たまには中華鍋で鉄分補給を

愛用していたIHクッキングプレートが壊れてしまいました。

うちのアパートは台所、便所、シャワー室が共同なので、いつでも自由に使えるというわけではありません。 特に台所は、飯時になると大変込み合うので、私はいつも自分の部屋で料理を作っています。 以前はカセットコンロを使っていたのですが、ガス代が馬鹿にならないので、IHクッキングプレートに変えたんです。 電気代は家賃込みなので、電気は使いたい放題なんですよ。

IHクッキングプレートは、焼き肉用プレートと鍋用プレートのふたつがついていて、どちらもチタンコートが施されています。 IHなので温度設定も簡単で、ホットケーキやお好み焼きも、実に綺麗に焼けるんですね。 付属のプレート以外でも、IH対応のやかんや鍋でも使えることに気がついてからは、お湯を沸かしたり蒸し器を使ったりと、さらに重宝して使っていました。

そのIHクッキングプレートが壊れてしまっては、煮ることも焼くことも、湧かすことも蒸すこともできなくなってしまいます。 急遽、オークションで同型のものを落札しましたが、それが届くまでの間、カセットコンロでしのがなければなりません。 仕方なく、カセットボンベを買って、埃をかぶった中華鍋を引っ張り出したのでした。

久しぶりに、ガスの炎で中華鍋を振るったわけですが、これが思いのほか気持ちいいんですよ。 油をたっぷり馴染ませて、湯気が出るまで中華鍋を熱してから、刻んだニンニクを入れ、続いて挽肉を炒めます。 挽肉の色が変わったら、刻んだネギとシイタケを放り込み、続いてモヤシを投入します。 味付けをしながら鍋を振るうと、具が綺麗にひっくり返ります。 そうして出来上がった頃には、部屋中に煙が充満しているのでした。

もちろん、部屋の窓は全開にしているわけですが、それだけ煙がすごいんですね。 ガスの炎と中華鍋の重みで、額にはうっすらと汗がにじんでいます。 そして、できたてアツアツのモヤシ炒めをガツガツと食べると、さらに汗がダラダラと出てきます。 もう、作るのも必死なら、食べるのも必死です。 でも、どういうわけか、元気がモリモリと湧いてくるんですよ。

IHクッキングプレートも便利なんですが、たまには中華鍋を振るってみるのも悪くないな。 そう思った夕飯時でした。

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PhotoMaster 1.5 完成目前!

デジカメ写真管理ソフト、PhotoMaster 1.5 の開発が、最後の追い込みに入ってきています。

今回のバージョンアップでは、Windows対応が一番の売りなわけですが、ご覧の通り、順調に仕上がってきています。 外部アプリケーションの起動がまだサポートされていませんが、それ以外は、今のところ問題なく動作しているようです。 開発環境であるREALbasicは、理屈の上ではMacとWindowsと同一のコードで動くことになっていますが、やっぱり細かいところの動作に違いが出てくるので、その修正が結構大変なんですよ。

今回のバージョンアップでは、機能の追加はほとんど行っていませんが、動作の最適化や操作性の向上など、細かい部分を徹底的にチューニングしています。 写真の選択方法が改良され、コンテクストメニューも強化されました。 また、メモリの効率化も図られていて、印刷時のパフォーマンスも向上しています。 現在、PhotoMasterをお使いの方は、きっとその「小さな変化」の良さを実感していただけるのではと思います。

今後の予定ですが、今月中に一通りの作業を終えて、来月の上旬にベータテストを行い、中旬には公開したいと思っています。 クリスマスから年末年始にかけて、たくさん写真を撮って、PhotoMasterでどんどん写真管理をしてくださいね!

PhotoMaster Web Page
PhotoMasterのダウンロード

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大根の葉で癒されるのは

それは、ほんの気まぐれだったんです。

今から2週間ほど前に、近所の八百屋で大根を買いました。 それなりに太くて大きいのが、たったの50円だったんです。 早速、鰹節で出汁をとり、輪切りにした大根をほんのり醤油味で煮込んで、その日の夕飯のおかずにしたわけですが、ふと見ると、10cmほどの長さに切りそろえられた大根の葉が、居心地悪そうに転がっていました。

いつもなら、さっさと生ゴミとして処理されるわけですが、この大根の葉は、不器用に転がりながら何かを訴えかけてきます。 すぐ横には、将来を約束したはずのフタをなくしたタッパーが、本来の役割を終えてクズ入れとして余生を送っていました。 そうです。二人は予期せず運命の出会いを果たしのです。

それ以来、大根の葉は、水を得た魚のように、いや、水を得た大根の葉となって、葉緑素の鮮やかな緑色を取り戻し、すくすくと育っていきました。 今では背丈も20cm近くなり、もはや八百屋に並んでいた時の面影はなく、立派な大根の葉へと成長しました。 一人前の大根の葉となった今では、もう誰も野菜クズと呼ぶ人はいないでしょう。

