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iKeyboardは皆のために

やっと、MacPeople 10月号を手に入れました。

早速、iKeyboardの記事を確認したのですが、ちょっと気になる所がありました。 「初心者向けのキーボード練習ソフト」。 字数も非常に限られていたので、仕方がないというのもわかるのですが、残念ながらちょっと違います。

iKeyboardは、対象を初心者に限定しているわけではありません。 もちろん、初心者でも安心して練習できるようにしていますが、ある程度タイピングができる人や、すでに十分な速さで入力できる人のこともしっかり考えています。

タイピングの仕方を学ぶと、しばらく練習すれば、それなりに打てるようになります。 でも、中途半端な状態で学ぶのをやめてしまうと、次第に学んだことを忘れて、悪い癖がつくようになります。 悪い癖がついてしまうと、打ち間違いが多くなり、指に負担がかかって疲れやすくなります。

また、良く使うキーはすぐに打てても、あまり使うことのない記号などは、ついつい迷ってしまいます。 遠い位置にあるキーを押す時は、うっかり隣のキーを押してしまったり、両方のキーを押してしまうこともあります。 カンマとピリオド、TとYのように、似たような文字が並んでいるところで、打ち間違えてしまうこともあるでしょう。

これらは、キーと文字、そして指使いのそれぞれの関係が、十分に関連づけられていないために起こります。 自分はもうタイピングできるからといって、早撃ち系の練習ソフトばかりやっていては、問題はどんどん悪化していきます。 こうした問題を解決するには、もう一度基礎を復習することが大事なのです。

もう十分にタイピングを習得しているけど、どうも疲れやすい、という人はいませんか? そういう人には、Dvorak配列をお勧めします。 Dvorak配列は、入力効率を追求して作られたキーボードの文字配列で、良く使う文字をホームポジションに集中させ、左手に母音と記号、右手に子音を配置することで、左右交互に入力できるように工夫してあります。

Dvorak配列は日本ではあまり知られていませんが、海外では割と知られていて、ほとんどのパソコンでは、設定を変えるだけで、このDvorak配列が使えるようになります(Windowsで日本語を入力するには、レジストリを変更する必要があります)。 iKeyboardは、このDvorak配列もサポートしていますので、この素晴らしいキーボード配列を習得することもできるのです。

つまり、iKeyboardは、初心者だけでなく、皆のためのキーボード練習ソフトなのです。

iKeyboard Web Page

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ヒマワリ達の夏

9月になりました。

もう夏も終わったなぁ、そんな想いが、ぐっと強くなります。 周りを見渡すと、夏の名残たちが、夏を懐かしむようにひっそりとたたずんでいます。 夏のシンボル、ヒマワリも、秋の風を感じながら、居心地悪そうにしていました。

あるヒマワリは、ぐったりと首をうなだれ、またあるヒマワリは、遠く過ぎ去った夏の日を追っています。

また、別のヒマワリは静かにその一生を終え、中には成仏しきれずに化けて出てくるヒマワリもいます。

これから秋が始まり、やがて冬になります。 心の準備は、もう出来ましたか?

地味な風景

見渡すと、辺りには地味な風景がたくさんあります。

どこにでもある、何でもない風景。 誰もが、毎日見ている風景。 当たり前過ぎて、特にいちいち覚えていないような、そんな風景が、私は好きです。

澄み渡るような青空もなく、花のように鮮やかな色彩もありませんが、そんな地味な風景を眺めていると、少しずつ心も地味になっていきます。 刺激を求める人生もいいけど、のんびり生きてみるのも、案外いいものかもしれない。 そんな気持ちになったりします。

でも、こうしてのんびりできるのは、たくさんの人が、たくさんの汗を流してきたからなんですね。 地味な風景も、地味な努力の積み重ねでできているんです。 地味な風景の中には、地味な生活があって、地味な人達が生活している。 その人達が目立つことはないかもしれないけど、みんな一生懸命に生きてる。

毎日、いろんなものに追われていると、ゆったりした時間を忘れてしまうことがあります。 でも、そうした苦労が原動力になって、世界がゆっくりと動いていく。 このふたつの時間を心の中で両立させるのは、なかなかどうにも難しい。

