新ブログの更新状況

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祝!新ブログ発足!

ついに、新しいブログの準備が整いました。

K-Hyodo's Diary

いわゆる日記ブログです。 なるべく毎晩、その日にあったことのうち、印象的な出来事や、深く考えたことなどを、書き残していきます。 何か新しいものを手に入れた時に、その使い勝手などをレビューすることもあります。 そうした日常を記録していくことで、誰かと共感したり、後で読み返したりして、生活に張りを出したいな、と思っています。

K-Hyodo's Photo

こちらは写真ブログです。 本当に自分が良いと思える写真だけを載せていきながら、写真のレベルアップを目指します。 単なる写真だけじゃなくて、詩や物語と組み合わせたり、動画にしたりして、新しい可能性も探っていきます。 自分の写真の作品集、あるいはネット上の個展会場として、積極的に活動していきたいと思っています。

New Blog Paradise

これはネタブログです。 自分の中にある興味を見つけ、育てていくことで、楽しいことをどんどん探していきます。 そして、それを繰り返していくことで、興味の幅を広げられたら嬉しいですね。 興味の趣くままに、いくつかのプロジェクトを同時進行していって、ある程度の結果が出たら、デイリーポータルZデイリー道場に投稿していきます。

内容としては、これまでこのブログでしてきたことと変わりないんですが、内容ごとに独立させることで、それぞれの質を高めていくことを狙いとしています。 ブログの分割案は、すでに3年も前からあって、そのための場所もその時に用意していたんですが、いろいろ面倒だったりして、なかなか実行に移せなかったんですよね。 それが今になって、ようやく機が熟したというわけです。

というわけで、これからもK-Hyodoのブログをよろしくお願いします!

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ブログ休止

思うところあって、しばらくブログから離れます。
皆さん、ごぎけんよう。

桜島とアミュラン

桜島とアミュランのツーショット

鹿児島といえば桜島!そして鹿児島の新名所といえばアミュラン! というわけで、桜島とアミュランのツーショットを撮りに行ってきました。 鹿児島市の中心部であれば、どちらも良く見えるものなのに、一緒に撮ろうと思うと、なかなか良い場所がなくて苦労しました。 苦労した割りには、何とも素っ気ない普通の写真だったりしますが、こういう写真を撮っておくと、ずっと後になって「懐かしいなぁ」なんて思ったりするかもしれませんしね。

私が鹿児島に来た頃は、まだ西鹿児島駅で、三角屋根の駅舎でした。 最初に西鹿児島駅を利用したのは、大学一年生の夏に、友人と二人で、青春18きっぷを使って帰省した時でした。 早朝の待合室には、酔っぱらいのおっちゃんが寝転がっていて、外には土産物屋がずらりと並んでいて…。 あの時、写真を撮っていれば、良い思い出になってたのになぁ。 当時の西鹿児島駅の画像を検索してみたら、懐かし過ぎてショックを受けてしまいました。

興味の自給自足

自分の興味を、自分で満たそう

誰かにとっての「たのしい」が、自分にとっても「たのしい」とは限りません。 これは、当たり前すぎるくらいに当たり前のことですね。 そして、自分にとっての「たのしい」が、誰かにとっても「たのしい」とは限りません。 これは、結構見落としがちなことではないでしょうか。 自分が「たのしい」時は、それを誰かに伝えたくなるものです。 そして、きっとそれが伝わるものだと思いたくなります。 それが伝わらなかったら、相手をわからずやと思ってしまったりします。

自分の「たのしい」を誰かに紹介する時は、一人でも多くの人に、その良さを伝えたいと思います。 本来、その「たのしい」は自分一人のものであり、それが一人でも誰かに伝わったとしたら、それはとても幸運なことであり、 有り難いことです。 もし、誰にも伝わらなかったとしても、自分が「たのしい」と思ったのであれば、それで十分です。 続けていれば、そのうち誰かに伝わるかもしれませんしね。

