おたくとマニアの微妙な関係

おたくとマニア、ちゃんと区別がつきますか?

おたくという言葉を耳にするようになったのは、1988年の宮崎勤による幼女連続誘拐殺人事件がきっかけでした。 調べてみると、おたくという言葉の起源は、1983年に「漫画ブリッコ」誌上にて連載された「『おたく』の研究」にまでさかのぼります。 元々は、アニメなどに熱中するネクラな人達に対しての差別用語として生まれた言葉だったんですね。 現在では、差別的な意味合いは排除されて、一般的に広く利用されているのはご存知の通りです。

一方、マニアというと、オーディオなどの趣味に熱中している人達のことを指して使われます。 このマニアという言葉、実は「精神病」という意味だったんですね。 マニアックというのは、精神病を患っている人、つまり狂人のことなんです。 マニアは、躁病の医学用語としても使われているようです。

現在では、両者の区別が曖昧になってきていますが、このように言葉の由来を調べてみると、その違いがはっきりとしてきます。 おたくというのは、熱中しているという意味ではマニアと同じですが、自分が他の一般的な人達とは違っていることをはっきりと自覚しています。 そして、誰が何といおうと、自分が良ければそれで良いという、究極の自己満足を目的としています。 いや、おたくには、それしか道は残されていないのです。

人は、自分の体験を元に、外部の世界を内部に作り上げていきます。 人によって多少の違いこそあれ、同じ世界に生きている人であれば、当然似たような世界を持つことになります。 しかし、おたくの場合は、自分自身の直接的な体験ではなく、アニメなどの間接的な体験によって、世界が作られてしまっているのです。 一般的な世界観を構築することができていないために、自己満足に満足するか、仲間内でしか自分を出すことができないのです。

一方、マニアの場合は、一般的な世界観はそれなりに備えています。 そのため、自分の趣味以外のところでは、他の人達と違和感なく接することができます。 しかし、趣味の話となると、まるで人が変わったように、いかに自分がこだわっているかを披露します。 ただし、残念ながら、その自慢話は、マニア以外の人にはまったく理解できません。 なぜなら、マニアは目的と手段が完全に入れ替わっているからです。

普通の人なら音楽の話をするところを、オーディオマニアは音質の話をします。 普通の人ならストーリーについて語るところを、映画マニアは監督や俳優、カメラワークについて熱く語ります。 普通の人なら何を撮ったのかが重要なのに、写真マニアはどう撮ったのかが重要だと力説し、カメラマニアは画質や描写の違いを指摘します。

普通の人は、自分自身の体験を大切にします。 普通の人は、手段よりも目的を大切にします。 私は、おたくでもマニアでもなく、普通の人になりたいのです。

スナップ・スタイルで夜景撮影

今回は、スナップ・スタイルで、夜景を撮影してきました。

スナップ・スタイルの一番の特徴は、肉眼の視点とカメラの視点が、腕の長さの分だけずれていることです。 そして、そのほとんどの場合において、肉眼よりも被写体に近い視点となっているのです。 これは、一歩離れた視点から、一歩踏み込んだ写真が撮れることを意味しています。

ファインダーを覗き込むスナイパー・スタイルが、肉眼とカメラの視点が限りなく一致する、いわゆる一人称の視点であるのに対して、スナップ・スタイルは、三人称の視点からカメラを操作することになります。 すると、撮れた写真は、自分の撮った写真でありながら、自分以外の視点ということになります。

この視点の不一致によって、写真は能動的なものから、受動的なものへと性質が変わります。 これは、カメラ任せの露出と相まって、その性質をより強くします。 スナイパー・スタイルが、撮影技術を駆使しながら、いかに撮影者の意図を写真に込めるか、ということに注力していたのに対して、スナップ・スタイルは、最初から撮影者の意図を放棄しているのです。

つまり、スナップ・スタイルとは、積極的な受動性、つまり、あらゆることをあるがままに受け入れるというスタイルなんですね。 スナイパー・スタイルが、レンズの焦点距離やピントの位置、シャッター速度や絞り値など、たくさんの項目のチェックリストを元に、徐々に狙いを絞り込んでいく減点法なのに対して、スナップ・スタイルは、そこに存在するあらゆる要素をすべて混ぜ合わせて、その総和によって真実を暴く加算法なのです。

減点法では、減点する場所を間違えてしまうと、取り返しのつかないことになってしまいます。 しかし、加算法だと、たとえ余計なものが混じっていたとしても、そこに一番大切なものを入れ込むことは簡単です。 写真とは本来、目の前の光をただ機械的に記録するという、極めて受動的なものです。 そうした原理を元に写真をどう活かすかは、撮影者次第なんですね。

スナップ・スタイルのおかげで、写真をより自由に楽しめるようになったと、私は思っています。

スナップ・スタイルと写真の本質

今回もまた、スナップ・スタイルで撮影してみました。

スナップ・スタイルとは、デジカメの背面液晶を使って、手をいっぱいに伸ばして、掴み取るようにして撮影するスタイルのことで、私が勝手に命名しました。 スナップ写真というのは昔からありますが、このスナップとは、英語のSnapのことで、元々はバチンという音を表す言葉です。 そこから、バチンと音が鳴るような動作、素早く掴み取るという意味に発展していったようです。

スナップ写真というのは、素早く撮影することで、カメラを意識させない自然な表情や雰囲気を写すことを意味します。 つまり、どちらかというと、写真に撮られる側が、カメラを意識していない状態を撮るための技法なんですね。 しかし、スナップ・スタイルはその逆で、写真を撮る側が、カメラを意識せずに、自然な状態で写真を撮るための技法なのです。

ダゲレオタイプのような初期のカメラは、非常に大型で重く、感度も低かったので、三脚が必需品で、撮られる側は数秒から数分の間、じっとしていなければなりませんでした。 それが、ライカなどの高性能な小型カメラの登場によって、三脚の必要がない、スナップ写真が撮れるようになったというわけです。 そして、液晶パネルを搭載したデジカメの登場によって、スナップ写真は、スナップ・スタイルへと進化を遂げたのです。

これまで、写真を撮るためには、ファインダーという小さな穴を覗き込む必要がありました。 つまり、被写体と肉眼の間には、カメラが大きな壁となって立ちはだかっていたのです。 しかし、デジカメの登場によって、その壁が取り払われて、肉眼で見ている光景を、そのままの状態で写真に撮ることができるようになったのです。

スナップ・スタイルでは、精密な構図や正確な露出合わせはできません。 しかし、スナップ・スタイルは、直感的に、より自由に、力強く写真を撮ることができます。 そして、小数点以下の数字よりも、より大きな数字の重要性を気づかせてくれるのです。 そう、構図や露出は、必ずしも写真の本質とはいえないのです。

写真の本質とは、撮影者が自分の目で見た「もの」を記録することだったのです。

iKeyboard 2 完成目前!

iKeyboard 2の完成の目処が、ようやく立ちました。

前回の経過報告では、メインウインドウの基本的なデザインが決まって、おおまかな表示機能を実装するところで終わっていました。 その後、いよいよ肝となる練習動作の実装に入ったわけですが、苦労はしたものの、結果的には予想以上にシンプルな構造にまとめることができました。