台所の片隅で静かに繰り広げられた小さなドラマは、私にちょっとした変化をもたらしました。 大根の葉に水を与えるという、ほんのわずかな変化を。 水をやると言っても、水道の蛇口をひねってやるわけではありません。 食器を洗った後の、食器にわずかに残った水や、飲み残したお茶などを、ちょっとずつ与えてやるのです。

果たして、飲み残したお茶が大根の葉に良いのかどうかは知りませんが、今のところは問題ないようです。 このように、いい加減な関係ではありますが、自分でもうんざりするほど殺風景な部屋の中で、唯一、みずみずしく緑色に光る大根の葉を眺めていると、どことなく癒されたような気分になるのです。

それは、大根の葉の生命力によるものなのか、それとも、ちょっとしたドラマの影響を受けたからなのか。 もしかしたら、適当でいい加減な居心地の良さによるものなのかもしれません。

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見たまま写真を撮ろう

ありがたいことに、私の写真を気に入ってくださっている人達がいます。

私の写真に魅力があるとしたら、それは「見たままに撮る」ことを心がけているからだと思っています。 見たままを撮ると言っても、写真の原理上、全く見た目通りに撮ることはできません。 ただ、できるだけ見た目に近づけるよう、努力することはできます。

見たまま写真の判定基準は、ずばり「違和感がないこと」です。 その写真を見た時に、まるでそこに立っているかのような気分になれば、それはもう立派な見たまま写真です。 それでは、違和感のない見たまま写真を撮るためには、一体どうすれば良いのでしょうか。 それは、人の目の仕組みを良く理解することです。

まず、目は優秀なAE、つまり自動露出を備えています。 人の目は、ただそこを見るだけで、自動的に明るさを調節してくれます。 ところが、人の目と比べると写真は記録できる光の範囲が狭いので、必ずしも見た目通りに写るとは限らないのです。 そのため、「どこに注目しているのか」ということを常に意識して、露出を決める必要があります。

次に構図ですが、実は人の視力というのは、中心部に限られているんです。 例えば、視力が1.5あったとしても、それは中心部の1m先の10円玉くらいの範囲だけで、周辺に行くほどどんどんぼやけていきます。 それでは、どうやって全体像を見るのかというと、目線を小刻みに動かしながら、脳内で全体像を作り上げているわけですね。

ものを見るには、まずは首を動かして正面を向きます。 次に、目をギョロギョロと動かして、じっくりと観察します。 そして、その魅力がわかってくると、目の動きは次第に小さくなって、その部分をじっと見つめるようになります。 これは、カメラのズームと同じですね。 広がりを持たせたいのか、観察する楽しみを与えたいのか、その魅力を伝えたいのかを、その画角によって表現するわけです。

最後は、絞り値です。 絞り値は、数値の少ないほうがピントの合う範囲が狭くなり、ボケやすくなります。 好んでボケた写真を撮る人がいますが、見たまま写真ではあまり好ましくありません。 というのも、人の目はそこまでボケるようにできていないからです。 ボケた写真は美しいものですが、その美しさは不自然さと表裏一体の危うい美しさなんです。

写真には、他にもAFやWB、シャッター速度などの要素がありますが、これらはカメラ任せでもまあ大丈夫でしょう。 あと注意すべき点は、彩度やコントラストを上げ過ぎないことでしょうか。 これらを上げると見栄えの良い写真になりますが、撮れた写真と実物を見比べると、それがいかに不自然であるか、すぐにわかるでしょう。

皆さんも、ぜひ「見たまま写真」に挑戦してみてください!

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ちょっと平等院まで散歩の旅

親戚のうちから、歩いて1時間ほどで、平等院に行けてしまうんですよ。

京都に住んでいた頃は、親戚の家、名木、神明と3ヶ所に住んでいたんですが、神明からだと20分ほど歩くだけで、平等院まで行けたんですよ。 自転車で遊びにきたり、家族で買い物に出かけたり、お祭りがあったりと、いろいろと思い出のある場所です。 当時の宇治橋は朱色だったんですが、架け替えられて昔の姿に再現されたんだとか。

平等院の参道には、たくさんのお店が並んでいます。 やはりお茶屋さんが多くて、中には、ほうじ茶の実演販売をしているところもあります。 この機械がまた歴史を感じさせるもので、そこから漂うほうじ茶の香りを胸いっぱいに吸い込むと、とても幸せな気分になります。

平等院の入り口は、紅葉がとても綺麗でした。 ただ、まだ十分に色が変わっていなくて、緑の葉も多く見られました。 真っ赤に染まった紅葉も好きですが、色の変わり始めの微妙なグラデーションが、何とも美しかったです。 どのような状態であれ、そこに美を感じてしまうのは、京都という土地が成せる技でしょうか。