誰かと「たのしい」を共有するためには、2つの方法があります。 ひとつは、共通する「たのしい」を利用する方法です。 食欲や性欲などの本能的な欲求や、テレビなどのメディアで人気のあるネタを使えば、より多くの人達と「たのしい」を共有することができます。 もうひとつは、自分自身の興味と正面から向かい合って、その「たのしい」を的確に表現する方法です。 前者は、手軽に多くと人と繋がりますが、後者は、より深く「たのしい」を共有することができます。

その両方の「たのしい」を楽しめれば最高なんでしょうけど、私はどうも前者のやり方が苦手です。 私の興味の幅が狭いのか、それとも方向性がずれているのか、楽しんでいる人が多ければ多いほど、私の興味は醒めていきます。 どうも、誰かと楽しむこと自体が楽しみになっているような気がして、自分自身の興味や表現というものが、ないがしろにされているような気がするんですよね。 私は、自分自身の興味に正直でいたいし、その興味を満たすことを大切にしたいんです。

逆に言うと、自分の興味が確立できてないから、相手の興味を認められないだけなのかもしれません。 だからこそ、相手の興味に何かを期待してしまうのかもしれません。 それだけ自分がまだ若いのかもしれないし、これは一生つきまとう問題なのかもしれません。 なんにせよ、今の自分がそうなんだから、これはもう、そういうものだと認めてしまうしかありません。 他人が楽しそうにしている様子を見てるよりも、自分の楽しみを追求していたった方が、ずっと楽しいですしね。

さあ、興味の自給自足を、始めてみよう。

36歳の抱負

アコウのように、逞しく生きよう

干支を3周して、ついに36歳になってしまいました。

実はこれまで、私の中では、ずっと精神年齢が24歳で止まってたんですよね。 大学院の途中で休学・中退して以来、私は歳をとることをやめました。 ソフト開発を始めて10年になりますが、いろいろ学んだことは多かったものの、やっぱり気持ちは24歳のままでした。 30歳になってからは、さすがに年齢を意識するようになりましたが、今度は自分が24歳のままでいることに、次第に引け目を感じるようになってきました。 そして、今年に入って絵本を作るようになって、はっきりと悟りました。 あ、俺、やっぱり35歳だ。

というわけで、これからは、24歳とは決別して、36歳らしく生きていくことにします。 じゃあ、その36歳ってなんだよ、ってことになるわけですが、別に36歳に対する具体的なイメージがあるわけじゃなくて、36年という歳を重ねた自分自身に対して、無理せず素直に向き合っていきたいだけなんです。 つまりは、年相応に生きたい、というわけですね。 若者が大人に見られたくて背伸びするのは可愛いものですが、良い歳の大人が若者のつもりで無理をするのは、結構見苦しいですしね。

この10年、ひたすらソフト開発だけをやってきましたが、今年に入ってから、新たに絵本や童話の制作を始めました。 ずっと個人的な趣味として続けてきた写真も、居酒屋の閉店や商店街の祭など、人のために撮る機会が少しずつ増えてきました。 今年は、せっかくそういう新しい芽が出てきたわけですから、そのどれかに絞り込むのではなく、ひとつひとつを大切に育てていきたいですね。 それらをお互いに関連づけていくことで、アコウの木のように、立派な木にしたいものです。

そうしていくことで、堂々と40歳を迎えたいですね。

裏風情

表より 裏が好き

甲突川沿いに建つ倉庫の裏側に、捨てられた2台の自転車。
勢い良く好き放題に伸びる雑草のとの対比が、とても印象的です。
あちこち部品が取られていて、まるで干涸びた昆虫の死骸のようです。
幾重にも迫り来る影が、やはり死を予感させます。

それでも、やっぱり、この裏の雰囲気が、どうにも好きなんですよね。
ついつい、裏に回ってみたくなるし、この空気を味わいたくなります。
そして、我を忘れて、この世界に入り込んでしまいます。
ああ、この感覚は、たまならく好きだなぁ。