これも、オブジェクト指向の考え方がだいぶ身に付いてきたおかげです。 細々とした仕事は、人に任せるよりも自分で全部やってしまった方が効率が良さそうですが、結果的には自分一人に負担がかかり過ぎてしまったり、責任の所在があいまいになって、不具合が起きた時の対処が遅れてしまうんですね。

iKeyboard 2では、各オブジェクトへ仕事をうまく配分することができたので、練習モードの少ないiKeyboard 1よりも、見通しの良いプログラムリストになりました。 面白いのは、iKeyboardはタイピング練習ソフトでありながら、内部的にはタイピングのシミュレーションソフトになっていることです。 ほとんどのタイピングソフトは、打ったキーに対応する文字を表示するという、キーボードのシミュレーションはしていても、脳内でのキーのマッピングや、各指への指示、文字の検索といったタイピングのシミュレーションまではしていません。

実は、3月の上旬には、完成の一歩手前まで出来ていたのですが、ハードディスクのクラッシュによってファイルが破損してしまいました。 幸い、一週間ほど前のバックアップを取っていたので、最悪の事態は避けられましたが、復旧作業や成績の実装に手間取ったりしたために、完成がずいぶん遅れてしまいました。 でも、長かった作業ももうすぐ終わりです。 残っている作業は、練習動作のガイドとヘルプ、音入れと最終的な動作確認のみです。 この音入れの作業が猛烈に面倒だったりしますが、難しい作業ではないので気は楽です。 後一週間もあれば、Vectorに登録申請できるかと思います。

iKeyboard 2では、ローマ字入力やかな入力の練習ができるようになり、練習動作もより洗練されたものになっています。 画面表示も、より滑らかに、より美しく、そしてよりわかりやすくなっていますので、これからタイピングを習得しようという方は楽しみにしていてくださいね。 また、iKeyboard 1とは共通ライセンス、つまり無料でバージョンアップできるので、待ちきれないという方は、先にiKeyboard 1を練習しておくのも良いかと思います。

iKeyboard 2を公開できる日を、今から楽しみにしています。

iKeyboard Web Page / iKeyboardのダウンロード

初クリームソースでパスタった

今回は、料理カテゴリ初のパスタですよ。

それも、ただのクリームソースじゃありません。手作りクリームソースですよ。 事の発端は、「daily happenings」の水無月さん制作のカルボナーラを見て、とても美味しそうだったからなんです。 クリーム系のパスタは大好きなんですが、これって手作りできるの?なんて思っていただけに、猛然とやる気が出てきました。

でも、レシピをよく見ると、生クリームが使われています。 生クリームってあんまり好きじゃないんだよな〜、というわけで、カルボナーラはやめて、普通のクリームソースにすることにしました。 クリームソースの作り方自体は、ずっと前に友人から教えてもらって知っていましたが、まともに作った事は一度もありませんでした。

まあ、何とかなるさと、ありあわせの材料で調理にかかります。 フライパンに、ケーキ用の無塩バターを10g入れて、弱火にかけます。 バターが溶けたら、牛乳を少し加えてから、小麦粉10gを入れます。 フライ返しで小麦粉を延ばしながら、少しずつ牛乳を加えていきます。 牛乳を180cc入れ終わったら、火を止めて一旦容器に移します。

大きな鍋でパスタをゆでる間に、フライパンを綺麗に洗ってから、ウインナー5本、タマネギを1個、適当な大きさに切っておきます。 クリームソースには、卵を1個、味塩コショウを少々いれて、良く混ぜ合わせます。 パスタがゆであがったら、パスタをボールに取ります。

フライパンにたっぷりのオリーブオイルと、刻んだニンニクを入れて、火にかけます。 ニンニクがほんのり色づいたら、ウインナーとタマネギを入れて、良く炒めます。 タマネギが飴色になるまで火が通ったら、ホワイトソースとパスタのゆで汁少々、そしてパスタを入れて、さらに炒めます。 ソースがパスタにしっかり絡んだら、火を止めてお皿に盛れば、クリームソース・パスタのできあがりです。

牛乳を、ビン牛乳1本とケチったせいで、ちょっとソースが足りなくなってしまいました。 さらに、卵を入れるタイミングが悪かったのか、卵が固まってだまだまになっています。 お味はというと、庶民的な手作りパスタのお味ですね。 普通に美味しいけど、店で出されたらちょっと…、というところでしょうか。

でもまあ、初めてにしては、まあまあの出来だったんじゃないかと思っています。 ダイエット中につき、あまりケーキが作れないので、これからは庶民派の手作りおかずを紹介していきますね。 でも、ゆでたパスタの量が250gだったりして…。うう、お腹いっぱい!

撮影枚数、一挙公開!

「今日のうちの猫、ときどきよその猫」のにゃほにゃほさんから、またまたバトンが回ってきました。

出されたお題について、質問に答えていくというもので、私に出されたお題は「写真」。 それでは、早速いってみましょう!

1. PCもしくは本棚に入っている「写真」

これまでの撮影枚数を年ごとに調べてみました。

1996年1,462枚IIIIIIIIIIIIIII
1997年1,063枚IIIIIIIIIII
1998年1,251枚IIIIIIIIIIIII
1999年493枚IIIII
2000年606枚IIIIII
2001年781枚IIIIIIII
2002年714枚IIIIIII
2003年3,671枚IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII
2004年12,863枚IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII
2005年8,652枚IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII
2006年2,232枚IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII
合計33,788枚

2003年から撮影枚数が急増して、2004年には爆発的に増えてますね。 2003年8月にPowerShot A60を購入してから、メモリーカードの大容量化によって最大撮影枚数が増えたのと、本格的に写真の勉強を始めたことが原因です。 2004年になると、DiMAGE 5/7Hi/7UGを立て続けに手に入れて、ますます写真にのめり込んでいきます。 遠距離恋愛が始まって、自分の時間が増えたことも影響しています。

2005年には、A1を手に入れましたが、11月から記録方式をJPEGからRAWに変更したことで、撮影枚数が減っていることがわかります。 2006年は、3月末という現時点での撮影枚数ですから、この調子でいけば4倍の約8,600枚ということで、2005年とほぼ同じ枚数になりそうですね。

これまでの撮影枚数を合計すると、なんと33,788枚にもなってました。 しかも、ここ数年は年に10,000枚近い撮影枚数になっていたとは、自分でも驚きです。 野鳥やスポーツなど、連写を多用する人ならともかく、私は一枚ずつ撮影するスタイルです。 それに、失敗写真は容赦なく削除していますので、実際の撮影枚数は、これより2〜3割ほど多いことになります。

いやいや、ずいぶんと撮ったものです。

2. 今妄想している「写真」

見る人を、不思議な世界に誘い込むような、そんな妖しい写真が撮れたらと妄想しています。

3. 最初に出会った「写真」

何だろう? 小学生の頃に集めていた、カメラのカタログに載っていた写真かな。

4. 特別な思い入れのある「写真」

思い入れのある「場所」はあっても、思い入れのある「写真」というのは、あんまりないかも。

5. 五人にまわす「○○」

今回は一人だけ。 「羊の歩み」のソラトビさん、お題は「奥田民生」でお願いします!

写真をガッチリ掴み撮れ!

