先日、宮崎勤の死刑が執行されました。
宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件があったのは、ちょうど20年前の1988年のことです。
私が14歳、中学2年生の頃です。
部屋を埋め尽くさんばかりに積み上げられたビデオテープに、影響を受けたとされる死体を切り刻むだけの映画「ギニーピッグ」の映像。
事件そのものも衝撃的でしたが、こうした一連の報道内容にも大きな衝撃を受けました。
当時、宮崎駿監督の映画が大好きだった私は、この事件の影響が出ないか本気で心配したものです。
今回、ついに宮崎勤の死刑が執行されたということで、ちょっと事件について調べてみました。
すると、あの衝撃的な報道が、マスコミによって操作されたものだということを知り、大変驚きました。
積み上げられたビデオテープは、ほとんどが子供向けの番組が録画されていて、ホラーなどのビデオテープをカメラマンが目立つように操作して報道していたらしいのです。
しかも、繰り返し流れていた残虐な「ギニーピッグ2」は実際にはなく、コメディ化された「ギニーピッグ4」しかなかったそうです。
これはどういうことだ?ということで、図書館で「宮崎勤事件 塗り潰されたシナリオ(一橋文哉著)」という本を借りて読んでみました。
重要人物として度々登場する警視庁のA氏というのがどことなく胡散臭く、話の持って行き方に強引さを感じましたが、公判記録が豊富に引用されていたこともあって、事件の大まかな経緯を知ることができました。
宮崎勤が、一連の事件の犯人であることは間違いないようで、その点では安心しました。
逮捕後は、「ネズミ男」など奇妙な発言が目立ち、責任能力はあるのかと精神鑑定が繰り返されました。
死刑執行後も、「死に神」記事が問題になったりして、とにかく世間を騒がせる人ですね。
精神鑑定や死刑執行には、いろいろ意見があるかと思いますが、結局はその時の状況に合わせて判断するしかないんでしょうね。
私としては、場合によっては、死刑執行もやむを得ないと考えています。
たとえば、隣に住んでいる人が、向かいに住んでいる人を殺したとします。
もしかしたら、次は私が殺されるかもしれません。
もし、他に助けを呼ぶことができなかったとしたら、私は自分が殺される前に、相手を殺すことでしょう。
でも、警察が犯人を捕まえてくれるのなら、私は自ら危険を冒す必要がないので、とても助かります。
ただ、犯人が釈放されてしまうと、また危険な状態に逆戻りなので、自分の身を守るために警戒が必要になります。
死刑を執行してくれれば、その負担が無くなって、安心して生活できるようになります。
犯人に対して、二度と殺人を犯さないように反省させることができれば、それに越したことはありません。
それが無理でも、犯人をどこか被害の及ばないところに隔離することができれば、それでも構いません。
そのどちらもできないのであれば、残された方法は死刑しかないように思います。
ただ、どんな殺人犯も、最初は前科無しの安全な人なわけで、これから殺人を犯す人と、かつて殺人を犯した人のどちらが危険なのかは、私にはわかりません。
確かに、宮崎勤=ビデオテープ=ギニーピッグと結びつけたように、殺人者=死刑と決めてしまえば、とてもわかりやすいし、手っ取り早く安全を手にすることができます。
でも、本当に大切なことは、赤信号になって殺人を犯す前に、黄信号でストップをかけることです。
「あいつは変な奴だ=関わらないでおこう」じゃなくて、「あいつは様子がおかしい=どこがおかしいのか探ってみよう」と心掛けていれば、より安全に楽しい生活が送れるように思います。
あなたは、自分の都合の良いように物事を決めつけることで、目の前が見えなくなっていませんか?