別に、死の匂いを嗅いでるわけではありません。
ただ、日常からちょっと回り込んだだけで、
そこにポッカリと別の世界が潜んでいる…。
その発見が、たまらなく不思議で、心地良いのです。

だから、裏は裏のままが、一番なんです。

覚醒

魔法は いつか 解ける

あんなに熱中していたのに、ふと急激にその熱が冷める時があります。

何かを集めたり、何かになりきったり、何かに惚れ込んだり。 そういう経験は、誰もが持っているはずです。 熱中している時というのは、それは楽しいものです。 このためになら、何だってできると本気で思います。 熱中している時というのは、そこに夢を見ている時です。 それは、誰にも邪魔されない、自分だけの世界。 頭の中に自分の理想郷を作り上げて、そこの王様になった気分になります。 そして、世界征服を目論むのです。

夢から覚めるには、いくつかの要因があります。 ひとつは、自分が十分に満足してしまった時です。 どれだけ美味しい料理も、お腹が一杯になってしまっては、もう食べられません。 次の波が来るまで、しばらくはおあずけです。 もうひとつは、夢の情報源が途絶える時です。 大好きだったテレビ番組が終了してしまったり、バンドが解散してしまったり。 そうなってしまっては、他の対象を探すしかありません。

また、他により魅力的な興味の対象を見つけてしまう時もあります。 熱中するということは、何かに集中することですから、対象は常にひとつに絞られます。 なので、古い興味の対象は、あっという間に捨てられてしまいます。 最後は、夢の外の現実に気づいてしまう時です。 自分の中の理想と外の現実との差異に気づいてしまうと、そこに亀裂が入り、みるみる広がっていきます。 そうなってしまうと、修復はとても難しくなります。

夢を見たり、何かに熱中するということは、とても素晴らしいことです。 ただ、夢というのは、誰かに与えてもらうものではなくて、自分で見るものです。 熱中するといことは、誰かに熱中することではなく、自分自身の興味に熱中するものです。 もし、夢を手放すのが怖いのであれば、それは熱中ではなく、依存です。 それを手にしたくて、胸が熱くなって、何かせずにはいられない。 それこそが、本当の夢であり、熱中なんですよね。

いつまでも、良い夢を見続けていたいものですね。

和の心

日本の心は、和の心。というわけで、調べてみました。

《故事・ことわざ・四字熟語》辞典・「わ」より、「和」に関する言葉を抜き出してみました。

  • 和して同せず

    主体性を持つ君子は誰とでも協調するが、道理に外れたことには同調しない。(孔子)

  • 和光同塵

    自分の学徳や才能を包み隠して、俗世間の中に交わり住むこと。(老子)

  • 和を以て貴しと為す

    仲良く和合することが最も大切だということ。(聖徳太子)

  • 和気藹々

    人々が仲良く、和やかな気分がいっぱいに満ちたさま。(李ヨウ)

語源を調べて、年代順に並べてあります。 孔子も老子も李ヨウも中国の人なので、聖徳太子の「和を以て貴しと為す」が、日本で最初の「和の心」ということになるでしょうか。 ただ、その出典である十七条の憲法は、孔子の儒教や老子の道教など、中国の諸子百家の影響を受けているそうなので、思想の流れとしては共通していると考えても差し支えないでしょう。

孔子の言う「和して同せず」は、さすがに深いなぁと思わせるものがあります。 老子の「和光同塵」は、「能ある鷹は爪を隠す」的にも読めますが、正確には「学徳や才能を振り回している間は、それらを正しく習得しているとは言えない」という意味です。 これらの中国の二大巨匠と比べると、聖徳太子の「和を以て貴しと為す」は、ちょっと頼りなく思えてしまいます。 「なんだ、結局は仲良しこよしの馴れ合いかよ。日本人らしいなぁ」なんて思ったり。