くよくよ悩んでいる暇があったら、行動あるのみですね。

このところ、自分の写真に対して行き詰まりのようなものを感じて、少し息詰っていたわけですが、いつもお世話になっている「fairy cosmos」のmiyuさんのところで娘さんの携帯画像を見て、少なからず衝撃を受けました。 正直なところ、画質も荒いし、巧さを感じる写真ではないのですが、そういったことが些細でくだらないことのように思えるほど、実に生き生きとして見えたのです。

何というか、「それを撮りたかったんだよ」という気持ちが、ストレートに感じられるんですよね。 画質だとか見栄えだとか、そういった細々としたものを押しやって、撮影者と被写体と鑑賞者が直接つながっているのです。 この違いは一体どこにあるのかと考えて、撮影スタイルにあるのではないかということに気づきました。

携帯電話だと、カメラを意識することなく、手を伸ばしてボタンを押すだけで、気軽に写真を撮ることができます。 一方、現在の私のスタイルだと、カメラのファインダーを覗いて、レンズの焦点距離を決めて、露出を調節して、ピントを合わせる場所を決めて、細かい構図の微調整をしてから、ぶれないように注意をしながらシャッターを押します。 これでは、撮影に負担がかかるのも無理はありませんね。

そういうわけで、今日は、A1の背面液晶を使って、焦点距離は28mm固定、プログラムAE、ワイドフォーカスエリア、という設定で、スナップ感覚で撮影してみました。 自分の影が写ろうが、細かいことはおかまいなしで、とにかくカメラを撮りたいものに向けてぐっと突き出して、鷲掴みにするように、写真を撮っていきます。

最初のうちは、慣れない動作に戸惑いましたが、次第にこの撮影スタイルのリズムが掴めてきました。 欲しいと思ったものがあれば、手を伸ばして、ひと思いに掴み取る。 これは、まさに「掴み取る」すなわち「スナップ」スタイルなんですね。 これまでが、息を殺して獲物に狙いを定めるという「スナイパー」のスタイルだっただけに、対照的で、とても新鮮でした。

でも、このスタイルって、コンパクト・デジカメで当たり前のようにやってきたことなんですよね。 何といっても「スナップ」スタイルは、開放的でダイレクトな感覚が楽しいんです。 「スナイパー」スタイルも充実感があるのですが、閉鎖的で攻撃的なところがあるのも事実です。 これからは、「スナップ」と「スナイパー」のスタイルを、うまく組み合わせていきたいと思います。

最後になりましたが、miyuさん、そして娘さん、どうもありがとうございました!

写真をどこまで正直に写せるか

次の2枚の写真、あなたは、どちらが好きですか?

この2枚の写真は、どちらも同じ日に、同じ場所で撮ったものです。 どちらもオドリコソウの写真ですが、左側の写真は、最初に目に入ったオドリコソウを撮ったもの。 右側の写真は、何枚もオドリコソウを撮ってから、一番最後に撮ったものです。 左の写真は陰鬱で重い感じですが、右の写真は爽快で明るい感じがしますね。 ほとんどの人は、右側の写真を選んだのではないでしょうか。

でも、見た目に近いのは、左の写真なんです。 そして、私の受けた印象に近いのも、やはり左なんです。 最初のうちは、見た目に忠実に撮っていたわけですが、どうも私の中にあるオドリコソウのイメージと違う。 そうして、ぎりぎりまでプラス補正したものが、右の写真なのです。 結果として、私のイメージに近いものに仕上がったわけですが、何とも後味の悪い撮影になってしまいました。

両者を見比べると、明らかに右側の写真の方が、写真映えがして、とても綺麗に見えます。 左の写真は、眺めていると次第に気持ちが沈んできてしまいます。 でも、右の写真は、眩いばかりの照明を浴びて、精一杯に愛想笑いを振りまいている、着飾った美人女優のようなものです。 もちろん、素材の良さもあるわけですが、結局は、様々な演出によって飾られた美しさなのです。

一方、左側の写真は、第一印象こそあまり良くありませんが、目が慣れるに従って、じんわりと味わいが出てきます。 雨上がりの、どんよりとした雨雲がのしかかってくるような、湿り気のある重い空気が、実に良く出ています。 わずかな光を受けて静かに光るオドリコソウに、それをうらやましそうに眺める白い花。 その間には、ふたりの視線に挟まれて困り果てたかのように、枯れ草が首をうなだれています。

もちろん、どちらの写真を選ぶかは好みの問題ですから、どちらを選んでもいいわけです。 でも、私は、やっぱり私自身の好みを優先したいのです。 私にとって、写真を撮るということは、どこまで自分に正直になることができるか、ということと同じなんです。 綺麗な写真を撮ることでも、受けの良い写真を撮ることでもなく、自分自身が感じたものを、感じたままに撮ることなんですね。

でも、自分というものは、自分のことでありながら、なかなかわかりにくいものです。 一度は答を見つけたつもりでも、時が経てば、その答はどんどん古くなってしまいます。 今、この瞬間の自分が、一体何を感じているのか。 それを見極めるのは、とても難しいことです。 でも、それができるようになりたい、いや、そうならなければならない、と強く思うのです。

スウィートハニー・パンケーキ!

甘党の皆さん、大変長らくお待たせいたしました!

これまで、「毎日食べるものだから」というわけで、甘さ控えめというよりは、甘さぎりぎりのパンケーキを作り続けてきたわけですが、ダイエット宣言をしてからは、週に一度のケーキ作りとなってしまいました。 となると、しっかり味のついた、甘くて美味しいケーキが食べたいというものです。 そこで、ついに禁断の食材が、ついに解禁です!

その食材とは、ずばり「はちみつ」です。 かつて、ホットケーキ作りにハマっていた頃に、はちみつを入れれば美味しくなることはわかっていました。 でも、はちみつは値段が高いので、そんなにしょっちゅう使うわけにもいきません。 でも、週に一度くらいなら、奮発してじゃんじゃん使ったっていいじゃありませんか。

作り方は、基本的にこれまでのパンケーキと同じです。 無塩バター30gを炊飯器の内釜に塗り、余ったものをボールに入れて、湯せんして溶かします。 バターが溶けたら、卵3個、砂糖50g、そしてはちみつをスプーンでひとすくい入れて、良くかき混ぜます。 さらに、牛乳180cc、バニラエッセンス10振りを入れてかき混ぜたら、小麦粉200gとベーキングパウダー10gを少しずつ入れながら、さらにかき混ぜます。

はちみつの効果は、この時点ですでに現れています。 生地がいつもよりなめらかで、とてもしっとりとしています。 これは、とても美味しくなりそうな予感がします。 生地を炊飯器の内釜に流し込み、二回連続して炊飯します。 炊飯が終わり、炊飯器のふたを開けると、甘い香りがふわりと鼻をくすぐります。

大きなお皿に移し、6等分したら、うちわで扇いで良く冷まします。 水蒸気がたまって湿りやすいので、別のお皿に移し替えながら、その都度お皿にたまった水を拭いていくといいでしょう。 十分に冷めたら、小さなお皿にのせて、その上からはちみつをとろ〜りとかけていきます。 ひとすくい、ふたすくい、んん〜、これはたまりません。

辛抱たまらずに、はちみつをすくいとったスプーンで、ケーキ入刀です。 焼きたてのケーキの中に、とろりとしたはちみつが、ゆっくりと染み込んでいきます。 口の中に入れると、たっぷりと染み込んだはちみつが、じわ〜っと染み出してきます。 あまい!これはあまいぜ!あますぎるぜ!