地元の人は、参拝料を払ってまで平等院には入りません。 宇治川沿いの道を通って、外から眺めるんですね。 中学生の頃、塾をサボってライトアップされた平等院をよく見に行ったものです。 宇治川には、塔の島と呼ばれる中州があって、そこには十三重塔があります。

こうして見てみると、実に雅な中学生生活を送っていたんですね。

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お茶の香りは思春期の香り

京都の宇治には、ちょうど10年間住んでいました。

宇治と言えばお茶の産地で有名ですが、あちこちに茶畑や製茶場が並んでいます。 この道は中学校へ行く通学路で、爽やかなお茶の香りを嗅ぎながら通り過ぎたものです。 今でも、商店街を歩いている時などにお茶の香りを嗅ぐと、とても懐かしくなって、ついつい足を止めてしまいます。

クラブ活動で帰りが遅くなると、帰る方向の同じだった女子の先輩と良く一緒に帰ったものです。 高校が男子校だった私にとって、中学時代というのは、甘酸っぱい記憶を残した、貴重な時代でもあったりします。 その先輩は才色兼備で憧れの存在でしたが、今ではどうしているのでしょうか。

通学路とは別に、駅へと続く細い路地に入ると、さらにお茶の香りが強くなります。 京都の道は細く入り組んでいると良く言われますが、この辺りも細く曲がりくねった道がたくさんあります。 この路地にも製茶場が並んでいるのですが、時期が悪かったのか、あのむせ返るようなお茶の香りを嗅ぐことはできませんでした。

道幅はさらに狭くなり、二人で並んで歩くのもしんどいくらいです。 そんな細い路地にも、こんな風情のあるお茶屋さんがあったりします。 辺りの静けさや寂れ具合は当時と変わりはなく、時の流れを忘れさせるような魅力が、この路地にはあります。

写真にお茶の香りや思い出が写ることはありませんが、写真を通してそれらの記憶が鮮明によみがえってきます。

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貝殻と集団登校の記憶のかけら

昨日は予期せず京都の親戚の家に一泊したわけですが、時間があったので近所を散歩してきました。

実は、小学生の一時期、この親戚の家に住まわせてもらっていたんです。 で、近くにある公園、通称「かいがら公園」に児童が集まって、そこから班ごとに集団登校をしていました。 京都の冬は寒く、公園の芝に降りた霜をパリパリと踏みつぶしたり、しもやけの手をこすったりしたのを良く覚えています。

登校だけでなく、放課後や休みの日も、かいがら公園でよく遊んだものです。 奥の方には木の作り物があるのですが、この木の上に登ることが憧れでした。 今の私の身長とほぼ同じ高さなんですが、当時の私の2倍近い高さです。 高学年の人達の手助けを借りて登った時は、足がすくむほど高かったんですよ。

中央の貝殻は、複雑な迷路になっています。 当時は全身ピンク色だったんですが、今はお洒落な青とピンクのツートンになっています。 木の上に登ることができなかった私でも、この貝殻の頂上に登ることはできました。 そこから一望する公園の眺めはとても素晴らしく、気持ちの良いものでした。

貝殻の内部は、その色といい、形といい、まるで内臓のようです。 当時はすばしっこく猿のように走り回っていたものでしたが、今ではつっかえて通り抜けることさえできませんでした。 兄や友達から石を投げられて、貝殻内部に逃げ込んだという苦い思い出もあったりします。

というわけで、皆さんには期待はずれの京都写真でしたが、私にとっては最も思い出深い、かいがら公園でした。

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モブログにてご連絡

ただいま!と言いたいところですが、実は今、京都にいます。

予定では、名古屋から大阪、大阪から鹿児島へとバスを乗り継いで、今朝には鹿児島に着いていたはずなんです。ところが、大阪の手前で事故があって、高速道路が通行止めになり、見事に鹿児島行きのバスに乗り損ねてしまったんですね。結局、大阪に着いたのは、3時間遅れで、バスが出た1時間半後でした。

バスの中からバス会社に連絡して、とりあえずその日の分をキャンセルしてもらったんですが、チケットには連絡先が書いてないし、携帯電話のバッテリーは切れそうになるしで、どうなることかと冷汗タラタラでした。でもまあ、なんとか無事に切り抜けてホッと胸を撫で下ろしたのでした。

それから京都の親戚に連絡して、一晩泊めてもらうことにしました。小学生の頃、2年ほどお世話になっていたことがあったので、半分実家みたいなものです。近所の町並みも懐かしく、偶然の再訪を嬉しく思いました。幸い、今夜のバスがとれたので、今日はのんびりとこの懐かしい場所を歩こうかと思います。

というわけで、皆さんも交通事故にはくれぐれも気をつけてくださいね!

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A1 RAW 大放出!