ところが、十七条の憲法の原文を読むと、まるで意味が違っていることに気づきます。

一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。 人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。 それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。 しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ。

てっきり和気藹々の雰囲気を重視しているのかと思いきや、「立場の違うもの同士が、互いに相手を尊重しながら議論し、力を合わせて問題を解決していきなさい」という内容でした。 これは、孔子の考え方に近いですが、おのずから道理にかなうという点では、一歩前に進んでいると言えます。 また、老子は道を知る者は黙って道に従うと言いますが、そこに至るまでには道を語る必要があることもまた事実。 道を知ることが前提となる老子とは違い、道理を導き従うための議論を奨励する点では、より現実的で具体的ですね。

最近、癒しや共感を得たがる人を良く見かけるんですが、ずっと違和感があったんですよね。 癒しを求めるからには、どこかに傷を負っているわけで、だったら癒しに逃げるのではなく、治療に専念すべきです。 共感は、共に感じることであり、共感を求めるということは、感じ方を強要することです。 感じ方を強要することは不可能なので、結果的に、同じ感覚を持った人達だけを選ぶことになります。 「人はグループを作りたがり」というわけですね。

和の心というのは、セラピーでも馴れ合いでもなく、ましてや自己主張や議論に打ち勝つことでもなく、お互いを補い合うことなんですよね。 もちろん、理想としては完全な個人であることが望ましいわけですが、実際には必ず長所短所があるものです。 自分の道理では、常に自分が正しく思えても、それが他所の道理に通用するとは限りません。 自分が不完全な人間だからこそ、相手を尊重して、より適切な道理を共に見出していく必要があるんですね。

依存でも対立でもない、協調。それが「和の心」なんですね。

力加減と心の絆

私は、殴ったことも、殴られたこともない。

兄との兄弟喧嘩で、叩いたり叩かれたりといったことはあったはず。 厳しかった部活の顧問の先生に、叩かれたことはある。 でも、それはパーで叩くのであって、グーで殴るのとは意味が違う。 パーで叩くのは感情表現だが、グーで殴るのは実際に相手を傷つける意思を持つ。 相手を傷つけたり、傷つけられたりというのは、とても悲しいことだ。 これまで、殴ったり殴られたりという状況に遭遇しなかったということは、とても幸運なことだと思う。

ただ、グーで殴るのは、やるかやられるかの真剣勝負。 そういう極限状態を経験していないということは、今になって、自信のなさに繋がっているような気もする。 誰かを殴れば、それだけでは済まないだろう。 自分も殴れば、やはり、それだけで済まないだろう。 殴り合いの連鎖。それは、どちらかが倒れるまで続く。 ただ、殴り合いにしても、喧嘩であれば、どこかで手加減しているはずだ。 喧嘩の中にも、暗黙のルールがあるはずだ。

その手加減の仕方が、暗黙のルールが、私にはわからない。 恐らく、この先、殴り合いの状況に陥ったとしたら、手加減なしで殴ってしまうだろう。 殴るだけでは済まないかもしれない。 自分を守るために、相手を動けなくするために、思いつく限りのあらゆる手を尽くすことだろう。 急所の攻撃だって厭わないかもしれない。 攻撃される恐怖から、本気で相手を殺してしまうことだってあるかもしれない。 最大の効果を得るためには、相手を殺してしまうのが一番なのだから。

ただ、本当に相手を殺してしまうと、取り返しのつかないことをしてしまったと悩むことになったり、社会的な制裁を受けなければならなかったりするので、そうなる前に、どこかで殴る手を止めなければならない。 もしかしたら、決着がつく前に、殴り疲れたところで、自然と収束するのかもしれない。 でも、正直なところ、誰かを殴る時の感覚を想像しただけで、ぞっとする。 相手が人間であれ、他の動物であれ、自分の手で傷つけると思うだけで、耐えられなくなる。