ハニー、君を噛んでやる〜、なんて歌が聴こえてきそうなくらい、噛むたびに口の中がはちみつで満たされていきます。 はちみつをかけずに、そのままでも食べてみたのですが、十分にはちみつの味を楽しむことができました。 はちみつを入れることで、しっとりとした舌触りになりますね。

もうメロメロのスウィートハニー・パンケーキ。ぜひあなたも作ってみてくださいね!

エンドレス・バトンは永遠に

「365日坊主」の夢水さんから、持っていってはいけない「エンドレス・バトン」をいただきました。

バトンのルール

  1. 回ってきた質問の最後に自分の考えた質問を足して下さい
  2. 終わったら必ず誰かにバトンタッチして下さい
  3. まとまりのないエンドレスバトンなのでどんな質問を加えてもOKデス
  4. バトンのタイトルを変えないこと!
  5. ルールは必ず掲載しておいて下さい

猛烈に長いので(50問もあるよ…)、読みたい人は追記をどうぞ。

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木漏れ日の中の楽園

多賀山公園は、たくさんの木々に囲まれています。

特に、多賀神社の参道や、東福寺城跡の辺りは、日光が木々にさえぎられて、ひんやりと湿った空気が漂っています。 地面は苔むして、たくさんの草花が生い茂っています。 そして、木々の葉の間をすり抜けてきた日の光が、ゆっくりと揺らめきながら、彼らを優しく照らしていきます。

多賀神社の参道は急な斜面になっていて、急な石段が縫うように続いています。 その斜面はコンクリートで固められていますが、その表面にはびっしりと苔が生えていて、コンクリートの存在を忘れてしまうほどです。 木の根の間からは、様々な種類の葉が顔を出していして、嬉しそうにこちらを見つめます。

石段には、たくさんの枯れ葉や花が落ちて、積み重なっています。 足を滑らせないように気をつけながら石段を上っていると、石段の両脇の植物達が次々と、訪れる人達を歓迎します。 そして、感謝の気持ちとして、風に身体をくねらせながら、自らの美しい影を映し出してくれるのです。

奥へと進んでいくと、次第に癖の強い連中が多くなってきます。 まるで、自分だけにスポットライトが当たっているかのように、葉をいっぱいに広げているもの。 妖し気な光を身にまといながら、吸い込むように誘惑するもの。 彼らは、木漏れ日の光を自由自在に操りながら、自己主張を続けています。

一番奥にたどり着くと、そこは暗く、まるで時間が止まっているかのように、しんとしていました。 先ほどの癖の強い連中はなりをひそめ、静かな空気が辺りを支配しています。 すると、それまで気づかなかったようなものが、少しずつ、こそりこそりと、姿を現します。

木漏れ日は、すべてを美しいものへと変えていきます。 木漏れ日は、まさに彼らの楽園なのです。

多賀山公園のアコウの保存樹

今日は、桜の名所、多賀山公園に行ってきました。

前回が去年の9月だったので、実に半年ぶりの多賀山公園です。 天気は快晴、春らしいぽかぽか陽気で、絶好の花見日和です。 そして、期待通り、桜はとても綺麗だったのですが、保存樹であるアコウの木を見て、その迫力に圧倒されてしまいました。 すでに何度も足を運んで、とうの昔に見慣れているはずなのですが、久々に見るアコウの木は、やっぱり凄かったです。

そのアコウの木は、まるで血管のように、神経のように、たくさんの根が、幹が、枝が、これでもかと言わんばかりに張り巡らされています。 そして、その一本一本が、独立した生き物であるかのように、アコウの木の周りをのたうちまわっています。 それらがぐちゃぐちゃになりながら集まって、巨大なアコウの木を作り上げているのです。

このアコウの木には、一本の大きな腕があります。 その腕は、巨大なアコウの身体を支えるように、地面に手をついています。 その姿は、全力で生きようとしているようでもあり、見る者を圧倒しようとしているようでもあります。 生命力が、アコウの木の全身にみなぎっています。

アコウの枝は、獲物を捕らえようとするかのように、空中を這い回っています。 その動きは、素早く、力強く、思わず足がすくんでしまうほどです。 もしかしたら、何かに怒り狂っているのかもしれません。 それとも、何らかの理由でもがき苦しんでいるのでしょうか。

しかし、アコウの木は、私のそんな気持ちにはおかまいなしで、何事もないかのように、ただじっとたたずんでいます。 160年という時間が、アコウの木と共に、ゆっくりと流れているようです。 その流れに身を任せると、アコウの木は甘えるように、こちらへとすり寄ってきます。

私は、このアコウの木が、大好きです。

色のメロディ、光のリズム

どこからともなく、パイプオルガンの音が聞こえてきました。

町中に突如として現れた教会。 誰もいないホールの中に、パイプオルガンの音が響き渡ります。 その荘厳な雰囲気は、見る者、聴く者を圧倒します。 私は、音に導かれるように、教会の中へと入っていきます。

ホールの奥には、磔にされたイエス・キリストの像がありました。 その像は、漆黒の闇に包まれ、まるで全ての人間の罪を背負っているようです。 パイプオルガンの音楽が、彼を哀れみ、罪を非難するように、重くのしかかります。

そう思った瞬間、突如として音楽が途切れました。 痛いような沈黙が、辺りを包みます。 しんと静まり返った空気の中で、私は、ただじっと、キリストの像を見つめます。 すると、木の葉がはらりと舞い落ちるように、私の心に何かが舞い降りました。

耳をつんざくように、パイプオルガンが息を吹き返します。 キリストの背後に、後光が射しているのが見えます。 ずしんずしんと、心臓が大きな音を立てます。 ステンドグラスの光が、私を柔らかく包みながら、静かに祝福してくれます。

私は、パイプオルガンの奏でる賛美歌の中で、神と一体化したのです。

惚れたぜ!オオシマザクラ!

桜の花って、あんまり好きじゃないんだよね…。そんな人、いませんか?

何を隠そう、実は私もそうなんです。 最初はのうちは「ああ、桜が咲いたな。綺麗だな」と思っているのですが、辺り一面の真っ白な桜を見ているうちに、だんだん飽きてきちゃうんですね。 そして「もう、桜はいいよ…。他に白くない花、何かないかな…」なんて思ってしまうのです。

それでも、せっかくだからと、こりもせずに桜を撮りにいくと、なぜか一番手前の桜だけに葉っぱがついていました。 「あれ、この木だけ早咲きだったのかな」と思いながらカメラを向けると、何やら赤いものが目に入りました。 それに、やけに緑が眩しいんです。何か違う。そう思いながらも、奥の方へと歩を進めます。

でも、他の桜は、みんな普通の桜でした。白い花だけが咲く、ソメイヨシノなんですね。 これはこれで綺麗なのですが、何か満たされないものが心にたまっていきます。 案の定、しばらくするとすっかり飽きてしまって、ソメイヨシノにかじりついているカメラおじさんを背にしながら、ツツジやモクレンなどを撮っていたのでした。

それでも、公園の入り口に戻ってみると、100枚近く撮影していました。 そして、改めて最初の桜を見てみると、やっぱり素晴らしい。 強い風に苦労しながらも、夢中になって50枚近く撮りました。 ふとプレートに気づいて見てみると、そこには「オオシマザクラ」と書いてありました。 むむ、やっぱり品種が違ったか。

オオシマザクラは、真っ白な花と鮮やかな緑の葉が同時に出るのが特徴なのだそうです。 花びら自体は真っ白でも、よく見ると、その中央がほんのり黄緑色に染まっています。 また、葉の付け根には赤い葉がついていて、いろんな色が楽しめるんですね。 春の楽しみが、またひとつ増えました。