突然ですが、22日までブログの更新をお休みします。

というわけですので、それまでの間、A1 RAWの画像をお楽しみくださいませ。

ファームウェアを1.13jにしたことで、ライブビューの表示が改善され、ずいぶん露出を合わせやすくなりました。

RAWでも現像時にいちいちパラメータをいじるのは面倒なので、撮影時にできる限り正確に露出を合わせます。

RAWで撮ると、色の純度が上がり、光が生き生きとしてくるので、写真を見るのが楽しみになります。

直射日光が当たって眩しいところでも、しっかりと色が乗ってくれるのが嬉しいですね。

ただ、うちの環境だと、RAWの現像に1枚あたり20秒ほどかかってしまうのが辛いところです。

それでは、来週の更新をお楽しみに!

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A1のRAWで頑張ろう

先日、A1のファームウェア「1.13j」が公開されました。

実は、手持ちの2GB MDではアップデートができず、高速タイプの1GB CFを新たに購入することで、何とかアップデートすることができました。 すると、公表されているメモリーカードの高速化以外にも、ライブビューやAWBの改善が見られ、ますますA1が好きになりました。

せっかく高速タイプのCFを手に入れたので、少しだけRAWを試してみることにしました。 実は、D7UGでもRAWを試したことがあったのですが、一枚撮るごとに30秒近く待たされたり、現像に時間がかかる割にはJPEGとほとんど見分けがつかなかったりで、RAWは見送ることにしたのでした。

A1でもどうせ大して変わらないだろう、そう思いながら現像してみて、ぶったまげました。 な、なんだ、この違いは…。 ファームアップでAWBがわずかに向上したのとは比較にならないくらい、劇的に色が良くなりました。 単独で見るぶんには、JPEGでも十分に綺麗なのですが、RAWはまるで一眼レフになったかのような高画質ぶりです。

写真は、左がJPEG、右がRAWです。 どちらもAWBで、現像はDiMAGE Viewerの撮影時設定です。 A1はRAWでもサクサクと撮れるのがいいですね。 今までずっとJPEGでしたが、これからはしばらくRAWで撮ってみようと思います。

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邪鬼に込められた想い

照国神社の邪鬼は、私の一番好きな石像です。

出会いは、全くの偶然でした。 初めて奥へと続く道を見つけて、興味本位で奥へと進んでいった時は、突如として現れた邪鬼の姿に心底驚きました。 予想外の出来事だったということもありますが、その姿があまりに生々しかったことのほうが大きかったように思います。 来てはいけないところに来てしまったのではないか、と不安を感じたのを良く覚えています。

邪鬼は、じっとしゃがんだまま、頭に乗せられた石盤を支え続けています。 これは、邪悪な存在である邪鬼を頭から押さえ込むことで、魔除けの働きをしているのではないでしょうか。 私は、この左奥にある水宮を守るために作られたのだと思っていましたが、邪鬼の後ろにご神体を避難させた奉遷壕跡があることから、戦火からご神体を守るために作られたものかもしれません。

この邪鬼が魔除けだとしても、その表情を見ていると、どうしても邪悪なものには見えないんですよね。 生まれながらにして背負わされた重荷が何かはわからなくても、それを自分の運命と受け止めて、ただひたすらに支え続けている、そういう悟ったような表情に見えるのです。

邪鬼の顔には哀しみが滲み出ていますが、その口は堅く結ばれ、弁解することを頑に拒んでいます。

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照国神社の裏側に

照国神社は、鹿児島で最も参拝客の多い神社だといわれています。

照国神社は、日本近代化の第一人者にして明治維新の陰の功労者でもある島津斉彬を祀っている神社で、鹿児島一の繁華街、天文館にあり、国道3号線と10号線と225号線の出発地点でもあります。 そういうわけで、参拝にきたことのある人も多いのではないかと思いますが、ほとんどの人は参拝を済ませた後はさっと帰ってしまっているのではないでしょうか。

拝殿の向かって左側には、照国稲荷と呼ばれる小さなお社があります。 実は、その照国稲荷から、さらに奥へと進む小道があるんですね。 うっそうと木が生い茂り、脇には小川が流れ、しんとした空気が辺りに漂います。 神社が神様の場所だということを、ひしひしと感じます。

奥に進むと、道が二つに分かれ、その分かれ目に邪鬼がうずくまっています。 この邪鬼は、私が石像好きになった、記念すべき石像でもあります。 小川の先には水源地があるということで、左側には水宮があり、水の神様が祀られています。 右側には、戦時中に照国神社のご神体が避難した場所があり、記念碑が建てられています。

有名な照国神社にも、裏側には隠された歴史があるんですね。

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写真の意味

写真を撮る目的は人それぞれですが、ひとつだけ、動かしようのない事実があります。

それは、「そこにある光景を記録して、それを誰かに見せること」です。 何を撮るか、どうやって撮るか、撮った写真を誰に見せるかは、その目的によって大きく変わってきます。 思い通りに撮れないことがあるかもしれませんが、すべての写真は、自分を含めた誰かに見てもらうために生まれてくるのです。