透き通った光

葉を通して、透き通った光が見える。

ただそれだけのことなんだけど、いつも綺麗だなぁ、と思う。 もう何枚も似たような写真を撮ったじゃないか、そう思いながらも、ついつい撮ってしまう。 通り過ぎる人は、何を撮っているのかな、と興味深げに覗き込むけど、みんな不思議そうな顔をして去っていく。

花を撮る人、虫を撮る人は多いけど、光を撮る人は、案外少ないのかもしれない。 教則本なんかだと、花や葉を逆光で撮ったり、ローアングルから見上げるようにして撮ることは、半ば常識のように書かれている。 でも、わざわざ回り込んで、腰を屈めながら狙って撮った写真は、なんだか白々しい。

写真は、言葉と同じだと思う。 言葉は、その気になればいくらでも出てくるけど、そこに自分の気持ちを込めるのは難しい。 写真も、シャッターを押せばいくらでも撮れるけど、その時の感動を込めるのは難しい。 自分が今、何を感じているのか。 自分の心を、透き通った光で照らすのは、難しい。

タイピングとアフォーダンス

昔の人は、泳ぎ方を教えるのに、子供を海に放り投げたとか。

今なら、責任問題にもなりかねない行為ですが、これはこれでちゃんと泳げるようになったそうです。 投げ込まれた直後は、当然ながら沈んでいきまが、それでは息が出来なくなるので、苦し紛れに手足をばたつかせます。 すると、ちょっと身体が浮いて、息が出来るようになりますが、油断するとまた沈んでいきます。 そうやって、バタバタともがいていくうちに、手足をどう動かせば身体が浮くのか、少しずつ身体が覚えていくわけです。

一見無茶な教え方に見えますが、よく考えれば、赤ん坊が歩くようになるのも、親がいちいち動作を教えているわけではありません。 赤ん坊の筋肉が発達して、向こうへ行きたいという欲求が芽生えて、赤ん坊を支える地面があって、ちょっとした試行錯誤の後に、自然と歩けるようになるのです。

認知心理学には、アフォーダンスという言葉があります。 人と物との関係性を指す言葉で、水のアフォーダンスとして、浮くことや沈むこと、泳ぐことなどがあります。 同じように、安定した床のアフォーダンスには、寝ることや転がること、立つことなどがあります。 海や地面には、こうしたアフォーダンスがあるために、安心して子供を泳がせたり、自然に立ち上がることができるわけです。

でも、アフォーダンスはその可能性を示唆しますが、だからといって必ずしもその行動がとれるとは限りません。 溺れたくないとか、親のそばにいたいという気持ちと、十分に発達した身体がなければなりません。 つまり、動機となる目的と、行動する能力、実現する環境の3つが必要となるわけです。

それでは、キーボードのアフォーダンスには何があるでしょうか。 キーの大きさと形は、それを指で押すことをアフォードします。 でも、それだけです。 子供は、キーボードを見るとでたらめにキーを叩きますが、しばらく放っておいたらブラインドタッチをするようになった、なんてことはありません。

タイピングは、自動車の運転と同じで、まずその仕組みを理解して、次に正しい操作方法を体で覚えて、技術を身につけていかなければならないのです。 残念ながら、子供を海に投げ込むようにひたすらキーを打たせようとしたり、いきなり自動車のハンドルを握らせるような無茶な練習をさせたりするタイピングソフトが多いのが実情です。

iKeyboardは、キーボードの仕組みを踏まえた上で、段階を追って練習できるようにしています。 これまでのタイピングソフトに満足できなかった方、キーボードを操作するのがどうも苦手だという方は、ぜひiKeyboardを試してみてください。

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マウスでキー配列を覚えよう!