春の町の陰と影

光があれば、陰ができ、影が伸びていきます。

きらきらした春の日差しは、辺りを明るく変えますが、当然ながら、陰もできれば、影も伸びます。 こういうと、陰気くさいとか、陰があるとか、暗いイメージになりがちですが、全然そんなことはありません。 陰ができることで、ものの形がはっきりしたり、影が伸びることで深みが出たりするんですよ。

たとえば、曇りの日は、陰影がなくなって、すべてがのっぺりした世界に変わります。 余計な陰影がなくなることで、それ自体の色や形を楽しむには向いているわけですが、同時に、いかに陰影が豊かな表情を与えているかを思い知らされます。 そして、陰影によって、何の変哲もない光景が、ドラマチックに生まれ変わったりするのです。

でも、いくらドラマチックだといっても、テレビドラマとは違いますよ。 ついでにいうと、映画のドラマとも違います。 どちらかというと、スポーツのドラマに近いですが、やっぱり違います。 なぜなら、陰影のドラマは、与えられたドラマではなく、自ら探し出すドラマだからです。

陰影は、その形から抜け出して、やがて一人歩きを始めます。 陰影は、物体の形状と光源との位置関係によって生成された、偶然の産物です。 ですから、そこには何の意味もありません。表も裏も、何もないのです。 でも、人はそれを見て、そこに何かを感じます。 そして、時には何らかの意味を見いだすのです。

あなたは、これらの陰影の中に、何を見つけましたか?

写真の美味しい季節です

春の草花というのは、どういうわけか美味しそうに見えますよね。

もしかしたら、そう思うのは私とにゃほにゃほさんくらいかもしれませんが、やっぱり美味しそうなんですよね。じゅるり。 黄緑色の若葉は、瑞々しくて、柔らかそうで、ぷりぷりとした丸い輪郭が、何とも食欲を誘います。 白い椿は、その白い花びらも美味しそうですが、密集したおしべの束が、シャキシャキとした歯ごたえを連想させます。

左の白い花は名前がわかりませんが、「さあ、私を食べて!」と両手を広げるように、全身でアピールしています。 料理は、やっぱり盛り付けも大事ですね。ついつい、どれから食べようかな、と迷ってしまいます。 スズランの後ろ姿は、猛烈に色っぽいですね。おじさんは、後ろからぱくっと食べちゃいたいのだよ。うひひ。

赤い花と黄色い花。 赤い花は、きゅっとした梅の酸っぱさを感じますね。 後ろのこんもりとした緑を引き立たせていて、どんどん食が進みます。 黄色い花は、からしのぴりりとした辛さでしょうか。それともショウガかな。 これらは、メインの食材にはならないかもしれませんが、その仕事ぶりはまさに名脇役といえるでしょうね。

スーパーのお寿司には、ビニール製のギザギザの葉っぱが入っていますよね。 あれは、葉蘭といって、元々は防臭・除菌用に蘭の葉を入れていたそうなのですが、ワンポイント・アクセサリーとして食欲をそそるということから、現在も受け継がれているのです。 この細長い葉も、不思議と食欲を誘いますね。

ちらし寿司は、酢飯の上にいろんな具材を散らしたお寿司ですが、散った花びらというのも、また美味しそうですね。 ちらし寿司が、具材を整然と並べてしまっては美味しそうでないように、花びらも、偶然の力によって生まれたその配置が、不思議な美味しさを作り出しているのです。 また、女性の後れ毛が美しいように、草の微妙な曲線も、とても美味しそうに見えるのです。

春は、まさに写真の美味しい季節ですね。

思い出に降り注ぐ雨

そこは、たくさんの思い出で埋め尽くされています。

大きいもの、小さいもの、古いもの、新しいもの、濃いもの、薄いもの、固いもの、柔らかいもの。 様々なかたちの思い出が、数えきれないくらいの思い出が、幾十にも重なり合っています。 そして、その思い出達は、冷たい雨に濡れています。

わたしは地面。ただそれだけでは、空っ風が吹くだけの、何もないところ。 そこにあなたがふらりとやってきて、やがて小さな芽が顔を出したの。 あなたは、わたしの中でどんどん大きくなって、ついにわたしを覆い尽くしたわ。

あなたは知ってた?思い出は、常に変わっていくものなのよ。 あれだけしっかりと胸に刻み込まれたことも、いずれしおれてしまうのよ。 そして、新しい思い出の陰に隠れて、いつかは見えなくなってしまうの。

でも、それだけじゃないの。 中には、養分を吸い上げて、どんどん大きくなるものだってあるのよ。 あなたは、いつだってわたしの真ん中にいたわ。 そして、わたしはあなたのそばに、ずっと寄り添っていたいの。

私は、子供のように、顔をくしゃくしゃにして、声を出して泣きます。 こぼれた涙が、たくさんの思い出に降り注ぎます。 そして、思い出達は、さらに大きく育っていきます。

オドリコソウに心躍らせて

昨日、散歩中にオドリコソウがつぼみをつけているのを発見しました。

あいにく、その時はカメラを持っていなかったので、今日になって、雨がやんだ一瞬の隙をついて撮影してきました。 前から目をつけていたヒメオドリコソウらしきものは、花どころかつぼみすらできていませんでした。 結構茎が太くて、本当にヒメオドリコソウなのか、あまり自信がなかったりします。

ヒメオドリコソウのところから、ほんの数十メートルほど離れたところに、オドリコソウがところ狭しと生えています。 オドリコソウの方は、茎が細くて、とても繊細な印象です。 昨日はつぼみばかりでしたが、今日はいくつか花が咲いていました。 この薄いピンクは、いつ見ても本当に綺麗ですね。

オドリコソウの花を撮りまくっていると、上の花びらの下に、何やら黒いものがくっついているのを発見しました。 小さな黒い虫が飛び回っていたので、その虫が花の蜜を吸っているのかと思いましたが、まったく動かないのでどうも違うようです。 虫が卵を産みつけたようにも見えますが、どの花にもついているので、どうもおしべかめしべのようです。

なんだかオドリコソウの秘密を知ってしまったようで、嬉しいような恥ずかしいような、申し訳ないような気分になってふと視線を落とすと、そこには小さな花がひっそりと咲いていました。 オレンジ色の花に、白い花。 オドリコソウの花も小さいですが、これらの花はほんの数ミリしかありません。 それでも、雨に濡れながらも、けなげに花を咲かせています。

紫色のハナダイコンの花も、雨水をいっぱいに吸い込んで、瑞々しく咲いています。 ハナダイコンの花はすっかり見慣れてしまいましたが、色あせることなく、生き生きとしています。 足下を見ると、仲間からはぐれてしまったハナダイコンが、大粒の涙を浮かべていました。 それをなぐさめるように、草達が周りを取り囲んでいます。

花にも、それぞれのドラマがあるのかもしれませんね。

出会いの春、別れの春

ついに、本格的な春がやってきましたね。

大学が近くにある関係で、この季節になると、卒業生や新入生で辺りが賑やかになります。 慣れないスーツを着て緊張した面持ちの卒業生に、あどけなさの残る顔に不安そうな表情の新入生。 町にはリフォームやホームクリーニングなどの業者が行き交い、リサイクルショップや運送会社のトラックが大きな荷物を載せて走り回っています。