プロの写真家であれば、顧客が望む写真を撮らなければなりませんが、そうでなければ、普通は自分が見たい写真を撮るものです。 つまり、写真というのは自分自身を写しているようなものなんですね。 いや、自分という人間が撮影している以上、それは宿命と言ってもいいでしょう。

でも、一枚の写真がその人のすべてを表しているわけではありません。 そして、一枚の写真で、その時の気持ちをすべて表現できるわけでもありません。 よく、写真好きの人が、「君は一体何を表現したいのかね?」と問いかけますが、それは気持ちをより正確に伝えるためではありません。 「写真に込められる気持ちには限りがあるから、どうしても伝えたいことだけに絞り込んでから撮りなさい」ということなんです。

その証拠に、そういう人達は、気持ちのどれかひとつだけを選択するように迫ります。 確かに、そうすることで、写真はずっとわかりやすくなります。 でも、人の心というのは、そんな単純なものではありません。 意識できるものもいくつかありますが、何やら得体の知れないものが奥の方でたくさんうごめいている。 それが人の心というものです。

目の前には美味しそうな料理が並んでいます。 でも、もしその中から一番美味しいものしか食べられないとしたら、それがどんなに美味しくても、物足りなく思うでしょう。 だからといって、無理して食べ過ぎてしまったら、お腹を壊してしまって美味しい料理が台無しになります。 腹八分目で、満足するだけいただいたら、残りはラップをして次に残しておくのが、賢い食べ方というものです。

ちなみに、いくらお腹が空いているからといって、他人の料理に手を出してはいけません。 いくら珍味でも、保護された動物を食べるのも良くありません。 出された料理にあれこれ口を出すのも、あまり気分の良いものではありません。 テーブルマナーには、気をつけたいものですね。

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撮影の意味

この写真は、去年の冬に駅前で撮ったものです。

ちょうどイベントが行われていて、ステージの上ではダンサーが踊っていました。 ダンスの心得があるのか、観客であるはずの女の子も、一緒になって踊っていました。 その踊りが上手だったので、こっそりと何枚か撮らせてもらいました。

前回のお婆さんは撮らなかったのに、どうしてこの女の子は撮ったのでしょう。 それは、駅前という人の多く集まる場所だということと、この女の子が人目につく行動をしていたからです。 女の子は、見てもらうために踊ったか、少なくとも見られることを気にしてはいなかったはずです。 それで、こちらも気兼ねなく撮れたというわけです。

それでは、ステージで踊るダンサーを見て感心しているおじさんの場合はどうでしょうか。 たくさんの観客がいるわけですから、顔を見られても構わないはずです。 でも、そのおじさんは、ダンサーに感心しているからそういう顔をしただけで、見られるためにそういう顔をしたわけではありません。 むしろ、ダンサーに集中して無防備になっている表情を見られてしまうのは、恥ずかしいことのはずです。

実は、そのおじさんの写真も撮ったんです。 すると、おじさんは撮られたことに気づき、戸惑った顔でこちらをチラリと見ました。 慌てて軽く礼をしましたが、おじさんは戸惑った顔のまま、おばさんをつれて去っていきました。 私は、写真を撮ることで、おじさんのダンス鑑賞を邪魔してしまったのです。 おじさんには、とても申し訳ないことをしてしまいました。

昔住んでいた場所を久々に訪れた時、こんな体験をしました。 懐かしさに胸をときめかせながらカメラを持って歩いていると、玄関を掃除するおばさん達の鋭い目線を感じました。 そのうち、一人のおばさんに話しかけられたのですが、「最近この辺りで放火が相次いでて、不審者に敏感になっているから、注意した方がいいですよ」ということでした。 住宅地をカメラを持って一人で歩いているのは、充分に不審者の資格あり、というわけです。

実際、公園から延びる道の先にある夕日を撮っていたら、たまたま前を通り過ぎた親子から警戒の眼差しを浴びたこともあります。 不審者かどうかはともかく、撮影という行為が好ましくない場合があることは確かなようです。 ここで、改めて前回のお婆さんについて考えると、自宅の庭先で、孫と共にバスを見送っている姿というのは、明らかにプライベートな世界なんですね。 それを、たまたま通りがかった見ず知らずの人間が、許可もなく写真を撮るということは、もう完全に失礼な行為なわけです。

もちろん、事後承諾でうまくいく場合もあるわけですが、私はそこまでして写真を撮ろうとは思わないのです。

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笑顔の意味

先日、カメラを持って散歩をしていた時の話です。

ぶらぶらと歩いていると、民家の庭先にお婆さんが立っていました。 しばらくすると、向こうから幼稚園の送迎バスがやってきて、お孫さんが降りてきました。 お婆さんは満面の笑みで、お孫さんはなんだか良くわからない顔をしながら、バスに手を振って見送っていました。 私は、いい光景だな、とは思いましたが、カメラを向けようとは思いませんでした。

