パソコンで見る自分史(大学編)
2006/04/03 13:54 自分史
大学に進学すると、学生寮に入ることになりました。
学生寮といっても、大学が管理運営する管理寮ではなくて、学生が自ら管理運営していく自治寮でした。 部屋も相部屋で、4人部屋を2〜3人で使っていました。 寮生は、何らかの委員会に所属して、週に一度の委員会活動がありました。 月に一度は棟会という会議が開かれ、半年ごとの委員会活動の節目には、寮生全員が集まる寮生大会が行われました。 飲み会も多く、行事も多かったので、自然と寮生活が生活の中心になっていきました。
当然、X1turboZも寮に持ち込んだのですが、あまりいじっている時間はありませんでした。 しかし、ある日、ふとダイエーに立ち寄ると、そこにはX68000 PRO(定価298,000円)が、展示処分特価の6万円で叩き売りされているではありませんか。 さらに、いくつかのソフトもタダ同然の値段で投げ売りされています。 その圧倒的な人気にかげりが見え始めていたとはいえ、あの夢のパソコンが、手に届く値段で売られているとは…。
結局、その展示品のX68000 PROを買ってしまったわけですが、これまでのパソコンとはずいぶん勝手が違っていました。 PC-6001も、X1turboZも、電源を入れると最初にBASICが立ち上がったわけですが、このX6800 PROは、Human68kというOSが立ち上がるのです。 このHuman68k上でX-BASICというBASICを利用することもできましたが、かなりC言語に近いもので、実際C言語への変換が可能ということが売りになっていました。
寮には、高校時代にマイコン研究会に入っていた強者がいて、その伝手でいろんなものを提供してくれました。 空き部屋だった4号室を改造して、パソコン部屋兼マッチョクラブのトレーニングルームにしたりしました。 獣医の先輩に頼まれて、寄生虫に関する実験データを集計するプログラムを作ったこともありました。 その報酬は、焼き肉食べ放題というものでしたが。
X68000には、wp.xというワープロが標準装備されていました。 その後、投げ売りされていたMultiWordというワープロソフトも手に入れて、レポート作成や委員会活動で大活躍しました。 この頃は、NiftySurveなどのパソコン通信が全盛の頃で、たくさんのフリーソフトが作られていました。 パソコン通信はしていませんでしたが、本屋でフリーソフト集を買ってきて、いろんなソフトを試したものです。
このHuman68kはMS-DOS互換のファイルフォーマットを採用していたので、X68000 PROで作成した書類は、テキスト形式に変換して、今もMacの中に残してあります。 日記や手紙、レポートや議案書、中には当時の恋人への想いを綴った秘密の文章まであったりして、懐かしいというよりは恥ずかしいものが多かったりします。
X68000には、SX-WINDOWというウインドウシステムがありました。 しかし、SX-WINDOWのVersion 2を使うためには、メモリを増設する必要がありました。 当時、4MBのメモリの値段は4万円でした。 世間ではWindows 3.1が登場して、パソコンの性能は上がり、値段はずいぶん下がっていました。 X68000 PROのCPUは10MHzでしたが、すでに66MHzというとんでもない処理能力のパソコンが、驚きの10万円台で買えたのです。
ただ、いくら安くなったとはいえ、十何万という大金を一括で払えるような財力は、私にはありませんでした。 でも、分割払いという知恵をつけた私は、初のMacintoshとなるLC 630を、12回払いで購入してしまったのです。 そう、この瞬間から、Mac貧乏への道を転がり落ちることになるのです。
この頃から、パソコンを玩具として楽しむことから、道具として利用するようになっていきました。





