そういう町の様子を見ながら、自分が鹿児島に来たときのことを思います。 大学受験で初めて鹿児島の地を訪れたとき、なぜか、まるで古くから知っている土地であるかのような気持ちになったことを、今でも良く覚えています。 あれから十数年が経ち、当時の光景は失われつつありますが、その時の気持ちは、たくさんの思い出を引き連れて、ますます大きくなっています。

私は、この鹿児島の地で、たくさんの人達と出会いました。 その人達の多くは、他所の土地へと移っていって、今では散り散りになってしまっています。 それでも私は、この鹿児島の地で、その人達のことを想い続けています。 町を歩けば、当時の思い出が、次から次へとよみがえってきます。 そして、時がとまったままの彼らを、とても愛おしく思うのです。

時間は、周りのいろんなものを巻き込みながら、緩やかに、時には速く、たゆまずに流れていきます。 木の芽から柔らかい若葉が生まれ、成熟してやがて落ちていきます。 落ちた葉は水面に浮かび、川の流れに翻弄されながら、海へと流れていきます。 どこからか流れてきた木の葉が、寄り添うように、突き放すように、引き裂かれるように、すぐそばを流れていきます。

二枚の葉は、少しずつすれ違いながら、いつまでも流れていきます。

人生は音楽だ!今度のバトンも音楽だ!

羊の歩みのソラトビさんのところから、「音楽バトン」を拾ってきました。

私が最初に音楽に興味を持ったのは、中学生の頃だったでしょうか。 家にあった大昔のソニーのラジカセで、たまたまラジオで流れていたCommodores特集をテープに録音したのが最初だったように思います。 「Machine Gun」「Brick House」「Sail On」「Lady」「Still」などなど、iTunes Music Storeで試聴しただけで、懐かしさで胸がいっぱいになります。

中学生の頃は、オフコースや宮崎駿アニメのサントラなどをよく聴いていました。 高校生くらいから洋楽を聴くようになって、邦楽はほとんど聴かなくなりましたね。 大学生になってから、友人の影響でREBECCAを聴いたりもしましたが、やっぱり洋楽ばっかりでした。

それが、去年にブログを始めてから、ソラトビさんの影響で奥田民生にハマり、邦楽の良さを初めて知ることになりました。 最近では、電気グルーヴがお気に入りで、他にもユニコーンやCharaをよく聴いています。 洋楽では、少し前にEMINEMにハマり、彼女の影響でBruce HornsbyやBen Folds、John Mayerをよく聴くようになりました。

私のiTunesには、155アーティスト、212アルバムの合計2,806曲が入っています。 その中からバトンに登場するのは、果たしてどの音楽なのでしょうか。 それでは、音楽バトンの、はじまり、はじまり〜!


これは音楽バトンです。あなたの好きなアーティストを3つ教えて。

  1. Journey
  2. Peter Gabriel
  3. Bjork

その3つのアーティストの好きなところを教えて。(全部で終わらせるのはなし。)

Journeyは、1980年代を代表する、アメリカン・ロックバンドです。 オフオースに聴き飽きて、そろそろ新しい音楽が聴きたいなぁということで、メタリックな黄金虫に惹かれて手に取ったのが最初でした。 とにかくもうパワフルでカッコイイ!聴いていると、胸に熱いものがグツグツと音を立てて煮えたぎってきます。 ハードなロック、メロディアスなロックというのは数あれど、Journeyは直接ハートを熱くする、IHのようなロックなのです。

Peter Gabrielは、音楽の深みというものを初めて教えてくれました。 最初に聴いたのは「So」というアルバムでした。 一応ポップな音楽を装っていますが、その深さは聴く者を圧倒します。 魂を揺さぶるというか、ヒトという動物の本能を呼び覚ますかのような、不思議な興奮を覚えます。 その声が、そのリズムが、心の奥底深くにまで染み込んでいきます。

初めてBjorkを聴いた時、どうしても曲を聴き続けることができませんでした。 Peter Gabrielが「深い」なら、Bjorkは「重い」音楽なのです。 Enyaが軽くて心地良い音楽であるのと対照的ですね。 何というか、音楽の中に気持ちが込められているのではなくて、音楽それ自体が気持ちそのものなんですね。 ありのままという生易しいものではなくて、目をそらすことができないくらいの存在感で、そのものがゴロリと無造作に転がっている、そんな音楽です。

自分で初めて買ったCDは何????

はっきりとした記憶はないのですが、Peter Gabriel の「Us」だったでしょうか。 高校生の時、洋楽の新作が半年待たないとレンタルできなくなったのがきっかけでした。 お小遣いの少なかった私は、高いな〜と思いながらも頑張って買ったのでした。

今聴きたい曲は????

今というか、いつの日か、自分の内なる音楽を聴くことができたらいいなぁと思っています。 それを、曲として皆さんに聴いてもらうことができたら、それはとても素晴らしいでしょうね。 でも、私には作曲の知識は皆無だし、その才能があるとも思えません。 それでも、自分のためだけにでも、自分の音楽を形にできるよう、その願望だけは持ち続けていきたいと思います。

何回聞いてもあきない曲は???

好きな曲ならどれも飽きませんね。数が多すぎてとても答えられません。 すべての曲を同時に聴けたらいいのになぁ、なんて思うことも。

もし今からライブに行けるなら・・・

全然詳しくないのですが、ジャズとかクラシックを聴いてみたいですね。 生演奏ならではの、音の良さとか、息づかいのようなものを感じてみたいです。 ライブと言えば、長渕剛の桜島オールナイトライブにゲスト待遇で行ったことがあるんですよ!

これを3人にまわしてくださーい。

音楽好きな人、最近カラオケに行った人、よろしければこのバトン、拾ってくださいね〜!

フェティッシュなひととき

またまた、にゃほにゃほさんからバトンが回ってきましたよ。

そのバトンの名は「フェチバトン」。 フェチとは、フェティシズムの略で、本来であれば性的なものでないモノに対して、性的な興奮を覚えることを意味します。 その対象は、身体的な部位だけでなく、服装や装飾品などの物質や、行為・状況にまで及びます。 つまり、男性が女性の裸に欲情するだけでは、フェチとはいえないわけです。

そんなフェチ、すなわち性的倒錯による異常性欲が、果たして私にもあるのでしょうか。


1. あなたは何フェチ?

異性に対してはいたってノーマルですが、「写真フェチ」と言えるかもしれません。 被写体を舐めるように眺め回し、自分のありのままの姿をさらけ出し、押したり引いたり向きを変えたりしながら、興奮が最高潮に達したところでシャッターを押すわけです。

2. 好きな人を見て、まず何処を見る?

表情ですね。 機嫌が良さそうか、腹を立てていないか、悲しそうにしていないか、調子に乗っていないか、そういったことを最初に感じ取ります。 それから、相手がどうしてそういう気分になっているかを考えて、まずは自分なりに仮説を立てます。 それとなく話しかけてみて、反応を見ながら、少しずつ様子をうかがいます。

3. 最近プッシュできる部位は?

「肌」でしょうかね。 いつも温泉に入っていて、天然石鹸を使っていることもあって、同世代の男性と比べたら、ずっと艶があって肌理が細かいのではないかと思っています。 最近は少し腹が出てきていますが、プッシュの意味が違う?