残念ながら、熟練者の言うことが必ずしも正しいとは限らないのです。

「キーの配置を「暗記」するとは?」というページを見つけました。 その中に「キー配列の暗記とタッチタイプの習得が混同されている」という記述があります。 これが、今のタイピング熟練者の、一般的な考え方です。 「タイピングは、指と文字を結びつけて覚えるものだから、キー配列を覚える必要はない」というわけです。

確かに、この考え方は間違ってはいません。 ホームポジションと指使いを厳守するという条件で、ひたすら例文を入力していけば、そのうち指が勝手に動くようになる、というわけです。 この方法は、タイピングを習得する最短コースと言えるかもしれません。 実際、この方法で、たくさんの人達がタイピングを習得してきました。 でも、同時にたくさんの人が挫折してきた方法でもあるのです。

タイピングの熟練者は、物事を論理的に考えて、最も効率の良い方法を導き出したわけです。 でも、その論理は物理的なものであって、心理的なものではありませんでした。

強制的に反復練習をさせれば、たいていのことは覚えることができます。 でも、それができるのは、よっぽどそれが好きな人か、その必要に迫られている人に限られます。 これからのタイピングソフトは、誰もが練習を続けられるものでなければなりません。

人の記憶は、その多くは視覚によるものです。 まずは、キーボードの視覚的なイメージを作り上げることが最優先になります。 つまり、キー配列を丸暗記するわけです。 一本指打法で入力している人でも、キー配列を丸暗記するだけで、入力速度や正解率はずっと向上するでしょう。

iKeyboardでは、マウスを使って、キー配列を覚えていきます。 えっ、タイピングソフトなのにマウスを使うの? そうなんです。だって、文字の順番を覚えるのに、わざわざキーボードを使う必要がありますか?

ウインドウの上側には、文字が順番に表示され、下側には、文字の書かれていないキーが表示されます。 あなたは、マウスを使って、文字とキー位置を好きな順番で合わせていきます。 左上から1行ずつ横に合わせていってもいいし、1列ずつ縦に合わせていくのもいいでしょう。 慣れてきたら、文字の順番をアルファベット順にしてみましょう。 わざと順番をバラバラにすると、グッと難易度が上がります。

力技の反復練習の問題点は、覚えるのに時間がかかる上に、覚えたことを忘れやすいということです。 それは、指と文字という1点においてのみ、記憶しているからです。 記憶は、他の記憶とお互いに結びつくことで、より強固なものとなります。 反復方式では、記憶を保持するために、膨大な量の例題をこなしていかなければならないのは、このためです。

iKeyboardでは、たったひとつの例題、つまりキー配列だけを、無数の組み合わせで練習することができます。 キー配列を覚えただけでも、キー入力はかなり快適になりますから、それで満足なのであれば、指使いの練習をせずに済ませることだってできます。 両手の指使いを覚えるのは、一本指打法に限界を感じてからでも遅くはないのですから。

さあ、iKeyboardでキー配列を丸暗記して、快適なタイピングを実現しましょう!

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人の心とコンピュータ

久々に、頭にきた。

悲しいことだけど、自分ができるなら、他人もできて当然だと思い込んでいる人達がいる。 そして、自分ができることを鼻にかけて、できない人のことを徹底的に馬鹿にする。 いちいちリンクは張らないが、そういう人は結構多い。

もちろん、それが一部の人間でしかないことはわかってる。 それが、どういう心理によるものかもわかっているつもりだ。 手に入れた物が大きければ大きいほど、人はそれを大切にする。 たとえ、それがどんなにつまらないものであっても、必死になってしがみつこうとすることも。

もちろん、できないよりもできたほうが良いに決まっている。 でも、それができなかったからといって、それがどうしたというのだ。 時間がかかるのなら、終わるまで待てばいい。 できなければ、他のできることで代用すればいいだけの話じゃないか。 それじゃ困るというなら、できるお前がやればいい。

コンピュータは、論理の世界だ。 コンピュータを良く使う人は、論理に強い人が多い。 だから、自分の論理が正しければ、当たり前のように他人を攻撃する。 でも、残念ながら、論理というものが非常にもろいものだということに、彼は気づいていない。 いくら自分の論理がTrueでも、誰かがNotを付け加えるだけで、いとも簡単にFalseになってしまうことに。