その場を通り過ぎながら、どうして絶好のシャッターチャンスを見送ったのか、疑問に思いました。 確かに、撮っていれば素晴らしい写真になっていたでしょう。 でも、それは「やってはいけないことだ」と、頭のどこかが警告を発しているのです。 撮った後に、果たしてお婆さんに笑顔が残っているのか、と。

例えば、恋人とのデートを楽しんでいる時、それはもう最高の笑顔をしていることでしょう。 でも、デートの最中に知らない人がカメラを向けてきたら、私ならきっと嫌な顔をするでしょう。 その笑顔が撮影者とのやり取りの中で生まれたものなら、自信を持って撮ることができますが、そうでないところで生まれた笑顔なら、そのままそっとしてあげたいと思うのです。

そんなことを考えながら歩いていると、壁から突き出たパイプを見つけました。 壁のそそり立ち具合や、いかにも後から付け足しましたというパイプの不器用さ加減、壁に染み付いたシミに、側溝の網の絶妙な位置。 それが何を意味するかはわかりませんが、私はすっかり嬉しくなって、夢中でシャッターを切りました。 満面の笑みを浮かべている私を見て、首を傾げる人がいるかもしれませんが。

そして、はっと気がつきました。 笑顔は、撮るものじゃなくて、するものなんだ、と。 もちろん、人の笑顔を撮ることで笑顔になる人もいることでしょう。 私は、自分が笑顔になるような写真を撮りたいと思いました。 そして、笑顔のお裾分けができれば、さらに笑顔になることでしょう。

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秋の夕暮れの静けさ

すっかり日の暮れるのが早くなりましたね。

太陽がずいぶんと低空飛行をするようになったおかげで、夕方の3時にもなると、すっかり影が長く伸びてしまっています。 肌を焦がした日差しもすっかり年老いて、ずいぶんと弱々しいものになっています。 そのせいか、木々達はどことなく妖気を漂わせながら、ひそひそ話をしています。

人間が捨てていったビニール傘を、壁を這う蔦が取り込もうとしています。 日が暮れて夜になれば、唐傘お化けならぬビニール傘お化けに変化するのでしょうか。 もしかしたら、もったいないお化けかもしれません。 その証拠に、何もないはずの壁から妙に強い視線を感じます。

誰もいない空き家の庭の柿の木に、食べられることのない柿がたくさん実っています。 食べられるはずのない柿の実なのに、数が少ないように思えるのは、ここに住む彼らの仕業でしょうか。 誰もいないはずの曲がり角に、人の気配がしてしまうのも、やはり彼らの仕業なのでしょうか。

秋の夕暮れの静けさは、ひっそりと心の中に入り込んできます。

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世界の再構築

人は、様々なことに感動して、それを伝えようとします。

感動を伝えるには、二通りの方法があります。 ひとつは、相手にも同じ体験をしてもらうことです。 そして、もうひとつは、自分がどう感動したのかを詳しく説明することです。 どちらにしても、「感動しているんだろうな」ということは、その様子から簡単に伝わりますが、感動の具体的な内容については、なかなかうまく伝わりません。

同じ体験をしても同じ感動を味わえないのは、人によって興味の方向が違うからです。 例えば、空を飛びたいと願っている人なら、スカイダイビングは素晴らしい感動を与えてくれますが、高所恐怖症の人には地獄の苦しみがもたらされます。 高所恐怖症でなくても、その時の天候や体調などのちょっとした違いによって、感動の度合いが大きく左右されてしまいます。

自分がどう感動したのかを説明するには、表現力が問われます。 ただ「感動した」と連呼しているだけでは何も伝わりませんし、「怖かった」「気持ち良かった」だけではさっぱり要領を得ません。 「ものすごく高くて怖かった」「風が気持ち良かった」でも、ふ〜んで終わってしまいます。

それでは、どうすれば感動を伝えることができるのでしょうか。 同じ体験でうまく伝わらないのは、そこに感動だけでなく、あらゆる要素が含まれているからです。 自分の体験談でうまく伝わらないのは、自分の感情ばかりで、何がその感情を引き起こしたのかを把握できていないからです。 つまり、感動のきっかけとなった出来事を選び出し、それらを使って体験を組み立て直して、それを相手に体験させれば良いのです。

それは、世界を自分の視点で再構築して、自分だけの世界を作り上げることです。 そして、感動を伝えるということは、自分の世界に相手を招待することなんですね。 ですから、感動を伝えるためには、失礼のないように、もてなしの心で相手に接する必要があります。 それさえ忘れなければ、きっと相手は喜んでくれることでしょう。

あなたの中には、どんな素晴らしい世界が広がっているのでしょうか。

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正規分布の正体

正規分布のグラフを見たことがありますか?