4. 異性の好きな部位5つ

「くちびる」「うなじ」「おっぱい」「こしつき」「おしり」でしょうか。 共通しているのは「優雅な曲線」ですね。 「くちびる」「おっぱい」「おしり」は、そのふくらみそのものに、豊かな存在感を感じます。 「うなじ」「こしつき」は、ふくらみとふくらみをつなぐところで、繊細な感受性を感じます。

5. フェチを感じる衣装は?

豊かなふくらみを生かしつつ、そのつながりをゆるやかにつないでいくようなものに色気を感じますね。 色はおとなしめで、装飾も少ないものがいいですね。 主役はあくまでも身体そのものであって、衣装はそれを補佐するものという感じです。

6. バトンをまわす人5人

内容が内容なので、自分はエロイと思っている人、ご自由に持って帰ってくださいませ。


というわけで、「フェチバトン」でした。 私の場合、写真を撮るということは、その被写体を擬人化することと同じなんですよね。 あるいは、その被写体を見せたい人のことを思ったり、誰かを連想したり。 そういうところに、何か性的な興奮が含まれてるのかもしれないなぁ、と書きながら思ったりしたのでした。

春の日差しと家族の絆

数日ぶりに、あの家族を訪ねてみました。

どうやら、母親は家を出ることをやめたようです。 「先日はお騒がせしてしまって、どうもすみませんでした」と、母親が頭を下げました。 「いや、ほんと、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」父親も、頭をかきながら照れ笑いを浮かべています。 二人の表情は明るく、とても生き生きとしています。

「もう、あんなことしないでよ」と、弟が母親に向かって唾を飛ばします。 兄は何も言わずに、嬉しそうに父親を見つめています。 よく見ると、白いひもが、父親と母親のふたりをつないでいます。 そのひもは固く結ばれ、二度と切れることのないように、兄弟がしっかりと見張りをしています。

「いい?これは約束だからね!」弟が、さらに口をとがらせます。 「わかった、わかった。約束するからもう勘弁してくれ!」父親が、たまらず叫びます。 母親と兄は、目を合わせると、にっこりと笑います。 「そろそろお昼ご飯にしましょうか」母親が弾んだ声でそう言うのを機に、私は彼らに別れを告げました。

恐らく、あの日の悲しみは、彼らの心から消えることはないでしょう。 時には、その記憶が彼らを苦しめることもあるかもしれません。 でも、その度に彼らは、今をよりずっと大切に思うことでしょう。 そして、家族みんなで力を合わせることを誓い合うのです。

春の日差しが、眩しいほどに、辺りを照らしていました。

初春のオドリコソウを求めて

初春の野草3点セットは、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウだそうです。

そのうち、オオイヌノフグリとホトケノザは、すでに撮影済みなので、後はヒメオドリコソウを残すのみです。 花の名前の知らない私でも、オドリコソウなら知ってます。 いや、名前を知ったのは最近なんですが、去年の春にたまたま写真を撮っていて、「何て綺麗な花なんだ」と、とても気に入っていたのです。

その綺麗なオドリコソウを、ぜひとも立体写真にしてみたい。 そういうわけで、あいにくの曇り空ではありましたが、お昼過ぎに探してきました。 すると、歩き始めてすぐに白ツバキを発見。 ツバキというと派手派手の紅色でちょっと苦手な花だったりするんですが、この白ツバキは清楚な感じがしていいですね。

去年撮影した場所に来てみると、残念ながらオドリコソウはまだ咲いていませんでした。 その代わり、紫色の花がたくさん咲いていました。 背丈は50cmくらいだったでしょうか。これってスミレ?違いますよね? そのまま帰るのももったいないので、その先の空き地まで行ってみると、菜の花が咲き乱れていました。

黄色い菜の花の中で異色の輝きを見せていたのが、このスイセンです。 お鼻の黄色いスイセンは良く見かけるのですが、真っ白なスイセンは初めてです。 その気品と存在感は迫力すら感じます。すごい! A1のチルト液晶を利用して、真っ正面からご対面。 そんな真っ正面から見つめられると、何だか照れてしまいます。

お目当てのオドリコソウは撮れませんでしたが、とても楽しい写真撮影でした。 花の名前がわかるようになると、花を撮るのがぐっと楽しくなりますね。 撮影中は、ずっとゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」が頭の中で流れていましたよ。 「モンキーマジック」じゃないですからね!

これらの立体写真は、交差法でご覧ください。

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立体的な侘びと寂び

目の前の感動が、どうしても写真に写らない。そういう経験はありませんか?

写真は、立体物の光をレンズで集めて、平面上に記録したものです。 当初はハイコントラストなモノクロだったものが、次第に階調が豊かになって、やがてカラーになりました。 デジタルカメラの登場によって、減色法のプリントから加色法のモニター表示が可能になり、写真を絵としてではなく光景として見ることができるようになりました。

光の微妙な陰影の変化や、鮮やかな色彩、緻密な描写、これらは写真の特徴ではありますが、人間の目にはかないません。 確かに、人間の曖昧な記憶と比べると、写真のそうした特徴は際立ちますが、写真と実際の光景と見比べてしまうと、その差は歴然です。 逆に言うと、そうした厳密な記録性こそが、写真の一番の特徴だといえるでしょう。

しかし、いくら記録性に優れた写真でも、そのままではどうしても表現できないことがあります。 それは、奥行きです。 背景をボカしたり、構図を工夫することで、それなりの奥行き感を出すことはできますが、それはあくまでも奥行き「感」であって、本物の奥行きではありません。 もし、被写体の奥行きや、立体的な造形の迫力に感動して写真を撮ったとしても、遠近法によるわずかな奥行き感しか得られないのです。

でも、左右二枚の写真を使った立体写真では、本物の奥行きを記録することができます。 立体写真にすることで、それまで死んだように首をうなだれていた写真が、実に生き生きと輝き出すのです。 そして、それまで撮ることのできなかった感動を、そのままの形で記録することができるようになったのです。 風景など静止したものであれば、カメラ一台でも簡単に立体写真を撮ることができます。

立体写真の最大の問題は、そのままでは立体として見ることができないことです。 ステレオビューアーや立体眼鏡などの補助装置を使うか、訓練して裸眼立体視を修得する必要があります。 裸眼立体視は、道具を用意する必要がなく、人間の身体の不思議を体感することもできるので、お勧めの方法です。

これらの立体写真は、交差法でご覧ください。

ありがとう、30,000カウント

おかげさまで、30,000カウントを迎えることができました。
20,000カウントから、ちょうど1ヶ月というスピード記録です。
これからも、K-Hyodo's Blogをよろしくお願いします。

春の草花を立体視しよう

いやあ、春ですね。いろんな花が咲き乱れております。

今日は快晴、風もなく、春爛漫のぽかぽか陽気です。 こんな日は、写真撮影に限ります。 早速、外に出てみると、いやはや、気分爽快、そんなもんかい、そうかいそうかい、というわけで、春の陽気に頭のネジも緩みがちな今日この頃ですが、ひとたびカメラを構えたら、さっと気持ちが引き締まって、気合いを入れてバシバシ撮ってきましたよ。

裏山を登る道の途中の畑には、色とりどりの花が咲いていました。 花の名前はさっぱり駄目な私ですが、今年の私はひと味違います。 オオタさんの「断想日記プラスワン」を見れば、季節の花の名前はばっちりです。 上の可愛らしい青い花は「オオイヌノフグリ」で、下の赤い花は「ホトケノザ」ですね。