人間工学によって徹底的に効率化された工場では、次々と人が壊れていくという。 簡単なことだ。人間は機械じゃない。 もちろん、コンピュータでもない。 決して、独りよがりな論理に振り回されるわけにはいかないのだ。

人は、成長するのにそれなりの時間がかかるようになっている。 それは、行き過ぎによる失敗を防ぐためでもある。 一足先に着いた人が、後の人に手を差し伸べるのはいいが、礼儀だけはわきまえて欲しい。

仕事であれば、効率が優先されるのはもっともだけど、その仕事をするのは人間だ。 人にものを教えるのは、コンピュータにソフトをインストールするのとはわけが違う。 それくらい、わかってやれよ。

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あなたの喜ぶ顔が見たいから

ちょっとここを読んでみてください。

その人の経験や考え方を否定するつもりは全くありませんが、私の考え方は違います。 タイピングをとても楽しまれていて、その喜びを多くの人と共有したいという気持ちはとても良くわかります。 でも、タイピングを趣味としてとらえられる人は、そう多くはないと思います。

仕事で書類を作成するのに、今やパソコンは必須のアイテムです。 でも、一文字ずつキーを探しながらのタイピングをしていては、他の仕事に支障が出てきます。 同僚やライバル会社の社員は、ブラインドタッチでテキパキと仕事をこなしています。 自分の仕事には自信はあるけど、タイピング能力のせいで他の人に負けたくはありません。 そこで、一大決心をしたあなたは、重い腰を上げてタイピングの練習を始めます。

夜8時、仕事のストレスをいっぱいに抱えたあなたは、自宅のパソコンのスイッチを入れます。 ビールを片手に、お気に入りのページを開きながら、溜め込んだストレスを発散させます。 掲示板やチャットで仲の良い友達と楽しく会話したり、ブログで仕事の鬱憤を吐き出したり。 そういう人達を見て共感を覚えつつ、うらやましいなぁ、と思うのです。 よし、私もタイピングを練習してみようっと!

「忘れ物はない?気をつけていってくるのよ!」 夫と子供達を見送ってから、あなたはホッと一息つきます。 さて、あともうひと仕事、と急いで台所を片付け、そのままの勢いで掃除、洗濯も一気に終わらせます。 それが終わると、待ってましたとばかりにパソコンに飛びつきます。 パソコンは、専業主婦のつよ~い味方。 最近は、ホームページを見るだけじゃ飽き足らずに、自分でブログも運営しています。 アフィリエイトで家計の足しにしようというところは、まさに主婦の鏡。 でも、なかなかうまく商品の紹介ができないのよねぇ。 やっぱりタイピングをしっかり練習しないとダメかしら?

長い40年の勤めを終え、あなたは第二の人生をスタートさせました。 今までは、社会のために一生懸命に働いてきた。蓄えもそれなりにある。 これからは、自分のために、充実した生活を楽しむことにしよう。 子供達は、ボケ防止にはちょうどいいよと、パソコンを薦めてきました。 そうだな、デジカメもやりたいし、これからはインターネットの時代だからな。 でも、あのキーボードというのはどうも苦手だな。 まあ、時間はたっぷりあることだし、ひとつ練習してみるか。

iKeyboardは、そういうあなたのことを考えながら作りました。 本当は、タイピングなんてしたくない。できることなら、やりたくない。 でも、もし、タイピングを習得することで、あなたが幸せになれるなら、できるだけの手助けをしたいのです。 できることから少しずつ、あなたをサポートしていきたいのです。

私は、フェラーリやマッチョな体が欲しいわけじゃない、お洒落な軽とスリムなボディが欲しいのよ。 そういうことだと思います。

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嵐の夜の写真鑑賞

台風のおかげで、写真の撮れない日が続いています。

そんな時は、これまで撮ってきた写真をのんびり鑑賞するようにしています。 デジカメというのは、気楽に写真が撮れて、すぐに写真を楽しめるのはいいんですが、次の写真を撮ってしまうと、過去の写真を見ることはほとんどなくなってしまうんですよね。 私がよくやるのは、去年の今頃はどんな写真を撮ったのかな、というもの。 どれどれ、あ~、そうかぁ。そういえばそうだったよな~。