正規分布のグラフは、平均値を中心とした、山の形をしています。 身体測定の結果をグラフにすると、身長も体重も、どれも正規分布に近い形になります。 体重の最小値が40kg、平均値が50kg、最大値が60kgだとすると、40kgの人は数人しかいませんが、45kgになると10人ほどに増え、50kgでは20人にまで増えます。 でも、55kgになるとまた10人ほどに減って、60kgになるとまた数人になってしまいます。

もし、1年後にもう一度測定を行ったとしたらどうなるでしょうか。 成長期の子供達が対象であれば、最小値、平均値、最大値がそれぞれ5kgずつくらい上がっているかもしれませんが、やっぱりグラフの形は正規分布になります。 では、前回の測定で最小値だった人が今回も最小値なのかというと、そうとは限りません。 甘いものを食べ過ぎたりして、体重が増えている場合もあります。 最大値だった人も、ダイエットをしたりして、体重が減っていることもあるのです。 もちろん、平均値だった人だって、常に平均値でいられるわけではありません。

でも、前回の測定で最小値だった人が、今回も最小値になるとは限りません。 成長期に入ったり、失恋してヤケ食いしたりして、体重が増えることがあるからです。 逆に、前回最大値だった人も、病気になったり、ダイエットをしたりして、体重が減ることだってあるでしょう。 もちろん、平均値だった人だって、体重が変化することは充分にあり得ることなのです。

また、どんなに痩せようとしても、太ろうとしても、どうしても限度があります。 どんなにダイエットしても体重を0kgにするわけにはいきませんし、無理して食べたって200kgを超すことはそうできることではありません。 普通に生活していれば、身長や骨格に合った適切な体重に落ち着くものであり、それが平均値になるというわけです。

痩せていることを気にしているからといって、200kgになりたいわけではありません。 太り過ぎを気にしてダイエットをしている人も、30kgになることを目指しているわけではありません。 どちらも、理想的な平均値に近づくことを望んでいるのです。 すでに平均値に近い人は、その体型を維持することを目標にしています。

タイピングだって、体重と同じなんですよね。 入力が遅いとストレスがたまりますが、とても速い入力をするためには相当な集中力が必要になります。 ストレスを感じることなく快適に入力したいし、できれば無理せずのびのびと入力したい。 どこかに、タイピングの理想的な平均値があるはずなんですね。

iKeyboardでは、それを話す速さの1.5〜2倍程度であると考えています。 内容にもよりますが、普通は文章を考えるのに一番時間がかかります。 そして、考えた内容を手紙に書くよりも、電話で話した方が速く伝えることができます。 もし、電話よりもメールの方が速く伝えることができるとしたら、それは素晴らしいことです。 書くよりも話す方が1.5〜2倍ほど速いので、タイピングも話す速さの1.5〜2倍ほど速ければ十分だというわけです。

ただ速く入力するだけの時代はもう終わりました。 これからは、iKeyboardで快適にタイピングできるように頑張りましょう!

iKeyboard Web Page
iKeyboardのダウンロード

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酒船石の涙

今から半年ほど前の4月28日に、奈良の飛鳥に行きました。

小さい頃に遠足で行ったことがあり、その後にも家族で行ったことがあったので、久しぶりの飛鳥はとても懐かしいものでした。 飛鳥というと、謎めいた多くの遺跡があることで有名ですが、中でも酒船石が私の大のお気に入りです。 石に彫られた意味ありげな溝の数々も魅力的ですが、手塚治虫の漫画「三つ目が通る」に出てきたからというのも大きかったりします。

さて、この日は小学生や高校生などの遠足が重なっていて、飛鳥はとても賑やかでした。 子供達の無邪気な様子は見ているだけでとても楽しく、こちらまで遠足気分になってきます。 「鬼の雪隠」では、私が写真を撮ろうとすると、子供達がさっとよけてくれて、とても感心しました。 一方、「鬼の俎板」では、写真係の先生に挨拶しても知らん顔で、ちょっと驚きました。

飛鳥の伝説で一番印象に残っているのが、この「亀石」の伝説です。 昔、亀石のある川原と湖の対岸にある当麻とで争いが起こりました。 争いは当麻の勝利に終わりましたが、湖のたくさんの亀が犠牲になり、後にその亀の供養のために亀石が作られました。 現在、亀石は南西を向いていますが、当麻のある西の方向を睨みつけたとき、飛鳥は泥沼に変わるだろうということです。 怖い話ですね。

亀石の伝説で古代へのロマンは一気に高まり、次はいよいよ憧れの酒船石です。 酒船石は、通りを少し入った竹林の中にあります。 竹林の中は涼しく、石段を上るごとに、胸も高まっていきます。 酒船石に近づくにつれて、子供達の賑やかな声と、先生の説明する声が聞こえてきます。 そして、竹林の切れ目から見たものは…。

一瞬、自分の目を疑いました。 そして、猛烈に腹が立ちました。 子供達の手本となるべき先生が、子供達の目の前で、貴重な文化財である酒船石の上に土足で上がっているのです。 よっぽど怒鳴りつけてやろうかと思いましたが、楽しそうにしている子供達の手前、何とか思いとどまりました。 説明を続けている間、ずっと睨みつけていましたが、彼は何食わぬ顔で去っていきました。

静けさが戻るとともに、言いようのない悲しみがやってきました。 ずっと楽しみにしていただけに、心の中を土足で踏みにじられたような気分でした。 ふと周りを見渡すと、辺りの竹にはたくさんの落書きがありました。 私は、慰めるように酒船石の写真を撮りましたが、酒船石は悲しそうな顔にいっぱいの涙を浮かべていました。

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道の交わるところ

目の前には遮断機のない踏切があります。さて、あなたはどうしますか?