そして、春の花といえばやっぱり桜です。 裏山の頂上は「一本桜」といって、大きな桜の木が一本あるんです。 何という品種かはわかりませんが、他のソメイヨシノよりは一ヶ月ほど早く咲くんですよ。 この桜の木は、枝振りが本当に見事で、満開の桜にうっとりと見とれてしまいました。

一本桜の先には小さな駐車場があって、そこに綺麗な花が咲いていました。 ちょうど太陽の光がスポットライトのように当たって、息をのむほどの美しさです。 おまけに、とても良い匂いが辺りに満ちていて、とても幸せな気持ちになれたのでした。 うんうん、これは春の匂いだ。ぽわ〜ん。

下を見ると、上の花のものらしき花びらがいくつか落ちていました。 散る花もまた美しきものなり、と思いながら見ていると、そのうちの一枚が雑草達に三方を囲まれて、しっかりと守られているではありませんか。 なんだか、姫を守る近衛兵みたいで、そこはかとなく物語を感じますね。

これらの立体写真は、交差法でご覧ください。

人間性について語ってみよう

「今日のうちの猫、ときどきよその猫」のにゃほにゃほさんから、「人間性バトン」をいただきました。

1. バトンを回してくれた人の印象は

  • スヌーピーの着ぐるみを着て、若い女性とツーショット写真を撮るのが好きな人
  • まだ知り合って間もないわけですが、とにかく元気で勢いのある人です
  • その独特な語り口が何ともいとおかしでごじゃりまする〜

2. 周りから見た自分はどんな人

  • 一見近寄りがたいけど、話してみると案外いい人
  • でも、すぐに調子に乗るので、触らぬ神にたたりなし、と思うことがある
  • たまに小難しいことを言うので困ってしまうことも

3. 自分の好きな人間性を5つ挙げよ

  • 女性(苦手でもある)
  • 人のためにうきうきしながら料理を作ることができる人(ほんわかしますね)
  • 作った料理をうっかりひっくり返してしまった時に泣くことができる人(これ、本当に悲しいんです)
  • 「自分は駄目な人間だ」と言いながらも、少しずつコツコツと努力することができる人(素直に頑張れ!と言いたい)
  • 「マック食べたくない?」「いや、別に」という会話の後、家に帰ってから「実はマック食べたかった」という人(気づかなくてゴメンね〜)

4. 嫌いなタイプを5つ挙げよ

  • 真夜中にバイクのエンジンを無意味にふかす人(隣のマンションの住人)
  • 歩道を大勢で占拠して、人が通ろうとしても道をあけない人(大学周辺に多い)
  • 自分のセンスの良さを、さりげなさを装いながら全身でアピールする人(滑稽でもある)
  • 自分で何もせずに、他人の文句ばかり言う人(やってみて初めてわかることも多いのだよ、君)
  • あることないこと、むやみやたらにほめまくる人(かえって馬鹿にされたような気分になるのです)

5. 自分がこうありたいという理想像

  • 自分自身に正直な人
  • 自分を見て、こういう人もいるんだ、と安心してもらえる人
  • 自分が努力をすることで、誰かに力を分け与えることができる人

6. 自分を慕っている人に叫んでください

  • いつも慕ってくれて、どうもありがとう!!!
  • これからもよろしく〜!

7. そんな大好き5人にバトンを回してください

  • 果たして運がいいのか悪いのか、幸せを求めて日々努力を続ける、 「運がいいとか悪いとか」のcooさん
  • 大人顔負けの柔らか頭の高校生、いつかは裸の付き合いをしてみたい、 「365日坊主」の夢水さん
  • いつも笑顔でほんわかうきうき、野に咲く花のように可憐な、 「fairy cosmos」のmiyuさん
  • いつでもどこでもツイている、幸せいっぱい夢いっぱいの、 「∞ツキツキ日記∞」のみえこっちさん
  • 若いエネルギーの全てをバイクに注ぐ、熱き血潮のエクストリーマー、 「生業 X-TREME」のドラゴンさん

バトン、受け取ってくださいね。よろしくお願いします!

甘さ控えめチョコレートケーキ

ダイエットを始めてから初のケーキ作りは、チョコレートケーキです。

あれ、今日は写真が2枚もありますね。 もしかして、ダイエットのリバウンドでふたつも作ったの? いやいや、そうじゃありません。 実はこれ、立体写真なんですよ。 交差法で見ると、チョコレートケーキが立体になって見えるんです。 あんまり立体写真の派手さはありませんが、ケーキの質感を楽しんでいただけたらと思います。

さて、今日のチョコレートケーキは、いたってシンプルなココアパウダーを利用したものです。 前に作った時はチョコバナナケーキにしてしまったので、ちょっと順序が逆だったかな。 作り方は、基本的にチョコバナナケーキと同じです。 バナナがないぶん、2回炊飯でも十分に火が通っていました。

久しぶりのケーキ作りでしたが、やっぱりいいものですね。 仕事ばっかりだったり、本を読んだりばっかりだと、どうしても頭が固くなっていけません。 iKeyboardの開発も細かい作業を残すのみで、写真の勉強にもそろそろ飽きてきました。 そして、今日はとっても良い天気。 というわけで、これから買い物がてら、写真を撮りに行ってきますね。

素人と玄人の違いとは

素人と玄人、一体どこに違いがあるのでしょうか。

人は、自分が体験して得られた情報を元に、頭の中に世界のシミュレーション装置を作っていきます。 そして、このシミュレーション装置を使いなが’ら、世界とのコミュニケーションをとっていきます。 ここで、世界というのは、自分の外側と世界と内側の世界の両方を含みます。 つまり、目の前にあるご馳走も、お腹が減っているということも、同じ情報として扱われます。

食べることに素人な赤ちゃんは、口の中に入りそうなものは何でも口の中に入れようとします。 赤ちゃんのシミュレーション装置には食べ物に対する情報が不足していて、「口に入る大きさ」でしか食べ物を判断できないのです。 しかし、うまく噛めなかったり、親に注意されたりしているうちに、食べ物に対する情報が追加されていって、次第に食べ物の判定率が上がっていきます。

大人になって食べることの玄人になると、一目見ただけでそれが食べ物かどうかがわかるようになります。 野菜や動物は食べられます。それらを使って作った料理も食べられます。 でも、本物の料理と店頭の模型との区別はどうやってつけているのでしょうか。 加工されたお菓子などは、生前の面影はもはや全くなく、どうやって板チョコとプラスチック板とを見分けているのでしょうか。

見た目の形、質感、匂いなど、判定材料はいくつかありますが、もはやそうした直接的な情報だけでは判別は不可能です。 食材や料理の種類に関する知識はもちろんのこと、その食べ物らしきものを提供している場所、その相手が信用できるかどうかなど、様々な要因が絡んできます。 頭の中のシミュレーション装置は、「口に入る大きさ」のような単純な条件ではなく、膨大な量の計算をしていることになります。

料理作りでも、同じことです。 素人は、その料理を特徴付けているいくつかの要因を思い浮かべて、それらを達成できればとりあえず満足します。 小麦粉でふんわりとした甘いものができれば、ケーキ作りは成功です。 酸っぱいご飯に海苔を巻けば、立派な寿司の出来上がりです。 玄人は、素人よりもずっとケーキや寿司に対する条件が厳しくなります。

しかし、ここで「程度の問題」が出てきます。 食べることに素人な赤ちゃんは、玄人にならないと自分の生命維