去年の9月3日には、心岳寺跡、別名平松神社の写真を撮っていました。 ちょうどこの頃、神社巡りと石像探しに夢中になっていたんですね。 この心岳寺跡は、錦江湾の奥の方、鹿児島市の北の端にあるんですが、交通量が多くて苦手な国道10号線を、車に怯えながらも自転車で行ってきたのでした。

この辺りは、海岸沿いを国道とJRが平行して通っているんですが、線路の向こうにはすぐ山が迫ってきているんですね。 心岳寺跡の入り口も、線路の向こうにあったので、なかなか見つからずに苦労しました。 入り口では、早速、仁王像の吽形がお出迎え。残念ながら阿形のほうは見当たりませんでした。 ちなみに、狛犬や仁王像は、阿形と吽形の対になっていて、向かって右側が阿形で、口を「アッ!」と開けています。 反対の左側は吽形で、今度は口を「ウン!」と閉じています。わかりやすいですね。

さて、鳥居をくぐると、そこには神秘の世界が広がっていました。 神社というところは、どこも何かしらそういう雰囲気があるものですが、ここの神々しさはかなりのものでした。 神聖な場所というのがピッタリくるところですね。

階段を上っていくと、手水屋には立派な龍の石像が。 手水屋に龍の像というのはよくある組み合わせですが、ここまで生々しい迫力の龍は初めて見ました。 ここは、とても大切な場所だったんじゃないか。 そんな印象を受けました。

この時は、ちょうど台風が過ぎたばかりで、境内は折れた木の枝が散乱し、あまりいい状態ではありませんでした。 それでも、この神社の格調の高さが十分に感じられました。 そこには、まるで私を待っていたかのように、季節外れのアジサイが咲いていました。 来て良かったな、名残惜しさを感じつつ、私は神社を後にしました。

この心岳寺跡には、ちょっと悲しいお話があります。 また、「鹿児島の石像達」も合わせてご覧いただければと思います。

う~ん、一年前のことを、どんどん思い出してきました。結構覚えているものですね。 皆さんも、秋の夜長に、昔の写真を楽しんでみてはどうでしょう?

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相手の気持ちを動かそう

ブログをあちこちのぞいていると、自作の詩や小説といったものをよく見かけます。

実は、私も書いたことがあります。 小学生の頃に、仲の良い友達数人で、漫画を書いていました。 ちょっと違うのは、みんな同じタイトル、同じ設定で、それぞれ違うストーリーを書いていたんです。 当時流行っていた「ロードランナー」というゲームを題材にしていたんですが、主人公と敵のロボットが出てくるというだけで、それ以外は自由に書いていました。

友達同士で、アイデアを出し合ったり、競い合ったりするのは、とても楽しかったですね。 最初は、わりとゲームに忠実に書いていたんですが、「レンズマン」という映画の影響を受けて、次第に壮大なSF宇宙大戦争へと舞台が変わっていきました。 独自のアイデアとしては、主人公が宇宙船の食堂で焼き魚定食を食べたり、トイレで用を足したり、というのがありました。 小学生なりに、実生活に基づいたリアリズムというものを追求したかったのかもしれません。

コマ割りは固定で、確か3cm x 3cmだったと思います。 だから、漫画というよりは、絵コンテとか、映画のフィルムみたいな感じでしたね。 最初に、30cmのものさしで、ノートにあらかじめ線を引いてしまえば、後は漫画を書くだけなので楽だったんですね。 でも、そのおかげで、ストーリーに集中できたり、映画的な手法を取り入れたり、といったことができたように思います。

書いた漫画は、基本的に仲間内で読み合うだけでしたが、たまに、他の友達や、担任の先生に読んでもらったりしました。 主人公とロボットの最後の対決の後なんかは、誰かに読んでもらいたくてうずうずしました。 普段、あまり話さない友達から、「お、なかなかおもろいやんけ」なんて言われたら、やっぱり嬉しかったですね。