何者をも恐れぬ勇者は、堂々とした足取りで踏切を渡っていきます。 突如警報機が鳴り響き、電車がこちらに迫ってきます。 勇者はたじろぐことなく、猛然と電車に立ち向かっていきます。 そして、あっという間に電車にひかれてしまいます。

信念を貫く信者は、常に自分の進むべき道を見据えながら歩いています。 踏切の警報機が鳴ろうが、電車が迫ろうが、脇目もふらずに歩いていきます。 運良く電車にひかれずに済んだとしたら、それは自分の信念が強かったから。 運悪く電車にひかれてしまったら、それは自分の信念が足りなかったから、というわけです。

自分に自信の持てない愚者は、いつも不安に怯えています。 踏切にさしかかると、いつ来るかわからない電車を恐れて、なかなか足を前に踏み出せません。 警報機が鳴ると、驚くほどの俊敏さで来た道を引き返し、耳を塞ぎ、体を強ばらせながら、電車が通り過ぎるのをじっと我慢します。 そして、電車が通り過ぎると、もう二度と踏み切りには近づかないことを誓うのです。

迷うことのない賢者は、観察を怠らず、冷静な判断に努めています。 踏切を渡る前には左右を確認してから渡り始めます。 賢者は、電車にひかれると死んでしまうことも、電車はレールの上しか走れないことも知っているので、警報機が鳴っても焦らず、レールから離れて電車をやり過ごします。 そして、もう一度安全を確認してから、再び歩き出します。

賢者の振る舞いが適切であることはいうまでもありませんが、こうして比べてみると、面白いことがわかります。 それは、勇者や信者、愚者は、電車を敵あるいは邪魔者と見なしていますが、賢者だけは電車の存在をあるがままに認めているということです。 つまり、相手を理解することこそが、共存への道だというわけです。

物事がうまくいかない時は、頭から相手の存在を否定しようとしているからでしょうね。 全く同じことを体験しても、その解釈の仕方次第で、結末が驚くほど変わってきます。 自分の解釈が現実に合っているのかどうか、注意を怠らないようにしたいものです。

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秋を感じにちょっとそこまで

秋らしい写真を撮りたいな、ということで、お昼に散歩してきました。

今日は朝から見事な秋晴れで、写真が撮りたいなぁとウズウズしていたのです。 爽やかな青空を撮りたいのなら、10〜12時あたりが一番オススメです。 それより早いと青白くなり、午後を回ると黄色っぽくなっちゃうんですね。 というわけで、一番オイシイ11時から出かけたわけですが、青空の爽やかさに反して暑いのなんの。 予想以上の日差しの強さに驚いてしまいました。

近所の小さな川沿いに歩いて行くと、ススキがいい感じになっていました。 彼岸花は夏の終わりという感じでしたが、ススキを見ると、秋になったんだなぁと思います。 ススキというと、夕日を浴びて黄金色に輝く姿を連想しますが、真っ昼間のススキというのもいいものですね。 のんきにひなたぼっこをしているようです。

ススキというと枯れた味わいがあるわけですが、青々と茂っていた雑草達も、ススキに負けじとすっかり枯れた姿になっていました。 こういう辺り一面の枯れ色は、秋を通り越して冬のイメージですね。 ちょっと寒々とした印象を受けますが、相変わらず日差しは強く、顔はジリジリと焼け、背中は汗ばんでいます。

木々もすっかり葉が落ちてツルツルの丸坊主になったのもあれば、青々と葉を茂らせたまま、豊かに実をつけているのもあります。 さっぱりと葉を落とすのも潔くて気持ちがいいし、豊かな実りも嬉しいものです。 木にもそれぞれ自分の生き方とというのがあるということなんでしょうね。

帰り際に、ふといい香りがしてきました。 そうです、キンモクセイの香りです。 残念なことに、本物よりもトイレの芳香剤を先に知ってしまったので、初めて本物の匂いを嗅いだときはどうもトイレっぽくて好きになれなかったのですが、最近はようやく本物の良さがわかってきました。 匂いはしませんでしたが、色鮮やかな花々も目に心地よかったです。

果たして秋を感じられたかというとちょっと微妙ですが、散歩としては十分に楽しむことができました。 あなたも、ちょっとそこまで、秋を感じに出かけてみませんか?

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