵だった写真が、空気を伴った立体へと変化するのです。 そして、左右の角度の違いによって、光に表情が生まれるのです。

皆さんも、ぜひ立体写真に挑戦してみてくださいね。 これらの立体写真は、交差法でご覧ください。

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A1初の屋外立体写真

確定申告のついでに、鴨池緑地まで行ってきました。

このところ、iKeyboard 2の開発で缶詰状態だったので、外に出るのは久しぶりです。 朝の空気は清々しく、世界は光り輝いています。 最後の難関をクリアしたこともあって、確定申告センターへと向かう足取りは軽やかです。 ところが、今年は何かと面倒なことが重なって、申告が終わったのはお昼前でした。

今日こそは、野外で立体写真を撮るぞ!というわけで、鴨池緑地まで足を運びます。 まずは、愛車のクロスバイクを記念撮影。 木漏れ日の明暗差が激しいので、どうしても自転車が暗く写って、背景の影に沈んでしまいます。 でも、立体写真にすると、これがちゃんと浮き出て見えるんですよ。

立体写真というと、「立体」であることに注目が集まりがちですが、素材の「質感」が向上することも見逃せません。 光の反射の仕方が左右で変わってくるために、写真に「艶」が出てくるんですね。 金属の艶はもちろんのこと、木の表面の微妙な艶も見事に再現されて、光の表情がぐっと豊かになります。

立体写真は、木の枝のように細かいものが入り組んでいるものほど、その効果を発揮します。 そして、ピントがシャープであればあるほど、立体効果は高くなります。 もちろん、マクロで背景をボカした写真でも、立体写真にすることができます。 ボケた背景にもちゃんと遠近感があるのですが、どれだけ凝視してもピントが合わないという、不思議な気分を味わうことができます。

抜けるように青い空というのは、まさに立体写真のための言葉だといえるでしょう。 その透明感は、平面写真ではなかなか出すことができません。 透き通った青空と、椰子の葉の艶が、その場所の空気を、日差しを感じさせてくれます。 立体感よりも、その現実感こそが、立体写真の一番の醍醐味だと思うのです。

これらの立体写真は、交差法でご覧ください。

壁の中の時間

視線を感じてふと立ち止まると、辺りには誰も見当たりませんでした。

気のせいかと思って歩き出そうとすると、なぜか足が動きません。 いや、動かしたくても、動かすことができないのです。 身動きが取れないまま、視線の元を探っていくと、コンクリートの壁の中に、彼がいました。

彼は、抜け殻のように、呆然と立ち尽くしています。 その虚ろな目はどこも見てはいませんでしたが、彼の心の目ははっきりとこちらを向いています。 私が気づいたことに気づいたのか、彼はわずかに虚ろなほうの目を動かします。

「ようやく気づいてくれたんだね」心の中で、彼の声が聞こえました。 彼は、もう何十年もの間ここに閉じ込められていて、ずっと体液を搾り取られていていました。 でも、彼の体液は枯れ果て、今ではわずかに雑草が生えているのみです。

「これでも若い頃はたくさん体液が出て、それを自慢に思ったりもしたものさ」 でも、彼は体液がたくさん出るということで閉じ込められ、ろくに食事も与えられないまま、ひたすら体液を搾り取られたのです。 「俺の体液が役に立つならくれてやってもいい。でも、どうして自由を奪われなくちゃならないんだ?」

それを聞いて、私の目から涙がこぼれました。 彼はそれを見て一瞬驚いた顔をしましたが、すぐに嬉しそうな顔をして「ありがとうよ」と言うと、彼も涙をこぼしました。 彼の涙は白く大きく、私の周りをくるりと一回りしてから、空の向こうへと昇っていきました。 その様子は、開放感にあふれていました。

私は涙を拭うと、再び歩き始めました。

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K-Hyodo

K-Hyodo

本名:兵頭 薫
鹿児島の30代男性
ソフトウェア作家を目指す

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