ブログで創作をしている人達も、若い人達が多いようです。 でも、何か違う。 私が漫画を書いていた頃は、友達よりももっと面白いものを書いてやろう、という気持ちが強かったです。 そして、誰かが面白いアイデアを見つけてくると、これだっ!と叫んで、一生懸命に真似をします。 でも、それだけだと悔しいので、もっともっと面白いものを書いて、相手を見返してやりたい、という気持ちになるのです。

私の場合、そうやって競い合ううちに、自分のスタイルというものができていったように思います。 ところが、今の若い人達の作品には、そういう力強さをあまり感じないんですね。 それよりも、気心の知れた仲間同士の馴れ合いや、自己満足な世界みたいなのが、ずっと多いような気がします。

これは、時代を反映した流れなのかもしれませんが、なんとも寂しいことです。 内側の壁を塗り固めているばっかりで、外の世界に働きかけようという力がないんです。 ここから先は、わかる人だけ入ってくださいね。それ以外の人は今すぐ帰ってください。 どうも、門前払いを受けたような気分になります。

今日もあなたは振り向いてくれなかった。ショボ~ン。 じゃなくて、今日こそはあいつを振り向かせてやるぞ。うぉ~! というくらいの気持ちで書いて欲しいんですね。 なんと、そういう考え方があったか!なるほど、そういうことも言えるかもなぁ。 そう思えるようなものを、頑張って書いて欲しいものです。

写真で表現?

どうしても馴染めないのが、写真に添えられた「○○を表現しました」という文章。

そういうのが好きな人には申し訳ないんですが、私はどうも苦手なんです。なんか、後ろから髪の毛をつかまれて、さあ、ここを見ろ!どうだ、すごいだろ?と言われているような気分になってしまうんです。その人が、そういうつもりで文章を書いたわけではないことはわかっているんですが、心が拒絶反応を示してしまうんです。

実を言うと、そういう文章がなくても、同じような気分になる写真があります。 写真全体から、見て見て!ここを見て!というのが放たれていて、どうにもそれが鼻についてしまうんです。 写真自体は、とても綺麗なんです。素直に、うまいなぁ、と思います。 でも、真似したいという気持ちにはならず、むしろ、もう見たくないという気持ちになります。

それは、好みの問題だからしかたがないよ。苦手なら見なければいいだけじゃないか。 人の写真を見てるだけなら、まさにその通りなのですが、自分の撮った写真でもそうなってしまうとなれば、それだけでは済まされません。 何とかその原因を突き止めて、もっと満足のいく写真を撮りたいというものです。

それでは、写真の構成要素を順に挙げていってみましょう。 被写体、構図、色、明るさ、ブレ、ボケ、こんなところでしょうか。 例えば、お祭りがあって、神輿を担いでいる人がいるとします。 その中に、とても真剣な表情をした人がいたので、顔をアップに、色はモノクロ、ちょっと暗め、ブレはなく、背景はぼかして撮りました。 そして、「祭りへの熱い想いを表現しました」の文章を添えればできあがりです。

確かに、その顔は真剣そのもの。その表情は写真いっぱいに広がり、黒がより深刻なイメージを演出します。余計なものははぶいて、その表情だけをじっくり観察できるような配慮もあります。 これは、祭りへの熱い想いを感じないわけにはいかないなぁ。 でも、私には、してやったりとほくそ笑む、撮影者の顔が見えてしまうのです。

問題は、本当にその人の表情に感動したのか、ということです。 ちゃんと見ていたのであれば、その人がなぜ真剣な表情をしていたのか、何となくわかるものです。 もし、神輿を担ぐことが純粋に好きな人なら、神輿も一緒に写してあげたくなります。 観客との一体感に酔いしれているのであれば、観客も入れてあげないとかわいそうです。 誘われて仕方なく、失敗しないように一生懸命なのであれば、孤独に撮ってあげるのが良さそうです。

