インターフェイスというのは、人と人とを結ぶものなのです。
「直感的で分かりやすいインターフェイス」パソコンのソフトや電子機器のレビューなどで良く使われる言い回しです。
メニューは整理され、目的の項目が探しやすいようになっています。
ボタンは操作しやすい位置に配置され、間違って押してしまわないような工夫もされています。
何をどう操作すれば良いのか一目でわかる、優れたインターフェイスだというわけです。
確かに、それはそれで重要なことなんですが、それは、インターフェイスのほんの一部分でしかありません。
一般的に、インターフェイスは「境界面」という意味で、コンピュータと利用者の境界面、つまり、モニタとかキーボードとか、そういったものをひとまとめにして、インターフェイスと呼ばれています。
これは、人間とコンピュータという異なる存在を結びつけるために、間にインターフェイスを設けようという考え方です。
でも、この考え方だけでは、インターフェイスとしては不十分です。
なぜなら、その考えでは、人間がコンピュータに必ず譲歩しなければならないからです。
コンピュータは、100%論理の世界です。
人間は、正確なところはわかりませんが、仮に論理50%、感情50%としておきましょう。
もし、コンピュータと人間をインターフェイスでつなげるとすると、コンピュータは論理だけを押し通すことができますが、人間はすべての感情を犠牲にして、論理だけを働かせなければならなくなります。
おお、コンピュータはなんて融通の利かない代物なんだ!そう思うかもしれません。
でも、身の回りのものをよく見てみましょう。
感情をそのままの形で伝えることのできるものはいくつありますか。
ないでしょう。
なぜなら、そんなものは、この世に存在しないのですから。
馬鹿なことを言ってもらっちゃ困る。
詩や小説、絵画や写真、彫刻に音楽、いくらでもあるじゃないか。
あんたは芸術を否定するつもりなのか!
芸術を否定するつもりはありません。
でも、芸術作品それ自体は、単なる物理的な存在でしかなく、論理的なものだということなのです。
詩や小説は、活字という平面から、言葉という言語情報に変換されます。
絵画や写真も、同じ平面ですが、言語ではなくイメージとして処理されます。
彫刻は立体、音楽は空気の振動でしかありません。
残念ながら、感情を伝達する仕組みはどこにも用意されていません。
でも、詩に共感したり、小説の世界に没頭したり、絵画や写真に胸を打たれたり、彫刻や音楽に感動することは、自然なことです。
それは、作品が媒介手段でしかなく、自分と相手の関係こそが重要だということを知っているからです。
そして、自分の感情を100%相手に伝えることは不可能だということも。
そもそも、感情というのは、外からの刺激に対して、自分の心が反応する働きなわけですから、それをそのまま伝えようというのは、元から無理な話なんですね。
でも、自分の心が何に反応したのかを観察して、それを再構成することができたら、もしかしたら、相手も同じ感情になるかもしれない。
芸術というのは、そういうものではないでしょうか。
コンピュータの利用というのは、芸術ではないので、感情を伝える必要はありません。
でも、コンピュータを利用することで、相手が何らかの感情を抱くことがある、ということは、頭に置いておく必要があります。
つまり、コンピュータというのは単なる媒体でしかなく、利用者はコンピュータを通して開発者を見ているわけです。
もともと、インターフェイスというのは、Inter-face、つまり、顔と顔とを繋ぐという意味なんですね。
相手の顔をしっかりと見つめて、良好な関係を築いていきたいものです。
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