私の中には、そういう過剰なまでの攻撃性と、それを極端に恐れる心が、共存している。 いざとなったら、何をするかわからない自分と、そうなる前に、何とかして衝動を抑えようとする自分。 これは、殴り合いの喧嘩だけの問題ではなく、本気の真剣勝負であれば、同じ問題を抱えることになる。 自分が本気になればなるほど、握り拳は固くなり、攻撃力が増していく。 でも、本当に大切なことは、拳の発射ボタンを押すことではなく、力を抜いて、手を開くことのはず。

そうして、心の通った握手がしたい。安易な触れ合いではない、心の絆。

影の魅力

影が魅力的なのは、なぜだろう?

昔から、影が好きだ。
でも、どうして影が好きなんだろう。

その淡さの、心地良さ。
実在しないことによる、儚さ。
立体の平面化による、異形化。

とにかく、影は私を惹き付ける。

しかし、そこには、常に虚しさがつきまとう。

はっきりしない、虚しさ。
実在しない、虚しさ。
手の届かない、虚しさ。

それは、心の中にしか、存在しない世界。
目には見えていても、触れることのできない世界。
いくら愛しても、報われることのない世界。
全てを失っても、それだけで満たされてしまう世界。

影は、憧れの存在なんだろうな、きっと。

眼力

凄みを利かせる、オスの眼力。

懐かしのラジカセ

その昔、家にあったラジカセの機種名がわかりました。

それは、SONY CF-1900 (pro1900) 。 いやあ、懐かしいなぁ。 私が物心ついた頃から、ずっと家にあったラジカセなんですよ。 テープカウンターをリセットしたり、黄色いボタンを押してランプをつけたり、マイクのレベルメーターを眺めたりして、良く遊んでました。 確か、少しくらいはラジオも聞いていたはず。 順序が逆ですが、男の子の興味って、そんなものですよね。 分解してドライバーを差し込み、火花を散らして遊んでたこともあったりして。 ボン!ってスゴイ音がして、面白かったなぁ。

初めて音楽に興味を持ったのは、小学校の高学年くらいの頃でした。 このラジカセ、ラジオの周波数をあれこれいじっていると、たまに外国の放送が聞けたんですよ。 それで、何か面白い放送ないかなぁと探していたら、偶然音楽番組を見つけたんですよ。 何となくいいなぁと思って、電子音の未来っぽい曲と、ウエスタンのカントリーっぽい曲の2曲を録音したんです。 それから、毎日のようにこの2曲を聴きながら、どっちが好きかな~と楽しく悩んでいました。 残念ながら、曲名は覚えていませんが、未来っぽい方の曲のメロディーは、今も良く覚えています。

私が初めて知ったアーティストは、コモドアーズ(The Commodores)でした。 ちょうど音楽番組でコモドアーズの特集をしていて、「Machine Gun」「Brick House」「Lady」「Sail On」「Still」を流していました。 結局、ラジオを録音したのはここまででしたが、とてもワクワクする体験でしたね。 今でも、コモドアーズを聴くと、当時のことをあれこれ思い出します。 ついでに、あの埃っぽさと焦げ臭さも蘇ってきます。 う~ん、懐かしいなぁ。

このラジカセが、最期にどうなったのかは、良く覚えていません。 安物のポータブルカセットプレーヤーが壊れた時に、ヘッドとアンプを移植したのは、このラジカセだったか。 最終的には、パソコン用のデータレコーダーに移植したのは覚えているんですが…。 これはこれで、なかなか懐かしい思い出なんですが、長い話になりそうなので、それはまた別の機会に。 もう実家には残ってないはずですが、こうして再びその姿を見ることができて、とっても嬉しかったです。

皆さんは、子供の頃の懐かしい思い出の品ってありますか?

プロフィール

K-Hyodo

K-Hyodo

本名:兵頭 薫
鹿児島の30代男性
ソフトウェア作家を目指す

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