同じものを撮るにしても、どう感じるかで、撮り方はずいぶん変わってきます。 それは、被写体にどれだけ共感できるか、ということでもあります。 つまり、写真というのは、被写体と撮影者の関係を写すものなんですね。 だから、十分な関係が築けていないと、どれだけ技術を駆使しても、つまらない写真になるのです。

写真を表現手段だと思っている人の写真は、自己主張が強過ぎて、被写体が息苦しそうにしています。 写真は写ればいいと思っている人の写真は、関係が稀薄になるので、被写体はそっぽを向いてしまいます。 では、被写体との良好な関係を築くには、どうしたら良いのでしょうか。

私は、その感動を共有する相手、つまり写真の鑑賞者が必要だと思っています。 被写体と撮影者という一対一の関係は、非常に強固なものですが、同時に非常にもろい関係だからです。 綱引きをしているようなもので、どうしてもどちらかに決着がついてしまいます。 でも、そこに鑑賞者が加わり、お互いに手をつなげば、三脚のような安定性を得ることができます。

そういう意味で、このブログというのは、とても有効な手段ですね。 これからも、写真を通して、皆さんと感動を共有していきたいと思っています。

心の原動力

人は、なぜ生きようとするのでしょうか。

人には、食欲、睡眠欲、性欲という三大欲求があります。 確かに、ご飯は美味しいし、寝るとスッキリするし、異性と過ごすのは気持ちの良いものです。 それらは、生命の維持や子孫の繁栄に必要な不可欠なものですが、一度満たされてしまえば、しばらくは出てこなくなります。

でも、人の心には、欲望という名の欲もあります。 金銭欲、名誉欲、独占欲、支配欲、などなど。 これらは、なくても生きていけますが、決して満たされることはなく、いつまでも同じものを追い求めます。

また、意欲というのもあります。 新しい発見をしたり褒められたりすると、好奇心が芽生えたり興味が湧いたりして、もっと頑張ろう、という気持ちになります。 意欲は、出たり出なかったりと気まぐれですが、あるととても前向きになり、常に新しいことを目指します。

このように、人にはたくさんの欲があるわけですが、一体どれから満たしていけばいいのか、ついつい迷ってしまいます。 うまくいけば、とても充実した人生を送れますが、下手をすると、何をやってもうまくいかずに、先が見えなくなってしまいます。 さて、どうしたものでしょう。

生理的な欲求というのは、身体が求めているものですから、できるだけ注意深く観察して、素直にその要求に従うのが一番です。 胃がもたれているのなら、脂っこいものは避けるべきですし、うとうとして頭が回らない時は、一度休憩して仮眠をとるべきです。 もちろん、好きな人ができたら、あれこれ考えずに気持ちを伝えるべきなのです。

しかし、欲望となると、そう簡単にはいきません。 欲望は、人を突き動かす大きな力を持っていますが、その力があまりに大きいため、力をうまく制御しないと破滅を招くことになります。 というのも、欲望は常に成長を行うフィードフォワード回路になっているために、いつか必ず限界がくるからです。 ですから、その限界がくる前に、適当なところで抑制力を働かせて、フィードバック回路に変更しなければなりません。

意欲は、実現可能な目標を立てることによって生まれます。 新しい発見をすると、他の条件でも通用するかどうか試してみたくなります。 それがうまくいくと、今度はそれをどう利用できるかを考えます。 そして、最後にはその発見を多くの人に分け与えたくなるのです。 欲望と異なるのは、目標という段階ごとに成長していき、到達点となる最終目標が定められている点です。

もし、あなたが何らかの体調不良を感じているなら、それは体の要求にちゃんと耳を傾けていないからです。 もし、何をやっても満足できないのであれば、それは心が欲望に支配されてしまっているからです。 もし、自分が何をしたいのかわからないのであれば、それは適切な目標が設定されていないからです。

もちろん、欲を満たすために何をやっても良いというわけではありません。 物理的に不可能な場合もあれば、社会的に認められないこともあります。 実現可能な欲をうまく選り分けて、欲を満たしていかなければなりません。 そして、それを行うのが、理性なのです。

欲は、生きていくための、心の原動力です。 うまく理性を働かせて、上手に生きていきたいものですね。

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